透光の木「私を買ってくだい」原作高木のぶ子
『透光の樹』(2004年)
衝撃の問題作!
「買ってください、私を」 至純の恋心と肉の悲しみ。 千桐は娼婦になった」
高樹のぶ子 文藝春秋刊
『透光の樹』2004、日本
ストーリー
昭和63年。映像制作プロダクション「センチュリー・井郷は、金沢の旅行番組を手掛けることになった。郷は、25年振りに鶴来町を訪れる。畑 の中にポツンと生えている六郎杉が目当てだったが、その途中で彼は火峰の家の前を通り掛かる。郷は火峰の娘である千桐と再会現在は12歳の娘・眉を育てるシングルマザーになっている。火峰は年老いて寝たきり生活になり、痴呆の症状が進行していた。火峰が多額の負債を抱え込んだため、千桐は 貧乏生活を余儀なくされていた。「千桐は「そやから、お金お借りして、 私を差し上げることです。私で良かったら」と言う事です。郷は寝室で千桐と2人になり、札束の入った封筒を差し出した。「困るわ、こんな大金、私、そんな値打ち無い」と千桐が言うと、郷は 「いいんだ。謝られると困る。これで肩の荷が下りた」と告げる。千桐は、「もう少し、待っとって 下さい。郷さんの娼婦になるって」後日、医者の診断を受けた郷は、悪性の腫瘍があるので手術を急ぐべきだと勧められる。しかし随分と進行していいるため、完治は難しいと 言われる。「直腸から肛門まで切り取って、どうやってセックスするんですか?」郷は手術ではなく、薬での治療を選択した…。
根岸吉太郎監督で原作は高樹のぶ子の『透光の樹』である。
脚本は田中陽造で、製作は朝野勇次郎。プロデューサーは岡田裕、音楽は日野皓正である。
千桐を秋吉久美子、郷を永島敏行、火峯を高橋昌也、松子を吉行和子、大学教授を森山周一郎、麻子を戸田恵子、千桐の元夫を平田満、寿司屋の親方を寺田農、釣り仲間を田山涼成、熊谷をうじきつよし、など、1999年度谷崎潤一郎賞を受賞。この映画は、作品そのものよりも、製作を巡って起きた事件の方が遥かに話題となった。当初、郷役に起用されたのは萩原健一だったが製作側の意向で途中降板させられ、前払いした出演料の半額を返還するよう要求された。萩原は一方的に降板させられたとして返還を拒否するだけでなく、逆に全額の支払いを要求した。2004年6月、プロデューサーの岡田裕の留守電に出演料の支払いを要求するメッセージを吹き込む際、萩原は国税局や警視庁、そして暴力団の名前を挙げた。これにより、彼は恐喝未遂で逮捕された。ショーケンを降板させた理由について、岡田プロデューサーは彼が常軌を逸した行動を繰り返したことを挙げている。
それは撮影初日から始まっていた。地方ロケの撮影中。縁側に座ってツンとしている秋吉さんとオクから悪態をつきながら出てくる萩原さんを映画のワンシーンの様に覚えている。ショーケンは荒れていた。常軌を逸脱したというほどではない。いつも通りのショーケンのわがままの様にも見えた。岡田プロデューサーは根岸監督と秋吉さんと萩原さんの三角関係で頭を抱えたであろう。そんなショーケンの降板を受けて、代役に起用されたのが永島敏行である。「サード」「遠雷」と縁の深い俳優である。この映画のプロデューサーは岡田裕だが、朝野勇次郎が製作者である。映画は、彼の影響力が非常に強い中で撮影されている。秋吉久美子は惜しげも無く脱いでいるし、熟女としての艶っぽさを存分に振り撒いてる。ラストの60歳にも達していないはずのに「ボケて娘も分からない」透光の木とはいったいなんだろうか。この作品は、女の生き様を映像化できたのか。金沢の観光映画なのか。 1986年7月12日公開の「波光きらめく果て」を藤田敏八監督が、松坂慶子主演にして公開してから8年後に高樹のぶ子の小説を映画化したことになる。波光の女性は自分の欲望や感性に正直なばかりに男との愛に走ってしまい、身内や故郷からはじき出される女の姿を描いていたが、透光の女性は真逆である。昭和の女も生きるのは、大変なことである。この映画は男が主役なのか女が主役なのか。