嵯峨信之さんの詩を読む

はじめに

嵯峨信之さんの詩をはじめて読んだとき、「なんだろう、なんか、たのしいぞ」とおもいました。
現代詩文庫『嵯峨信之詩集』をひらいてすぐのところに、こんなことばがあったからです。

できるなら
ぼくはそこでその全部を暗誦したかつた
(生きた日のかぎりを)
それからプールの縁に桜草をいつぱい植えて行きたかつた
わらべ唄をうたい
遠い日の子供になつて

「別離」

二行目にある「そこ」も、「その」も、なにを指しているのか、わたしにはよくわかりません。
三行目の「生きた日のかぎり」ということばから、人生、生きてきた時間のすべて、みたいなものを指しているのかな、とかんじとることはできますが、それが正しいのか、自信はありません。
だから、この詩がなにを言おうとしているのか、その意味はわからない。
けれど、ただ、この、とても無邪気なかんじがいい、とおもうのです。
「できるなら」という一行目。控えめだけれど、つよい意志をかんじます。「暗誦したかつた」「植えて行きたかつた」と、願いが重ねて語られるところにもおなじように意志をかんじます。
そのように強い意志をかんじさせながらも、やりたいことは「プールの縁に桜草をいつぱい植え」ることです。なぜ、そんなことがしたいのか、さっぱりわからない。でも、なんだか、かわいい。
そのうえ、「わらべ唄をうた」う子供になって、そういうことがしたい、と書かれています。ただ子供のころにもどるのではなく、「わらべ唄をうた」う子供にもどりたいわけです。とてもかわいい、と、わたしはおもいます。
そのようなかわいいことばたちのおかげで、意味のよくわからない「暗誦したかつた」や「植えて行きたかつた」という願いが、こころの隙間にすっと差しこまれるようにかんじます。
というわけでわたしは、「なんだか、たのしいぞ」とおもったのです(もちろん、実際はもっと直感的なものだったのですが、逐語的にとらえると、以上のようになるわけです)。

さて、これから、嵯峨信之さんの詩をたくさん取りあげて読んでいきます。
嵯峨信之さんの詩の魅力はどこにあるのか、さがしながら書いていきます。まどろっこしいところがあるかもしれませんが、ご容赦ください。
とりあげた作品は、『嵯峨信之全詩集』(思潮社、2012)をあらためて読みなおし、特に惹かれたものです。なにか共通点があって選んだわけではありません。
しかし、どれも、無邪気で、かわいらしく、そして切実なことばです。生きること、死ぬこと、愛すること、そしてことば、それらとまじめに向き合った結果が詩となっているのだとおもいました。

では、みなさんも「わらべ唄をうた」う子供になって、無邪気にたのしんで読んでいきましょう。

※ 以下、引用は『嵯峨信之全詩集』(思潮社、2012)をもとにしています。
※本稿では、嵯峨信之さんの人生や生活を背景にした読み解きはしません(嵯峨信之さんの人生や生活のことを知らないので、できない、が正しいです)。詩としてそこに書かれた文字だけを読んで、心ゆくまでたのしむものです。

『愛と死の数え唄』より

いつまでもつづくかと思われる灰いろのその日その日を
きよう不意に無用の衣のように 誰かやさしくつまみあげる
そして霧の晴れまにあらわれた夕日にかがやく岩峰(ルビ:ピーク)をかいま見る
ぼくが救われるように
いまどこかの国で誰か祈つているかも知れぬ
気がつくとぼくは不二の裾野を遠く歩いてきたように疲れている
人間の内部で
神がそのひとを自らの成長に任せはじめる時がある
いまその業(ルビ:わざ)がぼくのなかでもゆるやかに行われているのだろう
ふしぎな寂寥のひろがりへぼくはそつと放たれる
ぼくは小さなまばたきをしながら
その透明なひろがりへ出ていく

「新生」(部分)

