3カズオ・イシグロの「Living」と 黒澤明の「生きる」
黒澤明の不朽の名作『生きる』(1952年)が第二次世界大戦後のイギリスを舞台に蘇る。小説「日の名残り」、「わたしを離さないで」などで知られるノーベル賞作家カズオ・イシグロは、若かりし頃にこの黒澤映画に衝撃を受け、映画が持つそのメッセージに影響されて生きてきたと語る。そんな彼が脚本を手掛け、この鬱屈した時代に新しい『生きる』を誕生させた。
イシグロは、黒澤映画の“何事も手柄が得られるからやるのではない。世間から称賛されるからやるのではなく、それが自分の成すべき事だからやる。”そんな人生観に魅力を感じており、それは、戦後の日本もイギリスも、そして現代においても変わらないと語る。オリジナルの高い評価に怯えることなく、長年抱いてきた戦前・戦後のイギリス文化への憧れを支えに、自分なりの英語の脚本を書いた。
監督には、「イギリスに対して先入観を持たない人物。映画的でありながら新鮮で新しい作品を作り上げることができる人物」として、2011年に『Beauty』(原題)でカンヌ国際映画祭のクィア・パルムを受賞したオリヴァー・ハーマナスに白羽の矢が立った。彼は今作を普遍的で現代に伝えるべき重要な物語だと捉えていた。オリジナルをリスペクトしながらも自分たちのものを作ることにチャレンジしたという。1953年。第二次世界大戦後、いまだ復興途上のロンドン。公務員のウィリアムズ(ビル・ナイ)は、今日も同じ列車の同じ車両で通勤する。ピン・ストライプの背広に身を包み、山高帽を目深に被ったいわゆる“お堅い”英国紳士だ。役所の市民課に勤める彼は、部下に煙たがられながら事務処理に追われる毎日。家では孤独を感じ、自分の人生を空虚で無意味なものだと感じていた。そんなある日、彼は医者から癌であることを宣告され、余命半年であることを知る――。
彼は歯車でしかなかった日々に別れを告げ、自分の人生を見つめ直し始める。手遅れになる前に充実した人生を手に入れようと。仕事を放棄し、海辺のリゾートで酒を飲みバカ騒ぎをしてみるが、なんだかしっくりこない。病魔は彼の身体を蝕んでいく…。ロンドンに戻った彼は、かつて彼の下で働いていたマーガレット(エイミー・ルー・ウッド)に再会する。今の彼女は社会で自分の力を試そうとバイタリティに溢れていた。そんな彼女に惹かれ、ささやかな時間を過ごすうちに、彼はまるで啓示を受けたかのように新しい一歩を踏み出すことを決意。その一歩は、やがて無関心だったまわりの人々をも変えることになる――。
黒澤明の「生きる」
『生きる』(いきる)は、1952年に公開された日本映画である。監督は黒澤明、主演は志村喬。モノクロ、スタンダード、143分。東宝創立20周年記念映画。無為に日々を過ごしていた市役所の課長が、胃癌で余命幾ばくもないことを知り、己の「生きる」意味を求め、市民公園の整備に注ぐ姿が描かれている。渡辺は体調不良のため休暇を取り、医師の診察を受ける。医師からは軽い胃潰瘍だと告げられるが、実際には胃癌にかかっていると悟り、余命いくばくもないと考える。渡辺は若い彼女の奔放な生き方、その生命力に惹かれる。とよは玩具会社の工場内作業員に転職した。自分が胃癌であることを伝えると、とよは自分が工場で作っている玩具を見せて「あなたも何か作ってみたら」と勧めた。その言葉に心を動かされた渡辺は「まだ出来ることがある」と気づく渡辺は復帰後、頭の固い役所の幹部らを相手に粘り強く働きかけ、ヤクザ者からの脅迫にも屈せず、ついに住民の要望だった公園を完成させ、雪の降る夜、完成した公園のブランコに揺られて息を引き取った。市の助役ら幹部が渡辺の功績を低く貶める話をしている中、新公園の周辺に住む住民が焼香に訪れ、渡辺の遺影に泣いて感謝した。通夜の翌日。市役所では、通夜の席で渡辺を讃えていた同僚たちが新しい課長の下、相変わらずの「お役所仕事」を続けている。しかし、渡辺の造った新しい公園は、子供たちの笑い声で溢れていた。
