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中国 政協と2人の学者①

中国・北京で開かれていた全国人民代表大会(全人代)が3月11日に閉幕しました。先日の記事でもお伝えしたように、恒例となっていた閉幕日の首相会見がなくなったため、外国のジャーナリストたちは今年の全人代について書けるネタが乏しいものとなりました。

数少ないニュースは、閉幕式で国務院組織法を約40年ぶりに改正する案が採択されたという報告がされたこと。国務院は中国の最高行政機関で、「日本の内閣にあたる」という説明が一般的です。

今回、国務院組織法をどう変えたのかというと、ひらたくいうと共産党の国務院に対するグリップを強める、裏を返せば国務院の弱体化です。

李強首相の正式な肩書も「国務院総理」。
彼が記者会見をする機会が取り上げられてしまったのも、この動きを先取りしたのでしょうか。まあ、そう考えると分からなくもありません。「国務院の立場が弱まった」と宣告された直後に、その国務院のトップが記者たちの前に登場しては、なんだか晒し者ですよね…

閉会直後、国営テレビのCCTVはスタジオでの解説コーナーを「『听党话、跟党走(共産党の話を聴き、党とともに歩む)』を印象づけた全人代でした」と締めくくったそうです。しかし、ややシニカルにいえば、李強首相の会見が消えたことで党の話を聴く機会も消えたといえるでしょう。

ただ、全時代と同時並行で開かれたもう一つの大きな会議、その会議に深く関わる2人の学者が描いた対照的な姿勢をみると、「沈黙の全人代」の裏にある動きが少しばかり見えてくるように思えます。
※当初は1回でお伝えするつもりでしたが、長くなったので2回に分けます。


「三代帝師」王滬寧

まずは、王滬寧(おう・こねい)党政治局常務委員。

党内の序列4位で、中国人民政治協商会議(政協)全国委員会主席を務めています。この政協は「国政に対する助言機関」とされ、いつも全人代より一日早く開幕します。中国では、政協と全人代が同時期に開催されることからセットで「両会(リャンホイ)」と呼ばれることが一般的。

その政協の閉幕にあたり、王滬寧氏は演説で「党の指導を断固として堅持することによってのみ、中国式現代化は明るい未来を持ち、繁栄することができる」と述べました。この「中国式現代化」は習近平国家主席が掲げるスローガンのひとつで、アメリカやヨーロッパとは違う方法で中国の現代化を推進することを指します。
王滬寧氏のいわんとするところは、習主席の方針への絶対服従が何よりも重要、ということですね。

中国で最高指導者の礼賛は珍しくもなんともありませんが、「三代帝師」という異名を持つ王滬寧氏が述べると、何やら違う響きも感じます。「三代帝師」とは、三代にわたる皇帝たちの師であるという意味です。

実際、1980年代に上海の名門・復旦大学で新進気鋭の政治学者として頭角をあらわした王滬寧氏は、95年に共産党のイデオロギー形成にあたる党中央政策研究室に入りました。そして、2002年に同研究室のトップである主任に昇進し、以後、2020年まで18年間も担ったのです。

その間、中国の国家主席は江沢民、胡錦濤、そして習近平各氏へと代わっていきましたが、王滬寧氏はその各政権でイデオロギー設計の中核にいたのです。彼の影響下で打ち出されたとみられるのが、江沢民期の「三つの代表」、胡錦濤期の「科学的発展観」、習近平期の「新時代の中国の特色ある社会主義」などなど。

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