読んでいると、こころが透きとおっていくような、敬虔なきもちになる詩だとおもいます。
まず、だれかが「いつまでもつづくかと思われる灰いろの」毎日を「衣のように」「やさしくつまみあげ」てくれる、と書かれています。
あざやかなイメージ、そのうつくしさにはっとしますが、そのうえさらに、つまみあげられると「夕日にかがやく岩峰」が見えてきます。なんとうつくしい風景だろうか、と、ため息がでます。
わたしたちのつまらない、かわりばえしない毎日を、そっとつまみあげて、かがやく岩峰を見せてくれる存在がいる、ということです。
なんともうれしい存在です。
「ぼく」のことをおもってくれているひとはその存在だけではありません。「ぼくが救われるように」「祈つている」だれかもいる、と言います。
これもまた、とてもありがたい存在です。そんなひとがひとりいるだけで、「ぼく」はすでに「救われている」のではないか、とおもえます。
そして「ぼく」は、「神がそのひとを自らの成長に任せはじめる時」に「ゆるやかに」直面しています。
この「神がそのひとを自らの成長に任せはじめる時」というのが、わたしにはなぜだかよくわかる気がしてしまうのです。
なにかのきっかけで、不意に、自らが自らをみちびき、成長する瞬間がある、ということ。そういう瞬間があることを、みなさんも知っているのではないでしょうか。
それから「ぼく」は「そつと放たれ」「透明なひろがりへ出ていく」ことになりますが、この表現もうつくしいです。虫が羽化するときのようなうつくしさです。
と、ここまで書いて、いまさらながら、タイトルが「新生」なので、「ぼく」を胎児として読めば、すんなり読み解けるいうことに気がついてしまいました。
「神がそのひとを自らの成長に任せはじめる時」というのも、胎児が、母のおなかの中から出ていくことと読むほうがすんなり読めるかもしれません。
しかし、ひとの人生のなかで、「神がそのひとを自らの成長に任せはじめる時」というのがある、とおもうこともできる。胎児でなく、こどもでもおとなでも新しく生まれる瞬間があって、そのときは、おなじようにうつくしい光景を見る。
そう読むのも、いいんじゃないかとおもいます。

ぼくは知つている
たしかにぼくの周りは昔ひろびろとした湖だつたのを
この乾いた白い砂地の上の条跡は
かつてゆるやかな波が遠くからきてかいていつた皺の跡だろう
ぼくがいまも何かに追いかけられるのは波を追う波のせいだろう
ぼくの耳の中がしきりに騒ぐのは
どこか海の上を熱い風がわたつているからだろう
眠つているぼくがいつまでも目ざめないのは
空のひろさを考えているからだろう
こんなふうにしてひとりぼつちのぼくは一日をすごしている
ぼくのアドレスは誰も知らないから
とつぜん訪ねて来てぼくを驚かすものはいない

「湖」

冒頭の「ぼくは知つている/たしかにぼくの周りは昔ひろびろとした湖だつたのを」という二行でこの詩のなかにぐっと引きこまれてしまいます。わたしの周りも「ひろびろとした湖」になってしまいます。
そこには「白い砂地」があり、その砂地に波の跡があるのもはっきりと見えてきます。
「ぼく」は追いかけられ、耳の中が騒がしいのですが、これは、なにかおちつかないきもちのことを示しているのだとおもいます。
そのようにおちつかないきもちの「ぼく」は、「ひとりぼつち」で、すごしています。
「ひとりぼつち」ですが、さびしくはなさそうです。「ぼくのアドレスは誰も知らない」というところからは、ひとりでいることをうれしくおもっているような印象を受けます。
きっと、いま「ぼく」のいるところは、「アドレス」の割り当てられたどこかではなく、ただひとり、わたしだけの湖なのだとおもいます。
だから、だれも訪ねてくることはない。
ただひとり、波のこと、風のこと、空のことにおもいを馳せる、そういう場所に「ぼく」はいるので、まったくさびしくないんだろうと、そうわたしはおもうのです。

ぼくを解き放つはてに
終日(ルビ:ひねもす)鷗が啼いている
冬の白い日が死の海を遠くまで照らしていて
ときどき笹原の上を薄い雲のかげが通りすぎる
詩人をひとり葬るには
このようなしずかな砂浜がよい
たえず小さな波が斜めから走りよつて
たえず自らを自らの中に埋ずめつづける言葉の砂浜がよい

「碑銘」

この詩を読んで、いちばんうっとりすることばは、「詩人をひとり葬るには/このようなしずかな砂浜がよい」だとおもいます。
ひとつ前に読んだ「湖」は、この「しずかな砂浜」とおなじアドレスにあるのだとおもいます。つまり、どこにもない、わたしだけの場所ということです。
嵯峨信之さんはこのように、「詩人をひとり葬るにはよい」場所(=わたしだけの場所)のうつくしさ、はかなさ、さびしさを書いてくれます。そこに読者を導いてくれます。

『魂の中の死』より

川つぷちの木が
夕日を浴びてもつれた髪のように燃えさかつている
ぼくはそれをたつぷり眺めた
ゆるやかな川のながれはいつもとおなじゆるやかなながれだ
それからぼくはふたたび玩具の小さな船を作りはじめた
遠くで泳いでいたひとりの少年が
ぼくの前を悠々と川しもの方へ泳いでいつた
水の動きと時間のうごきのみごとな一致が
この川ぎしをおだやかに充たしている
変ることがこの川にはふしぎなことなのだろう

