電信柱とカラス
(子供とお母さん街角で)
「ねえ。お母さんあの背の高い案山子のお化けみたいな長いぼうのうえに、カラスが巣をつくっているよ。父さんのぼうしみたいだね」
(父はいっも麦藁帽子をひつくり返して上の方に置いていたのだ。
「あれは電信柱というんだよ。電気を届けてくれるんだよ」
「電気?」
夜になっても明るいだろうあれが電気だよ。父は明るい人だった。夜明るいのが電気なんだ。
街のカラスはそのことを知りません。ベランダからハンガーをあっめては巣ずくりに、せいをだしていましたが、とうとう電線と触れて火がでてしまいました。
電信柱が燃え落ちてしまいました。
(燃える電信柱は父の火葬のイメージと重なる)
電信柱が燃えてしまうと街に電気が届きません。夜になっても真っ暗です。なんだかカラスが黒いのはそのせいのようなきがしました。
道路を掘り起こして電気工事をしている電気工事の人たちは燃えた電信柱を撤去しています。新しい電信柱は立たないそうです。電信柱はドカンになって地面の中に埋められて地中で横になってしまうそうです。父の遺骨は土の中のイメージ。
子供は、電信柱が無くなってカラスの家なくなってしまうのを心配しました。
次の日も次の日も電信柱にあうことはありませんでした。お母さんが見えなくなっても足の下の土の下で、電気をとどけているんだよ。夜になっても明るいだろう。たしかに夜になったら明るく光っているのでした。遠くの方で、カラスはカーカーと泣きながら山の方へ帰って行きました。電信柱とカラスと一年生の子供とお母さんと父の話です。さっきまであったものも場所を変え姿を変えて存在すること。ささいな理由で物事は変化する事。電信柱は消滅したが、原風景として街のイメージであり地中に埋められた電線が、死んで眠る父が子供と母を温かく見守っているということ。
父さんは亡くなってもどこかで見守っている。電信柱は父のイメージです。父は帽子をひつくりかえして、棚の上に置くのが習慣だった。死んだ父が今は墓の下で父の役割を果たしているのだろとといったイメージなので、絵本の最後には父の写を入れて欲しい。実はカラスは父なんです