イワン・イリッチの死は黒澤明にインスピレーションを与えた1作であった。
一官吏が不治の病にかかって肉体的にも精神的にも恐ろしい苦痛をなめ、死の恐怖と孤独にさいなまれながらやがて諦観に達するまでの経過を描く。題材は何の変哲もないが、トルスト(1828-1910)の透徹した人間観察と生きて鼓動するような感覚描写は、非凡な英雄偉人の生涯にもましてこの一凡人の小さな生活にずしりとした存在感をあたえている。
『夜と霧』を著した精神科医であるフランクルは、人はどんなに劣悪で非人間的な制約の下でも、なお人間らしくあり続ける自由を持っており、そのような自由を実現する人間を「制約されざる人間」と呼んでいる(『制約されざる人間』)。そしてまた、苦悩が耐え難いのは、そこに意味が感じられないからであるが、こうした無意味感は苦悩や人生を自己を中心に見ているからであるが、人間は人生や苦悩から問われている存在であり、その問いかけに応答することによって「苦悩の意味」が成就されると述べている(『苦悩する人間』)夜と霧より
私の前には私の妻の面影が立ったのであった。そしてそれから、われわれが何キロメートルも雪の中をわたったり、凍った場所を滑ったり、何度も互いに支えあったり、転んだり、ひっくり返った りしながら、よろめき進んでいる間、もはや何の言葉も語られなかった。しかしわれわれはその時各々 が、その妻のことを考えているのを知っていた。時々私は空を見上げた。そこでは星の光が薄れて暗い 雲の後から朝焼けが始まっていた。そして私の精神は、それが以前の正常な生活では決して知らなかっ た驚くべき生き生きとした想像の中でつくり上げた面影によって満たされていたのである。私は妻と語 った。私は彼女が答えるのを聞き、彼女が微笑するのを見る。私は彼女の励まし勇気づける眼差しを見 る―――――そしてたとえそこにいなくても――彼女の眼差しは、今や昇りつつある太陽よりももっと私を照らすのであった。その時私の身をふるわし私を貫いた考えは、多くの思想家が叡智の極みとしてその生涯から生み出し、多くの詩人がそれについて歌ったあの真理を、生れて始めてつくづくと味わったとい うことであった。すなわち愛は結局人間の実存が高く翔り得る最後のものであり、最高のものであると いう真理である。私は今や、人間の詩と思想とそして――信仰とが表現すべき究極の極みであるものの意味を把握したのであった。「愛による、そして愛の中の被造物の救い―――」これである。たとえもはやこ の地上に何も残っていなくても、人間は――瞬間でもあれ―――愛する人間の像に心の底深く身を捧げる ことによって浄福になり得るのだということが私に判ったのである。収容所という、考え得る限りの最も悲惨な外的状態、また自らを形成するための何の活動もできず、ただできることと言えばこの上ない その苦悩に耐えることだけであるような状態――このような状態においても人間は愛する眼差しの中に、 彼が自分の中にもっている愛する人間の「精神的な像を想像して、自らを充たす」ことができるのである。 天使は無限の栄光を絶えず愛しつつ観て浄福である、と言われていることの意味を私は生れて始めて理 解し得たのであった。123ページから
このように考えると、『イワン・イリッチの死』は、人生と苦悩の無意味性を悟った主人公が死の間際で「苦悩の意味」を成就するという、稀有の小説であるように思われる。(自由の為の契約に続く)