「休暇」

川沿いにいて、夕日を浴びているようです。
冒頭に描写される、夕日に赤く染まり、燃えているように見える木は、怖い光景のようにおもえますが、「ぼく」は「それをたつぷり眺め」ている、と、余裕綽々に書かれているので、きっと、怖いものではないのだろうとおもいます。むしろ、ただうつくしく、それに見惚れているのかもしれません。
次にあらわれる「ゆるやかな川のながれはいつもとおなじゆるやかなながれだ」という文字のならびにも余裕があります。その「ゆるやか」さに、なんだかわらってしまいます。
さらに、悠々と泳ぐ少年も出てきます。遠くにいる少年が「ぼくの前」まで泳いでくる。このカメラワークもここちよいです。
一篇をとおして、つねに、余裕のある風景が描かれています。ゆったりとしていて、こころからこの世界をたのしんでいるようにかんじます。
「水の動きと時間のうごきのみごとな一致」ということばからも、ゆったりとした川の流れとおなじように、ゆったりと時間が過ぎていく様子がかんじられます。タイトルのとおり「休暇」をこころからたのしんでいるんだとおもいます。
さて、この詩には、「川」、「木」、「夕日」という自然(nature)のものと、「髪」、「船」、「少年」という人間の関わっているものが登場します。
このふたつはさりげなく対比されていて、自然は変わらないもの、人間の関わるものは変わってしまうもの、として表されているように読めるのではないか、とおもいます。
だから、「変ることがこの川にはふしぎなこと」としめくくられるのだろうとおもうのですが、どうでしょうか。

いつぱい咲いたところから
花は散りはじめる
小さな神がどこかでその日を記しているのだろう
きようはある日からはるかに遠い日だ
散りしきる花吹雪のなかを
なぜかひとひらが遠いところへ舞い落ちる
    --一九四五・四・一日節子小学一年生

「御霊村小学校」

冒頭の「いつぱい咲いたところから/花は散りはじめる」という一文におどろきます。
「花」「咲く」「散る」ということばをならべると、たいてい、「花は散るために咲く」とか「花は散るからうつくしい」みたいなことを書いてしまうとおもうのですが、嵯峨信之さんは、いっぱい咲いているところから散る、と書くのです。
奇を衒っているわけでなく、むしろ、ふかく納得できることをさらりと書いていることにおどろきます。
そして、「小さな神がどこかでその日を記しているのだろう」ということばが、とてもかわいい。なんなんでしょうか、「小さな神」って。散った花ほどに小さいのかな、と勝手な想像を膨らませてしまいます。
つづいて、「きようはある日からはるかに遠い日だ」と書かれています。
この「ある日」は、「死」のことのような気がします。きょうは、もっとも死から遠い、生の只中にいる、と言いたいのではないか、とおもいます。
生の只中にいて、花が散る景色を見ている。祝福に満ちた詩なのではないかとおもいます。

本当にすばらしいじやないか
ぼくたちが別れた湖のところに一本のユーカリの木が立つていたのは
日記より
アルバムより
どこにいてもその香りは別れた日を思い出させる
悲しくなるとぼくはその木の下まででかけて
いつまでもひとりたたずんでいる
日によつて
風のぐあいで
水の匂いとユーカリの香りとほのかに混りあう
そんな夜はことに快よく熟睡することができる
ぼくはその幸福のために湖のほとりを離れたがらない
そしてユーカリの木はぼくの夢の中で日ごと夜ごと目にみえて大きく成長する

「ユーカリの木」

読んでいると、風が吹いて、「水の匂いとユーカリの香り」がほのかにしてくるようです。
この「ユーカリの木」は、現実に生えている木ではなく、「ぼく」にとってとてもたいせつな、しあわせの象徴だろうとおもわれます。
「別れた湖」に立っていた「ユーカリの木」です。この「別れ」は、どのような別れだったのか。わたしは、伴侶との死別がおもいうかびました。
しかし、そのような限定はされていませんから、友との別れ、親との別れ、恋人との別れ、ペットとの別れ、死別に限る必要さえもありません。なにをおもいうかべてもこの詩は読めるようにできているとおもいます。
「ユーカリの木」は、そうした別れたひととのおもいで、といいかえることができそうです。
「悲しくなるとぼくはその木の下まででかけて/いつまでもひとりたたずんでいる」というのですから、そんなたいせつなものをひとつでも持っている「ぼく」のことが、とてもうらやましくおもえてきます。
そして、「ユーカリの木」が、「ぼくの夢の中で日ごと夜ごと目にみえて大きく成長」していっているというところは、せつないきもちになります。たしかに、いなくなったひととのおもいでは「大きく成長」するばかりだとおもいます。
たいせつなおもいでをおもいだす夜は、だれにでもあるとおもいます。だから、「そんな夜はことに快よく熟睡することができる」ということばはおもしろいし、よくわかる気がします。
しあわせなおもいでにつつまれて眠る。生きていることのよろこびとむなしさを同時にかんじさせられます。

