犯行後に責任能力を喪失した場合等の処罰に関する問題点の提示
はじめに
現行の刑事制度の下では、犯行時に責任能力があると認められれば刑法上の犯罪が成立し、犯人を処罰することが可能であるとされている。
(犯罪の成立など刑法の基礎については以下の記事参照。)
しかし、果たしてこれで妥当なのだろうか。
犯行当時に責任能力が認められたとしても、この記事のタイトルにも書いた通り、犯行後に責任能力を喪失したりした場合にも犯人を処罰するのは妥当なのだろうか。
例えば、犯行時には責任能力に問題は無かったものの、犯行後に事故などによって記憶喪失になった場合。
記憶喪失の状態で処罰される場合、自分が何をしたのかわからないまま処罰されることとなる。
しかもその処罰が極刑の死刑だった場合にはどうだろうか。
犯人は自分が何か悪い事をしたのかよくわからないまま殺されるのである。
これはおかしな話ではないか。
不当ではないか。
少なくとも私はそう思う。
犯罪を犯すと刑罰が科される理由から考える
ここで、そもそも犯罪を犯すとなぜ刑罰が科されるのかを考えてみたい。
その理由としては大きく二つが挙げられている。
一つは、犯罪を犯したことのいわば反作用として刑罰が科されるというもの(応報刑論という)。
「目には目を、歯には歯を」という表現が最適であろうか。
もう一つは、犯罪者を処罰する事で、未来に起こるかもしれない犯罪を抑止する、いわば見せしめ的なものであるというものだ(目的刑論という)。
両立場から上述の問題を考えてみよう。
まず、応報刑論の立場から考えると、犯罪を犯したならその後に記憶喪失などになっても責任を負うべきとも、その場合は例外的に刑罰を科すべきではないとも言い得るだろう。
一方、目的刑論の立場からすれば、仮に犯罪後に記憶喪失などになれば刑罰を免れるとすると、犯罪後にわざと記憶喪失になろうとする者が出てくる恐れがあり、犯罪予防の観点からは妥当でないとして、犯罪後の記憶喪失の場合でも処罰すべきであるとの考えになろうか。
このように、刑罰を科す理由から考えても、この問題の答えは一つに定まらない。
私見
私は最初に述べたように、一律で犯罪後に記憶喪失などになった者を処罰することには反対だ。
その上で、被告人の個別具体的な事情や犯罪の軽重、被害の軽重等を総合考慮し、裁判所が刑罰を任意的に減免できるようにするべきであると考える。
このようにすることで臨機応変に事案解決ができるだろう。
私の上述の疑問点も(具体的な事例と判決を見ないと何とも言えないので)解決とまでは言い難いが、とりあえずは落ち着くだろう。
実務上の扱い
実務上、この問題点が問題となることはないと考えられる。
というのも、警察や検察の捜査が及んだ時点で責任能力に問題があると疑われる場面では、主に犯行当時の責任能力において問題があったとされることがほとんどであると考えられるからだ。
つまり実際の裁判では、犯行時の責任能力が問題となる事はあっても、犯行後の責任能力などが問題とされることはないのである。
これは、犯行後の処罰減免事由が定められていない現状では、この点について争うのは無益であり、当然の事であろう。
まとめ
以上より、裁判実務としては犯行後の記憶喪失等に対応できるような体制(私が挙げたようなもの)を整えるべきであろう。
処罰の適正化を、より追求すべきだ。
今回は以上、ここまで読んでくれてありがとう。
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