日本語教師ママ働き方変遷(保育園時代)
祝 上の子、卒園。
先日、上の子が無事保育園を卒園しました!!
パチパチパチパチ。
2歳から4年間通った保育園。
いろいろあったなあと振り返ってしみじみ。
こどもの成長に合わせて、私の働き方もいろいろ変えてきたので
今日はそのお話をしてみようと思います。
「これから出産・育児予定で、今まさに働き方に悩んでいる。」
そんな日本語教師の方々のご参考になれば幸いです。
1. 保育園入学時(養成講座講師)
我が家には子どもが2人います。
上の子が生まれる直前まで勤務していた職場は
「常勤講師」という扱いで1年更新だったため、
出産に伴い退職しました。
子どもは2人欲しいと決めていたため、
第二子出産まではフルタイムでの職場復帰は難しいと感じており、
自宅で隙間時間に在宅ワークをしていました。
そして第二子出産後に職場復帰を検討し始めます。
下の子が1歳になってからでも良いかなと思っていたのですが
保育園の相談を役所にしに行った時に
「育休中の方が優先になるので、求職中の方で
お子さん2人を同じ保育園に預けたい場合は、
0歳入園でなければ難しいです。0歳入園でも
別々の園になる可能性もあります。」と言われ、
次年度の入園を目指すことを決めました。
出産前に働いていた職場は朝が早く残業も多いため対象外。
新しい仕事を探すにも、子どもがいたら働けない。
でも預け先がなければ働けない。
育休中ではないママがよく陥る負のループに突入しました。
そこで目をつけたのが「一時預かり保育」。
仕事だけでなく親の休暇も含め、事前予約さえしておけば
子どもを預けられる保育園です。
園によって条件が異なるので、事前によく確認が必要です。
わたしはこの「一時預かり」を利用して、まずは週2〜3で
働き始めました。子ども0歳&2歳の時です。
じゃあ、どこで働き始めたのかというと
「日本語教師養成講座」です。以前関係があったところから
「養成講座の講師が不足しているのでお願いできないか。」と
ちょうど連絡があり、仕事を求めていた私は即決しました。
ただし仕事を引き受ける条件として、「4月までは週1〜3回数時間、
4月以降は週15時間以上の勤務を確保。」という内容を提示しました。
私の住んでいる市の公立保育園では週15時間以上働いていることが
保育園を利用する必須条件だったからです。
ありがたいことに養成講座からO.Kをいただき、
年末から週に数時間、子どもを一時保育に預けて
養成講座講師として働き始めました。
0歳児と2歳児をみながら講座のための資料作りは大変でしたが、
久しぶりの日本語教育の仕事は本当に楽しくて
「自分」を取り戻す時間でもありました。
授業中に胸が張ってきて母乳が服にまで滲み出てしまったり、
資料に誤字脱字があったりとうまくいかないことも多く、
「こんなんで講師をしていていいのかな・・・」と悩む日々でしたが
あの時の私の状況を理解して応援してくださった受講生の方々、
特に子育て先輩ママさん方にたくさん助けられました。
今でも本当に感謝しています。
こうしてなんとか数ヶ月を乗り切り、
4月以降はそこで20時間以上勤務という「就労予定」を市に提出し
みごと2人とも同じ保育園入園が決まりました。
(一次はダメで、二次でなんとか決まりました。)
4月以降は講師業&授業時間外は事務業務のお手伝いをさせてもらい
週15時間を確保しました。
2. 転職を考えた時期(養成講座講師→小学校英語専科)
養成講座講師として働き始めて約1年、年末に衝撃の事実が発覚しました。
「来年度から授業がほぼ映像視聴へ切り替わるため、現在行われている
教室内での対面授業は大幅に削減される。」というものです。
つまり週15時間以上の勤務時間が確保できなくなるということでした。
「保育園退園になるわけにはいかないし、どうしよう。。」
と悩んでいた私の元に、市の教育委員会から電話が来ました。
「来年度から市内の小学校で英語専科教員を配置することになったんですが
どうですか?」と。
どうしてそんな連絡が来たかというと、
実は第二子出産後、今後の仕事復帰の可能性の1つとして、
教育委員会に登録にいっていたからです。
私は国語&英語の教員免許を持っており、出産前は「外国にルーツを持つ児童・生徒の日本語教育」に関わっていました。
また可能であれば、そのような仕事に就きたいと希望していたため
「日本語担当希望」として市に登録をしておきました。
ただ今回は「日本語担当」としてではなく、「英語担当」としての募集です。
