ゴッホの耳 マルコスの耳
マルコスから皆様へ
「耳を切られても」
「聞く耳を持たぬものたちへ」
イエスはそっときられた耳へ手を当てた。ペテロに切られた右耳が、元に戻った。マルコスはこの人は何者だろう。人間業ではない。イエスはペテロに言葉を残している。「剣を持つものは、剣で滅びる」が、マルコスには一言も言ってない。マルコスは驚き戸惑っている直った耳で何を聞いたのだろうか。「私が神である」と聞こえたのだ。キリストを捕だくに来た大祭司師の使いの剣士は、イエスにとつて敵でありこれから起こる恐ろしい出来事に、引っ張って行こうとする者たちの一人である。また弟子ペトロの失敗をイエス自身が、償ったのである。この捕物事件の一瞬に、多くの教えを残しているのである。こんな大変なことが起こってるのに誰一人として気づいた様子がない。それは、「主がすることは沈黙の中にあり」きずくものは少ない。ことに思われる。
やってみた人がいる。フィンセント・ファン・ゴッホである。
彼の耳切り事件は、精神病とされているが、自分の耳を切るという常識では考えられない行為は、精神病と診断されることだろう。それまでも、ゴッホはいろんな言葉を聞いていた。絵が描けなくなったのは右耳に啓示がなくなったからだと思った彼は「マルコスの耳」をを思い出した。そして実行した。耳が再生されまた聞こえるかもしれないと思い詰める。耳切り事件の後に「ひまわりの5作目」が描かれた。損保ジャパン日本興亜が58億円で落した作品である。ロンドンのナショナルギャラリーのひまわりをベースに描かれた作品で、ロンドンのものと比べると、より深い黄色を使って15輪描かれている。ゴッホはアルル市立病院に収容され、耳切り事件。その後もゴッホはてんかん。総合失調症。で入院。ひまわりの声を聞き、空の空間に浮遊する歌を聞いたのだ。主の声も聞こえていたのだろう。光が、聞こえ、また見えたのだ。この説は何の根拠もないが、これもまた「啓示」なのである。耳を凝らしても聞こえません。一度、悪き音(魅力的な誘惑)を断ち切って、新しい言葉を聞きましょう。ゴッホほどの行為がなくとも、出来ると思います。あのシーンはユダの裏切りや、弟子達の行動に驚いて、見逃しがちですが、ゲッセネマの奇跡(しるし)として記憶しましょう。