『時刻表』より

生きるための
暗い旅
小さなホテルの入口に立つている一本のポプラが妙に風にさわいでいる
手綱をひかれて馬がその横をゆつくり通つてゆく
それまでが一日の午後で
あとは長い夜がつづいて記憶はない
いなくなつたそのようなぼくを誰が捜しあてるか
消耗しつくしたものがぼくの外側までひろがりはじめて
やがてそのままぼくを全く包んでしまう

「暗い旅」

暗い色調の、ふしぎな一枚の絵のようです。わたしが想像したのは、マグリットの「光の帝国」という絵です。
「小さなホテルの入口に立つている一本のポプラ」も、「その横をゆつくり通つてゆく」馬も、とてもあやしげで、死後の世界のようなしずけさをかんじさせる存在です。
しかも、「ぼく」は、記憶をなくしてしまうし、誰からも探しあてられないし、「消耗しつくしたもの」というなんだかよくわからないものに包まれてしまいますから、やはり、死後の世界のようなものが描かれているようにかんじてしまいます。
しかし、一行目に、「生きるための」旅だ、とはっきり書かれています。
「生きるため」に、つかれ、きずついた結果、ほとんど死後の世界のような、この世の果てにたどりつき、みずからを休ませようとしているのかもしれません。
そうかんがえると、シンプルに、一日を終えて、つかれきったまま、布団にくるまって眠る、という内容のようにも読めそうです。
いずれにせよ、わたしたちひとりひとりに、自分のための「小さなホテル」がある、ということを確信させてくれるような、そんな詩のようにおもいます。

小さな岬を廻つて
誰ひとり乗つていない船が大きくはいつてきた
ぼくが忘れたのはその船のことではない
二人がぼんやりそれを見ていた一日のことである
もうその窓もなければおまえもいない
メモだけが残つている

「(小さな岬を廻つて)」

岬があって、その岬のむこうから船がやってくる。その景色が目に見えるようです。
海が光をうけてきらきらひかり、きもちよい風が吹いている、そういう海辺に立っているきもちにさせられます。
後半、失ったもののことが語られますが、失ったものの一つとして挙げられている「二人がぼんやりそれを見ていた一日」ということばの、そのうつくしさに茫然とします。わたしにも、そういう一日があったような、そんなふしぎな感覚に囚われてしまいます。
そして、その光景を見た「窓」もなくなり、ともにいた「おまえ」もいない。記憶も、ものも、ともにいたひとも失って、「メモ」だけが残されている。
わたしたちが生きているあいだに経験すること、そのとき実際にあったもの、それらはほとんどなにも残らないけれど、ことばだけは残る。そういうことを言っているのではないかとおもいます。
はかないことを言っているようですが、ことばだけは残る、という希望を言おうとしているのかもしれません。

『開かれる日、閉ざされる日』より

遅刻者である
何ごとにも
ぼく自身に到達したのもあまりに遅すぎた
ああ どうしたらいま自分にむかつて笑うことができるのか
川を越えてもさらにその向うに別の川が流れている
生きるとはついに終ることのない到達であろうか

「遅刻者」

「ぼく自身に到達したのもあまりに遅すぎた」という実感が、なんだかよくわかる気がします。
いつも、気づいたときにはすこし遅い、そんなことがあるとおもいます。
そして、「川を越えてもさらにその向うに別の川が流れている」というのも、実感に満ちたことばだとかんじます。
なにかひとつのことが終わっても、まだ次のやるべきことがある。「生きるとはついに終ることのない到達であろうか」という最終行の感慨にも、ふかくうなずいて同意してしまいます。
生きていると、どうもそんなことばかりですから、この詩のどの行にもふかく共感してしまいます。
そのことをまとめて「遅刻者である」と言うのが、どこかユーモラスさをかんじさせますし、みな、「遅刻者」なのだという、嵯峨信之さんからのおおきな慰めのようでもあります。