それまで「英語教育」に関わったことのない私は悩みました。
でも、
「子どもの言語教育」という面では共通している
日本語教育と英語教育は共通していることが多く、いつかは英語教育にも携わってみたかった
保育園退園を回避するためには挑戦するしかない
という理由から、引き受けることを決めました。
実はこの頃、勤務時間についても悩んでいました。
養成講座は夕方の授業が終わるのが遅いため
お迎えが19時直前になってしまう日がありました。
その時間に保育園に行くと、ほとんどの教室の電気は消され
唯一我が子2人と先生1人が待っている教室だけ
明るい状態でした。
2人ともまだ小さいので、それで文句を言うこともなかったのですが
特に冬の真っ暗な時間のお迎えは
ポツンとあかりが灯る部屋で3人が静かに遊んでいて
私を見ると2人が大喜びで駆け寄ってきてくれる姿に
胸が締め付けられる思いでした。
私が我が子を引き取ると先生がすぐに片付けを始め
帰宅準備をされるので、申し訳ないなあとも感じていました。
市内の小学校勤務であれば自宅の近くで働くことができ、
16時までにお迎えにもいける。
それも大きなメリットに感じました。
3. 療育開始時(小学校英語専科&オンライン日本語教師)
こうして保育園2年目、養成講座講師を退職し
小学校英語教師として働き始めました。
この年、娘の場面緘黙&吃音のために
療育も開始することにしました。
(そのことについてはこちらの記事で紹介しています。)
やはり未経験ということもあり、慣れるまでは大変でしたが
小学校の英語専科という仕事はとても私に合っていました。
私の日本語教育の始まりは海外の小学校だったということもあり
その逆バージョンにあたるこの仕事はこれまでの経験が活かせることが
たくさんありました。
また、勤務時間が午前〜15時ごろに固定されたため、
生活リズムも改善されました。
それまでは帰宅後の夕食作り&お風呂がバタバタで
就寝時間も22時以降になっていたのですが
転職後は21時就寝が可能となりました。
そして、娘の療育の日は授業数を少なくしてもらうことで
無理なく療育を続けることもできました。
何より小学校で働く同僚の先生方は
普段から子どもを相手にしている職業のため
子育てへの理解があります。
子どもの急な発熱によるお休みなども
養成講座時代にはなかなか許されない状況でしたが
(代わりの講師確保が難しいので仕方がないですよね・・・)
小学校では担任の先生にプリントをお願いしたり、
Google classroomから課題を配布したりということが可能となり
とても働きやすい環境だと感じました。
さらにこの頃から、日本語教師仲間からのお誘いがあり
オンラインでの日本語教育事業にも関わることになりました。
こちらは毎日ではなく、隙間時間を使ってのお仕事です。
小学校が長期休みの時は、英語専科のお仕事もなくなるので
2つの仕事を組み合わせることで、ちょうど良いバランスが
取れるようになりました。
4. 小学校入学に向けて(英語専科&個人事業主)
上記の働き方を始めて1年後、上の子が年中に入ったあたりから
小学校入学後の働き方を意識するようになりました。
世間で言われる「小1の壁」です。
調べたところ、学童保育に応募する要件として
「週4日以上勤務&午後14時以降まで勤務」というものがありました。
保育園とは少し変わってきます。
小学校英語専科教員(非常勤)は年度更新のため
毎年配属先の小学校が変わる可能性もあり、
学校の規模によって担当授業数も増減します。
毎年確実に週4日、14時以降まで勤務の条件を守れるのか
不安がありました。
(保育園要件の週15時間以上はどの学校も満たせることが多いです。)
「とはいえ英語専科の仕事を辞めたくはない。残りの時間を自分の裁量で量を増減しながら働く方法はないか。」
そう考えた結果、辿り着いた答えが「開業」でした。
小学校勤務以外の言語教育に関わる仕事を事業として証明するため
個人事業主として「開業届」を提出。
保育園や学童に必要な書類として「青色申告」も入っていたため
「青色申告承認申請書」も提出しました。
最初の1年目はオンライン日本語教師の収入のみで利益は数千円。
それでも青色申告で確定申告を行い、
実績を作って年長を迎えることができました。
そして年末、またまた新たなお話が舞い込んできました。
大学院時代の指導教官から「大学留学生別科で働かないか。」という
お誘いでした。講師が足りないということです。
(年末に突然チャンスが入ってくることが多い!!)
