4イワン・イリッチから渡辺勘治へまたミスター・ウィリアムズへ渡されたリレーそのバトンとは!
「生きる」とは何か。
「命と引き換えにあなたに生きることの意味を教えよう。この世にある全てのことは生きるに値しない。あなたの魂が昇華され感謝されるか、またすることの意味を知ったとき命をいただきに行こう
これは命を生きる契約である。サインするかどうかは自由である」Hiro
今日もまた日は昇る
イワンの人生
黒澤明監督『生きる』にインスピレーションを与えた作品です。
不治の病に侵され死の恐怖と苦痛に悶え苦しんだ男が、最後の死の直前に見た「光」がなんだったのか。死は終わった
誰もが直面する死を体験するようなリアリティがある。死ぬまで生きるのか、生きるから死ぬのか。生きる為に、死ぬのか。苦痛はなんのためだったのか。答えはなかったが、死は去って、光があった
渡辺堪治の人生
彼は市民が陳情してくる様々な要望、課題を次々に解決して大活躍…といきたいが、山のように積みあがった陳情書をひとつひとつ確認し、役所の中の正しい部署であろうところに送り出すための確認、捺印といった、ある意味、充実している作業をこなす日々。何の疑問もなく、自分の仕事の意義など考えないような、普通の状態です。当然のことながら、仕事において目覚ましい成果など期待しません役所へ再び出勤した彼は、すでに決裁していたはずの書類の山の中から、ある陳情書を見つけます。そしてその陳情に関して、積極的に働きかけようと車を手配させ、現地へ赴こうとするのです…がしかし!さて彼は何かを成し遂げることができたのか?
ウイリアムの人生
1953年。第二次世界大戦後、いまだ復興途上のロンドン。公務員のウィリアムズ(ビル・ナイ)は、今日も同じ列車の同じ車両で通勤する。ピン・ストライプの背広に身を包み、山高帽を目深に被ったいわゆる“お堅い”英国紳士だ。役所の市民課に勤める彼は、部下に煙たがられながら事務処理に追われる毎日。家では孤独を感じ、自分の人生を空虚で無意味なものだと感じていた。そんなある日、彼は医者から癌であることを宣告され、余命半年であることを知る――。
彼は歯車でしかなかった日々に別れを告げ、自分の人生を見つめ直し始める。手遅れになる前に充実した人生を手に入れようと。仕事を放棄し、海辺のリゾートで酒を飲みバカ騒ぎをしてみるが、なんだかしっくりこない。病魔は彼の身体を蝕んでいく…。ロンドンに戻った彼は、かつて彼の下で働いていたマーガレット(エイミー・ルー・ウッド)に再会する。今の彼女は社会で自分の力を試そうとバイタリティに溢れていた。そんな彼女に惹かれ、ささやかな時間を過ごすうちに、彼はまるで啓示を受けたかのように新しい一歩を踏み出すことを決意。その一歩は、やがて無関心だったまわりの人々をも変えることになる――。
イワン・イリッチと渡辺堪治とミスターウイリアムが、つないだバッドはトルストイから黒澤明へさらにカズオ・イシグロへと引き継がれていく。死刑宣告をされる。病に侵される。死へのカウントダウンが始まる。生きることの意味を問いただす主人公たち。
余談
(JKKの共有部分のマウント部分が外れて、歩くと金属音が、響く苦情を3月に、入れたのだが、全くの音沙汰なしで、年1回の巡回でJKKの職員が来た。JKKの用件は、住人の健康チェックだが、たまたま、ベランダの外壁が落下しそうなことと、共有部分の騒音について、いってみた。後日業者が、ネジ釘一本で、3分もかからず、応急処置をして帰った。それが11月のことである。業者が、共用部分のことは代表から話を通せと、たらい回しにされる。外壁は、落ちる前に修理されるどうかわらない。たまには頭上にも気をつけてください。巨大な組織ほど動きは良くない。そこで働く人間も機械の様になってしまうのだろうか)
「生きる」を見るとよくわかる。役所は元に戻ってしまうのだ。渡辺堪治、ウイリアムの人生に起こったことは小さな公園を作る話ではないのです。肉体と魂の話なのです。人は肉欲が強すぎるのです。産まれてすぐはまだ魂が強いのですが成長するにつれて、肉欲に魂は押し潰れてしまう。老いるとともに、肉欲は薄れて、魂が出てくる。「収穫の時」が近いからです。「裁きの時」とも言います。この映画は宗教的に生きる意味を問わないというコンセプトから出発して、最高に宗教的な意味を解説しています。 生きるとは何か。答えはあなたの中にあります。あなたの中には何がありますか。それは「愛」です愛を知ることは、人の人生において何よりも大きなことなのです。お金で買えない物。それが「愛」です。イワン・イリッチから渡辺勘治へまたミスター・ウィリアムズへ渡されたリレーそのバトンとは「愛」のです。