「好き」を知る、についてつらつらと。『だれでもデザイン』を読みながら
とても面白い読書体験をしました。
『だれでもデザイン 未来をつくる教室』(山中 俊治 著)です。
「その人の頭の中が見える本」が好きなのですが、本書はその類いです。
Suica改札機をデザインされた方で、その試行錯誤が冒頭に書かれています。
ちょうど通勤中に読み始めたので、改札を通る際はしげしげとその傾きや、案内の配置を眺めてしまいました。本と現実がリンクするの、たのしーい!!
◾️「好き」をとるか「将来性」を取るか
さて本書で一番心に残ったのは「作り手の価値観の表明が明瞭なものにこそ、私たちは魅力を感じる」という部分です。
それって「たまたま作り手が強く打ち出した価値観が世間にマッチしたからヒットしたんじゃない?」とも思いますが、言いたいことはわかります。
無難で曖昧なものより、趣味や価値観全開なもののほうがずっと魅力的で刺さります。市場規模の大小に拘らず、いきすぎなくらいのこだわりや美意識が我々を惹きつけるのです。
さらにこのようにも書かれています。
ここが心に引っかかりました。
というのも最近、「好き」を取るか「将来性」を取るかでちょっと悩んでいるからです。
好きだけど、たぶん縮小していく業界・仕事ってあるじゃないですか。
心地よさと、好きという気持ちと、賃金のバランスが難しい。やっぱり「好き」って情熱を注げるし、手を抜けないし、やっていて楽しいし、武器になる。「作り手の価値観の表明が明瞭なもの」ってきっと情熱がなきゃ創れない。でもなぁ、お金も大事、まだ人生長そうだしなぁ、などとぐるぐるしています。
好きなことと世間のニーズがマッチしたら幸せですよね。なんとか動きまわりながらそのポイントを探していくしかないのかな、と考えているところです。
◾️ひとまず「好き」を見つけて欲しい
一方で、仕事は一旦脇に置くと、自分が好きなものを見つけられたことによって、人生に彩が添えられ、大いに救われたなと確信しています。
私の場合は本を読んだり漫画やアニメを観たり、文章を書いたり絵を描いたり本をつくったり、です。
だから息子も、仕事にするかは全く関係なく、ただ楽しむために、自分の好きなことを見つけてくれたらいいなと思います。
そのために、なるべく色んなものに触れ、心惹かれるものがあったら好きにやらせて、彼の感性を否定せず(反社会的、非倫理的なことは除く)、存分に遊んで欲しいな、と願っております。
何かが人より秀でているとか、人より早く物事が出来るようになるよりも、情緒が安定していて自分なりの幸せな人生を歩める人になって欲しい。
その「情緒の安定」を支えるもののひとつとして「好き」なものがある、自分の「好き」をわかっている、というのがありそうな気がするので、見つけてくれたらいいなぁと思います。
◾️かもめの玉子うまい
そう考えつつも、育児において親の哲学みたいなものが求められるの本当しんどい。私の限界以上のもの出てこないもん。まぁいずれ子どもには超えられていくのだから、あまり心配はいらないのかもしれないけれど。
けどどうしたってヒトには親の庇護なしには生きられない期間があって、その期間における親の責任たるや重いなぁと思いながら頂き物のかもめの玉子を食べました。
美味しいわぁ。
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