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ほんとの話(II) 『ネスカ』

ほんとの話(II) 『ネスカ』

 ジェダイが活躍していた時代よりも、はるか昔のことだ。
 高校一年の夏、バイト先で知り合った女の子と、仕事帰りに喫茶店に寄った。
 いまのように、高校生が制服のまま気軽にコーヒーショップに入る時代ではなかった。スタバもドトールもサイゼリアもなかった。安っぽいビロード(ベロア)風生地の、尻と背中が当たる部分が擦り切れたソファがあるような「喫茶店」しかなかった。
 そんな店に入るだけで、ちょっとした背伸びした気分になる時代だった。
 それはともかく、注文を取りにきたウエイターに、彼女は慣れたようすでメニューも見ず、たったひとこと短く注文した。
「ネスカ」
 わたしはあせった。『ネスカ』ってなんだ? 
 なにかの略だろうとは思う。すぐに連想されるのは『ネスカフェ』だ。だとすると、インスタントコーヒーのことだろうか。
 当時、田舎の町に住んでいたし、しかも喫茶店など数えるほどしか入ったことがなかった。喫茶店で、こっそりインスタントコーヒーを出している可能性はあるかもしれない。しかし、それを表だってメニューにするだろうか?
 いやまて、何かのエッセイで読んだ記憶がある。中東のどこかの国では、ネスカフェは高級品で、豆を挽いたコーヒーよりも高額なのだという。
 だとすると、この店では高級品のネスカフェを置いているのか。どうする、同じものを頼むか。しかし、知ったかぶりをしてしくじった場合、傷は深そうだ。ここは無難に行くべきではないか――。
 ふだんぐうたらな人間の脳でも、いざとなるとかなり高速で回転する。彼女が注文してから、次にわたしが口を開かねばならないわずか一秒か二秒のあいだに、それだけのことを考えた。
 わたしは、あわてずうろたえず注文した。
「普通のアイスコーヒーで」
 普通じゃないアイスコーヒーがあるのかと突っ込まれそうだが、店員は変な顔もせず、厨房へ注文を告げに戻って行った。

 注文した飲み物が出てくるまでの短い時間、「バイトの時給が安いよね」などという話をしていたが、わたしの頭の中は『ネスカ』の正体を知りたくて、気もそぞろだった。
 やがて、ウエイターが注文の品を持ってきた。彼女の前に置かれたのは、ストローが刺さった半透明のジュースだった。
 結局それは〝普通の〟レモンスカッシュだった。
 つまり「ネスカ」ではなく「レスカ」だった。
 そして、その当時の若者のあいだで、レモンスカッシュを「レスカ」と略するのが流行っていることを、このとき初めて知った。

※写真と本文は関係ありません。
(2020.4.20 伊岡瞬)

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