正直これには悩みました。その時は2校掛け持ちで英語専科をしており、
週5で小学校勤務がありました。
仕事にもなれ、充実した毎日の中で、あえてまた新しい仕事に
挑戦する必要があるのだろうかと考えたのです。
夫とも何度も話し合いました。
ポイントとしては、
小学校は来年度も2校掛け持ち週5で働けるかはわからない。
時給は大学の方が小学校の3倍。
小学校は授業準備時間も勤務時間に含まれるが、大学は含まれない。(結局労働時間を時給換算すると同じくらいなのでは?)
大学はまたゼロから授業準備なので多くの工数が取られる。
大学講師は採用数に限りがあり、求人が公開されずに紹介で決まることも多いので、今後もうチャンスはないかもしれない。
今後の日本語教師のキャリアに大学勤務経験は生きてくるかもしれない。
というところでした。
とにかく夫は私が仕事が忙しくなって余裕がなくなり
子どもに優しくできなくなることを心配していました笑
授業準備が思うようにできず、もう明日は授業!という日の夕方、
早く寝ない我が子にイライラしちゃう私を何度も見てきたからです。
(本当に反省。。。でも今もまだこんな日があります。)
話し合いを何度も重ねた結果、挑戦してみることにしました。
「まずはやってみる。それでうまくいかなかったら次の更新で辞める。」
と夫と約束をして。
5. 最後の1年(大学非常勤講師&英語専科&個人事業主)
上の子卒園までの1年間。二足ならぬ三足の草鞋を履くこととなりました。
当たり前ですが、初めての大学での仕事は慣れるまでに苦労しました。
(海外での大学勤務経験はありましたが、国内は初です!)
でもやはり始めてみると、学生や同僚の先生方から学ぶことは多く、
初等教育とは異なる高等教育の楽しさも感じることができました。
心配していた授業準備時間も、小学校の長期休みにある程度準備しておくことで、なんとか乗り切ることができました。
(でもやっぱり週末にやらなきゃ間に合わないことも出てきて
それなりに夫に迷惑もかけました。そしてたまに子どもに八つ当たりもしました。。。)
個人事業主の方は、引き続きオンラインでの活動をメインに
ちょこちょこ個人的に依頼された案件を引き受けたりもして
細々と続けてきました。
年間の収入も1年目よりは上がり(それでも微々たるものですが)、
目標にしていた学童の申し込みも英語専科&個人事業主の掛け合わせで
なんとか許可をもらうことができました。
大学非常勤講師に関しては、娘の入学に伴い一旦お休みをいただくことにしました。理由は娘の帰宅時間に間に合わないからです。
入学後、娘が学童を拒否することなく通えるようになったら、
半年後にまた復帰予定です。
(非常勤の立場なので、その時に枠がなければ復帰できませんが。)
まとめ
こんな感じで2人のこどもを保育園に入れてから、ほぼ毎年のように働き方を変えてきました。独身時代は「子どもが生まれても私はフルタイムでバリバリ働きたい!」なんて夢みていましたが、今となっては頭お花畑だった自分をぶん殴ってやりたい気分です笑。
全ては子ども次第。どんな子が生まれるかは生まれてみなければわからないですよね。しかも成長段階によって、必要な支援も変わってくる。
「柔軟に働き方が変えられること」の重要性を実感した4年間でした。
そもそも日本語教師のキャリアで、フルタイム(産休・育休取得可)の職場って少なくないですか?もしあったとしても、長時間労働すぎて子育てには向かなかったり。
小学校勤務を始めてから、子育て中の正規教員の先生方とも話す機会ができたのですが、昔と比べてだいぶ働きやすくなったようです。地方公務員なので、子の看護休暇など制度は手厚く用意されています。それでもやはりフルタイムで働かれている先生方は全員ご実家の近くに住まれており、実家の支援ありきで成り立っているとおっしゃっているので、実家が近くにない私には難しいなと思うのですが。日本語教師の世界も、もう少しキャリアに柔軟性があれば良いのになあと願うばかりです。
育休取得ができない状況で、これから出産や保育園入園を考えている皆さんへのアドバイスとしては
こんな感じです。
4月からは保育園児と小学生のWの生活が始まるので
しばらくまたバタバタしそうです。
私の仕事も今後どう変化していくのかまだわかりませんが。
チャンスが来た時に掴めるように
日々努力を重ねていきたいと思います。
あと、忙しくても子どもにあたらないように気をつけます。
日本語教師の出産後のキャリアについて
今後も深く考えていきたいなと思っています。
同じように悩まれている方、またこんな働き方が良かったよという
実践をお持ちの方は、ぜひコメントしていただけたら嬉しいです。
他の業種の方からの同じ悩みやアドバイスもちろん大歓迎です。
では年度末で忙しい時期ですが
みなさん一緒に頑張りましょう!!