詩はどこをさまよい歩くのか
自分に帰るために 自分から遠ざかるために
夜はぼくの心のなかに眠る

朝 木の上の小鳥が小さな咳をする
開かれる日か 閉ざされる日か

「詩はどこを……」

最後の一行に、どきっとします。
まず、「詩はどこに」いるのか、という問いが立てられています。「夜はぼくの心のなかに眠」っているといいます。
そのあいだの一行「自分に帰るために 自分から遠ざかるために」というのが格好良いです。
詩を書こうとするとき、自分の内側から出てきたことばを書いているようでもあり、まったく別の、どこかからわき出てきたことばを書いているようでもあります。
また、詩を読んでわくわくするときというのは、わたしの中を言い当てられたようなときであり、かつ、わたしとはまったく別のことを言われているようなとき、なのです。
そういう相反するふしぎな瞬間こそが詩である、ということを、この一文から教えられます。
そして朝、小鳥の鳴き声とともに目を覚ますと、どうなるか。
そのこたえが「開かれる日か 閉ざされる日か」というわけです。
詩が、わたしのもとにやってきてくれるのかどうかわからない、そういう不安な状態だということです。
詩を書く者として、この不安さは痛いほどわかります。今日なにも書けないかもしれない、これから先ずっと「閉ざされる日」かもしれない、という不安。
一方、「開かれる日」、書けたときのよろこびは、なにものにもかえがたいものです。
このように簡潔に、詩のことを表してくれることばは、なかなかないのではないでしょうか。

『土地の名〜人間の名』より

円の中は
隅々まで明るい
そこに一匹の目高を泳がせよう

「(円の中は)」

この詩は、高橋順子さんが編者である『日本の現代詩101』にも取り上げられています。高橋順子さんは、「雑草詩篇Ⅱ」という章を連詩と捉え、その一部としてこの詩を鑑賞されていますが、ここでは一篇の詩として鑑賞したいとおもいます。
とはいえ、この三行だけではなかなか読めないのも事実です。隅々まで明るい円と、その中を泳ぐ目高のイメージのうつくしさ、と言うことはできますが、すこしものたりない。
なのでまず、「目高」に注目してみます。このモチーフは『魂の中の死』の「小品」にも現れます。

ぼくの血管の中
一部分が硝子管のように脆いところがある
いつそこに雷が落ちるか
こなごなにきらめく血の破片が飛び散るか
それでも愛がそこを通ると
小さな目高のように透明に見える
そのときぼくはせいいつぱい素直に生きようとおもう
荘厳な可憐さをやさしくみつめてその日を待つていよう
ぼくにむかつてくる唯一のぼくの死まで

「小品」(部分)

「愛がそこを通ると/小さな目高のように透明に見える」とあります。嵯峨信之さんにとって、「目高」は「愛」なのかもしれません。
次に、「円」のモチーフについてかんがえてみます。このモチーフは頻出するといってもよいでしょう。
たとえば、「『いまぼくは 透明な大きな円錐型の底にひきこまれようとしている一匹の蟻のようなものだ』」(「生と死」『魂の中の死』より)、あるいは「そう いつかぼくも捕えられるだろう/冷えきつた円の中に」(「(そう いつかぼくも捕えられるだろう)」『時刻表』より)といったものがあります。これ以外にも、直接「円」と書かれていないけれど、円的なモチーフはおおく使われています。
そして、この「円」のモチーフには死の影がただよっていることがおおいようにおもいます。先に挙げたふたつの「円」もそうです。
ということは、「目高」と「円」は、「愛」と「死」なのではないか。
嵯峨信之さんの第一詩集のタイトルは『愛と死の数え唄』です。「愛」と「死」は、嵯峨信之さんにとって、重要な要素だったとおもわれます。
だから、この三行だけのみじかい詩は、嵯峨信之さんにとって、重要な要素を結晶化させた一篇なのではないか。
たった三行にたいせつなことをぎゅっと、うつくしく結晶化させたため、読み手は、たった三行にもかかわらず「これはなんだろう?」と、どきっとさせられるのだと、わたしはそうおもいます。

『OB抒情歌』より

一茎の白い花は
少しばかりぼくの手に似ている
この手でいつも一つの窓を開いた
つややかな夕月が登つている
あの円い月までぼくの小さな好意がとどくだろうか

「(一茎の白い花は)」

すごくかわいい、としか言えません。
まず、「一茎の白い花」が「ぼくの手に似ている」というのがかわいい。なんて可憐な描写なのでしょうか。ナルシスティックと言われてしまえば、そうなのですが、わたしはかわいいとおもいます。
そして、そんなかわいい手で、「窓を開」き、月を見ます。
お花のような手で窓を開き、月を見る。とてもロマンチックな内容の詩です。
しかも、月を見ながらおもうことは、その月に「ぼくの小さな好意がとどくだろうか」ということなのです。「小さな好意」ということばのかわいらしいこと!
月は好きなひと、愛するひとのことで……、というように、よくかんがえれば暗喩を読みとくことができるかもしれませんが、わざわざそんなことはしなくてもいい、と、わたしはおもいます。
こんなささやかなかわいい一篇が書けたなら、と心の底からうらやましがる、それがこの詩の楽しみかたではないでしょうか。

