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深圳の事件に関して 2

前回の記事で、深圳の日本人学校に通う男児が刺殺された事件では江沢民(こう・たくみん)が始めた「愛国主義教育」が背景にあった可能性について書きました。

実は、中国では江沢民が国家主席の座から退いたあと、この行き過ぎた愛国主義≒日本憎悪を見直そうという動きもありました。
残念ながら、それは結実しなかったのですが、今回の事件を機に中国指導部に再考してもらいたいという思いから、その当時を少し振り返ります。


依然として事件の核心を明かさない中国政府

国連総会に合わせる形で、日本時間の9月24日未明、上川外相と中国の王毅(おう・き)外相がニューヨークで会談しました。中国側から呼びかけたということなので、深圳の事件と日本側の反応を中国政府としてかなり気にしていることがうかがえます。

ただ、ここでも王毅外相は事件について「偶発的な個別事案」と述べるばかり。犯人がどういう動機を警察に話しているかという、事件の核心については何も明かしませんでした。

今後、犯人の裁判が始まっても非公開とされる可能性があり、殆どの中国メディアが事件を報道しないよう共産党から規制されたことと相まって、真相は闇に葬られる懸念があります。ただ、そうなる場合、前回でお伝えした「愛国主義」の暴走という色合いが濃かったという疑いが強まるでしょう。

中国の人たちの間でも、教育の問題を改めて指摘する声が高まっています。

以前から懸念されていた日本人学校

ニューヨークでの会談で、上川外相は中国でのSNSの問題を提起しました。日本を過激に批判する、根拠なく誹謗中傷するといった内容が数多く拡散していて、それが今回や6月に蘇州で起きた事件に影響したのではないかという見方からです。

とくに、日本人学校に関してはその類の投稿が目立っていました。典型的なのが、男が「これから日本人学校をとっちめてやる」みたいなことを喚いて校舎に近づき、警備員と揉み合うという動画。実にくだらないのですが、残念ながら再生回数は非常に多いです。

そのあたりについては前の駐中国大使・垂(たるみ)秀夫さんがコメントしていました。

中国政府はSNSでの日本ヘイトを放置し続けてきました。しかし、9月21日、動画投稿アプリ大手の「快手」は、「虚偽の有害な情報を流したり、中国と日本の対立を煽ったりする違反行為が確認された」として、90以上のアカウントを閉鎖したりコメント機能を使えなくしたといった措置を取ったと発表しました。深圳の事件を受けた対応であるのは明らかです。遅きに失したと言わざるを得ませんが、一歩前進ではあるでしょう。

機運が高まった「対日関係の新思考」

さて、事件の続報部分が長くなってしまいましたが、冒頭で紹介したように、中国政府も実は江沢民の日本憎し一辺倒を修正しようとしました。

ときは2002年、胡錦涛(こ・きんとう)政権です。人民日報の評論員(日本でいえば論説委員)馬立誠(ば・りっせい)さんが「対日関係の新思考」という論文を発表しました。
「日本の中国への謝罪は決着済み」「日本が中国で実施したODAを正当に評価すべきだ」「軍国主義が日本で復活することはあり得ない」といった、当時の中国としては大胆な論を張ったのです。

この論文は日本でも紹介され、日中両国で大いに議論となりました。当然ながら日本側では高く評価された一方、中国で賛同する一部の声は「馬立誠は売国人士」「媚日派」というバッシングの嵐にかき消されました。

論文を出したあと、馬立誠さんは人民日報を退社し、香港・フェニックステレビの評論員となりましたが、しばらくすると画面に登場することはなくなりました。ただ、その後も活発に日中関係について執筆や講演をし、日本との関係に関する「新思考」を訴え続けました。

馬立誠さんの論文は中国で厳しい逆風にさらされたものの、胡錦涛主席と温家宝(おん・かほう)首相は、この「新思考」が中国の国益につながると理解していました。例えば、2007年4月、日本の国会で演説した温家宝首相は、こう述べました。

「中日国交正常化以来、日本政府と日本の指導者は何回も歴史問題について態度を表明し、侵略を公に認め、そして被害国に対して深い反省とお詫びを表明しました。これを中国政府と人民は積極的に評価しています」

「中国の改革開放と近代化建設は日本政府と国民から支持と支援をいただきました。これを中国人民はいつまでも忘れません」

この温家宝演説は、CCTV(中国中央電視台)を通じて中国全土に生中継されました。とても異例の対応です。「対日新思考」を中国の人々にも根付かせようとしたのです。

実に残念ながら、胡錦涛政権期では江沢民が「院政」のように影響力を行使したこともあり、「新思考」はしっかり定着しませんでした。国会での温家宝演説も、メディアによっては極めて冷淡な扱いでした。江沢民派の圧力、あるいはメディア側の「院政」への忖度があったとみて間違いないでしょう。

こうして日中関係は「新時代」を迎えたとはいえないまま、中国は習近平政権への移行を迎えます。

そして、その習近平主席は、再び「愛国主義」へと大きく舵を切ることになります。だいぶ長くなってしまったので、それはまた次回に。


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