あなたの手紙の余白は
夕顔の花のような匂いがする
あなたの語られぬ言葉の風に
わたしは蜜蜂のようにながされる
昨日も 今日も
晴れた日も 雨の日も

「(あなたの手紙の余白は)」

詩というのは、短歌や俳句、川柳も含めて、余白のおおい文芸なのですが、この詩では「手紙の余白」から、「夕顔の花のような匂い」が漂ってきます。
なんとも優雅なお手紙です。その匂いにつられて「わたしは蜜蜂のようにながされ」てしまいます。
恋の詩なのでしょうか、はっきりとはわかりませんが、よろこびに満ちた、うれしい詩だとかんじます。
『魂の中の死』にも、「余白のある手紙」という詩において「手紙」のモチーフが出てきます。おなじように「余白」と「匂い」に触れられています。

ひとつの余白の多い手紙をあなたは読みふける
砂漠からながれでた青い流れのように
それを書いたひとのおもかげはもう跡かたもなく消えている
ふたりのあいだには匂うような日があつたのだろう

「余白のある手紙」(部分)

こちらは失恋、あるいは別離の気配をかんじる詩です。
いずれの詩にしても、手紙に書かれたこと、そして書かれていないこと(余白)、そのどちらもが手紙を書いたひとをかんじさせてくれるものなのだ、ということです。
この手紙は、まるで詩のことを言っているようにかんじられます。詩に書かれていることだけが詩ではなくて、詩に書かれていないことにも詩がある。
わたしたちは「蜜蜂」のように、書かれていない言葉からただよう「匂い」につられて、詩を読むのかもしれません。

『小詩無辺』より

アネモネの花の小鉢を部屋に入れる
窓から
雨のあがつている街道が見える

まだ少し時間があるから
新書の頁を切つておこう

「待つ」

「雨のあがつている街道」ということばには、なにも具体的なことが書きこまれていないのですが、わたしにはなぜか、その街道があざやかにおもい浮かべられます。
雨に濡れた石畳みの道が、陽に照らされてきらきらとひかりかがやいている。傘を閉じたひとが歩いている。すこしひんやりとした風がわたしの髪を揺らす。
そんなことを想像してしまうのは、「アネモネの花の小鉢を部屋に入れる」という一行目の、ふんわりとした具体的な行動のおかげでしょう。
小鉢の、すこし重いあの感覚が手に伝わってきて、窓があって、街道が見えてくる。このことばの順番が、わたしの想像力を刺激してくれるのだとおもいます。
そして、なにを待っているのかはわかりませんが、「まだ少し時間があるから/新書の頁を切つておこう」と結ばれます。
「まだ(死ぬまでには)少し時間があるから」ということかもしれません。
ひまをつぶすように、でもわくわくしたきもちで「新書の頁を切」る。本を読むわくわくのすべてがここに書きこまれているような気がします。

空をゆく鳥は跡を残さない
なぜ地上を歩くものは跡を残すのか
それは言葉があるからだ
その言葉が魂しいの影を落とすのだ

「(空をゆく鳥は跡を残さない)」

愛するように
太陽はすべての影をま上から奪つてしまう
水差しには水はない
だれかが
その空(ルビ:から)の水差しをだきしめて小さな港の方へ走つていく

「(愛するように)」

言葉はだれかが脱ぎ捨てた影だろう
それでも
火をつけると
白い片翼のように輝く

「(言葉はだれかが脱ぎ捨てた影だろう)」

「エスキス」という章から、印象的な詩篇を取り出してみました。
鳥とちがい、わたしたち人間には「言葉」がある。そして、その「言葉」というものは「魂しいの影」であり、「だれかが脱ぎ捨てた影」なのだ、と嵯峨信之さんは言います。つまり、「言葉」は実体ではない、ということです。「跡」でしかない。
しかし、そのように「跡」(=ことば)を残せるのは、「地上を歩くもの」、人間にだけできることです。しかも、ことばは「火をつけると」「輝く」ものなのです。うつくしく、わたしたちを魅了し、みちびくものだと言っているようにわたしにはおもえます。
つまり、ことばに対する疑いや諦め、にくしみのようなものと、希望や愛情、感謝、信頼といったもの、そういった相反するきもちが入り混ざって表されているようです。
そして、太陽がま上にくれば、影はなくなってしまう、と書かれています。
この太陽は、「愛するように」と書かれていることから、「愛」そのもののことだとわたしはとらえました。つまり、「愛」に照らされると、ことばがなくなってしまう、ということではないか。愛のまえには沈黙するしかない、というような意味ではないか。
ここでわたしがイメージしている愛とは、神のようなものです。特にキリスト教のような全知全能の神です。全知全能の神のまえでは、わたしたち人間は沈黙するよりほかない、ということです。
そのように、沈黙するよりほかないわたしたち人間のなかでひとりだけ、「空の水差しをだきしめて小さな港の方へ走つていく」だれかがいます。
このだれかとは、詩人のことだと、わたしはおもいます。
たとえ「すべての影」(=ことば)が奪われようと、ことばを求めて走ってゆく、そういう存在が詩人なのだ、と嵯峨信之さんは言っているのではないか、とおもうのです。

人間の肉体のどこから
運命がはいりこんでくるのか
その運命がどこから出ていくのか

天気のいい日も
わるい雨の日もある

坂道をのぼりつめると
そこから下りになつて広い川ぎしに出る

ぼくはだれとだれとを
いつ頃愛し いつ別れたか
その青春の日々も
老いた昨日も
もう記憶からはるかに遠い

なのに
ぼくはここに居る
たしかにいまここに存在している

大きな花束のように
ぼくの全部をいま手に重く持つてみたい
消えてしまつた運命の日々を

「花束のように」

人間の肉体に宿された「運命」(=死)を、嘆くようでいて、もう完全に受け入れている諦念がそこはかとなくかんじられます。
「坂道をのぼりつめると/そこから下りになつて広い川ぎしに出る」というのは、情景描写としてもたのしいですが、「運命」のことを表しているのだろうとおもいます。
わたしたちは若いうちは「坂道をのぼ」っていますが、いずれ「下りにな」り、そして、死という「広い川ぎし」へたどりつきます。
「川ぎし」にたどりついたとき、これまで生きてきた時間、記憶はうすれ、「たしかにいまここに存在しているる」という事実だけがたしかなこととして、わたしを包みこんでゆくのかもしれません。
まだ「川ぎし」にたどりついていないわたしとしては、嵯峨信之さんにはそういう予感があったのだろうか、と推察するばかりです。
なにはともあれ、結句に置かれた「大きな花束のように/ぼくの全部をいま手に重く持つてみたい」ということばがとてもうつくしいです。この詩の魅力はここに尽きるのではないかとおもいます。
生きてきたすべてが「大きな花束」となり、わたしの「手に重く」わたされる。
生きていることが大切なことだとかんじられるだけでなく、死ぬことがこわくなくなるような、そんなことばだとわたしはおもいます。

未収録詩篇より

小さな駅を
丘の上に見ながら歩いていった
その日におまえにはじめて出会ったのだ
おまえは上機嫌で
ぼくの心いっぱいを明るくした

遠くで鐘が鳴っていた
ふるえるその音が心のなかに消えたことも憶えている

「(小さな駅を)」

「小さな駅を/丘の上に見ながら歩いていった」という冒頭から、なんだかゆかいな詩です。たのしいかんじに満ちています。
そして、その場所で上機嫌な「おまえ」に出会います。この「おまえ」を、愛するひとととらえ、恋愛詩として読んでもかわいらしいのですが、やはり、この「おまえ」は、詩のことなのだろうと、わたしはおもいます。
「ぼくの心いっぱいを明るく」する存在、それはもちろん愛するひとでとあるとおもいますが、詩人にとっては、詩もそうだとおもうのです。
最後に、遠くで鳴っていた鐘の音が心のなかに消えていきます。この鐘の音はなんなのでしょうか。
恋愛詩として読めば、愛するひとに出会った胸の高鳴りのようなものの象徴として読むことができそうです。それでもいいとおもいます。
では、詩に出会った詩人のこととして読むならどうでしょうか。
遠くで鳴っていた鐘の音というのは、わたし以外のひとが書いた詩のことで、たとえば萩原朔太郎や中原中也や宮沢賢治といった詩人たちによって書かれたすばらしい詩、あるいは同時代の詩人によって書かれたおどろくべき詩、そういった、いつかの、どこかで書かれた、わたしの胸を打つ詩が、遠くで鳴っていた鐘の音のようにわたしに届く。そういう雷にうたれたような、衝撃的な経験が、おおくの詩人にはあるとおもいます。わたしにもあります。
その鐘の音は「心のなかに消え」てゆく。
詩は、なにか大切なことをおもいだすために書かれている、とわたしはおもっています。
詩人は、心のなかに消えていった鐘の音を、どうにかしてもう一度聞くために詩を書いているのかもしれません。
というわけでわたしはこの詩を、恋愛詩としてではなく、詩について書かれた詩として、読んでしまうのです。

左手は高くあげて
さようならと別れの挨拶をする手だ
右手は
いつも暗い秘密におののく手だ
両手がゆきあうと
素知らぬ顔でゆきすぎる

「(左手は高くあげて)」

「左手」のうつくしさにうちふるえます。
影になったひとが、高く左手を挙げてこちらに別れを告げているのが見える気がします。
「暗い秘密」の意味はわかりません。「両手がゆきあう」という描写も、正直に言えばとてもとらえにくい表現だとおもいます。
ただただ、この「左手は高くあげて/さようならと別れの挨拶をする手だ」という断定がうつくしく、おどろいてしまいます。
嵯峨信之さんに出会ったことがないのに、嵯峨信之さんに出会ってしまったような、そんなきもちになる詩です。

あなたの手のなかにある話を
だれにも聞かせておあげなさい
夕日に顔がまぶしいなら
そっと立っていって窓かけをおろしましょう
そしてふたたび話をつづけるのです
新らしいひとがはいってきたら
なにか別の話を考えておあげなさい
もし何も話がなければ
硝子戸ごしに見える一本の老樹についてお話しなさい
わたしたちも老樹もただかりそめの時の客なのです

「(あなたの手のなかにある話を)」

この詩を読んで、わたしは、立原道造の「小譚詩」をおもいだしました。「一人はあかりをつけることが出来た/そのそばで 本をよむのは別の人だつた/しづかな部屋だから 低い声が/それが隅の方にまで よく聞えた(みんなはきいてゐた)」という四行からはじまるうつくしいソネットです。
嵯峨信之さんの詩には、中原中也や津村信夫、立原道造のような、ピュアなアドレッセンスさがあるようにおもいます。おとろえることのないアドレッセンス。
さて、この詩は、わたしたちへ「話をつづける」ことをうながします。
まぶしいなら窓かけをおろして、話がなくなれば窓の外の老樹のことを、とにかく話をつづけろ、と言います。
ひとはことばでできている生き物ですから、絶えず話をつづけることで、文化を繋ぎ、あたらしい歴史を紡いでいくことができるのだとおもいます。
しかし、ここでは、「何も話がなければ/硝子戸ごしに見える一本の老樹についてお話しなさい」とまで言います。文化をつなぐとか、歴史を紡ぐ、みたいなこととはなにかちがうことを言おうとしているようにかんじられます。
つまり、目のまえにある「一本の老樹」について語ること。これは、文化や歴史ではなく、わたしたちが手元で、ささやかに書き記している詩のことだとおもうのです。
嵯峨信之さんは、わたしたちに、ささやかな詩をささやかに書いていけ、と言ってくれているのではないでしょうか。
最終行にあるとおり、わたしたちは「かりそめの客」です。「老樹」も「かりそめの客」です。ですが、老樹について話したことば(=ささやかな詩のことば)は「かりそめ」ではありません。永遠に残ってゆくものかどうかは(わたしには)わかりませんが、すくなくとも「かりそめ」ではない。
だから、詩を書いていけ、詩を絶やさず書いていけ、と、そう言ってくれているような気が、わたしにはします。

おわりに

嵯峨信之さんのことばは、澄んだ水のようにうつくしく、わたしのからだにゆっくりとしみていきます。
このように読みなおすまえから気がついていたことではありますが、わたしがこれまでに書いてきた詩のなかには、嵯峨信之さんのことばが紛れています。
もちろん、盗作とか盗用ではありませんので、誤解しないでください。「湖」とか「広い」とか「歩く」といった、ごくあたりまえの単語、語彙において、書いたわたしにだけ「これは自分の語彙ではなく、嵯峨信之さんの語彙だ」とかんじられることばがある、という意味です。
じぶんのなかに嵯峨信之さんの詩がしみていることをかんじて、たのしくなる瞬間です。
とはいえ、詩を書くときには、嵯峨信之さんだけでなく、そのほかの詩、音楽、美術、ドラマ、映画、これまでわたしが触れてきたあらゆるものがわたしというひとりのひとにしみていることをかんじます。
それらが詩として、ふしぎなかたちで現れてくるのは、なんともゆかいな経験です。
「はじめに」で取りあげた「別離」という詩の「できるなら/ぼくはそこでその全部を暗誦したかつた」ということばが、いま、ふいに、しっくりきたような気がします。
わたしは詩を書くことで、わたしのすべてをおもいだし、暗誦したいのかもしれません。
これからも、何度も嵯峨信之さんの詩を読んでいきたいとおもいます。みなさんも、ぜひ、読んでみてください。

いいなと思ったら応援しよう!