見出し画像

韓国とキューバが外交関係樹立

旧正月。
中華圏では「春節/春节(チュンジェ)」、朝鮮半島では「설날(ソルラル)」、ベトナムでは「Tết(テト)」…
東アジア(日本を除く)で新年を盛大に祝うこの時期、おのずと政治や経済は静かになります。それも踏まえて、朝鮮半島と核の問題をシリーズ風に書いていたのですが…

旧正月でも外交は動いていました。
いや、実際には旧正月前に外交交渉は決着して、最後の手続きをソルラル明けまで待ったのかもしれませんが、とにかく韓国の外交は動いていました

それも、極秘裏に


電撃的な外交関係樹立

2月14日夜(韓国時間)、韓国とキューバが外交関係を樹立したことが発表されました。そう、今まで両国は外交関係がなかったのです。

ちなみに、日本は1929年にキューバと外交関係を結び、第二次世界大戦で断絶した状態になりました。しかし、サンフランシスコ講和条約が1952年に発行したことで、その年に回復しています。
そうでなければ、キューバの野球選手が日本のプロ野球で活躍できませんよね。

一方、韓国は1959年にキューバと断交しました。同年、キューバで社会主義革命が起きたためです。キューバ革命といえばチェ・ゲバラが有名です。

当時は冷戦の真っただ中。
韓国は、その冷戦のいわば最前線に立って北朝鮮・中国と対峙していました。米ソの冷戦構造の中で「対峙させられていた」ともいえます。

そうした歴史を踏まえると、本当は今回の動きは外交関係の「樹立」という、あたかも歴史上はじめてであるかのような出来事ではなく、「回復」です。

朝鮮半島の南北とキューバ

話を1959年に戻すと、キューバとしては、社会主義革命をしたからには、必然的に朝鮮半島におけるパートナーは北朝鮮になったのです。韓国は、キューバにとっての宿敵・アメリカの先兵のような存在。
両国の断交は必然的でした。

ただ、確認してみると、アメリカがキューバと断交したのは1961年とのこと。韓国・キューバの方が断交は早かったのです。
当時、韓国政府内でどういう議論を経てアメリカに先駆けてキューバとの外交関係を切ったのか、とても気になります。

社会主義となったキューバは、実際、北朝鮮と非常に密接な関係を構築しました。双方の指導者、金日成(キム・イルソン)とフィデル・カストロは強い絆で結ばれ、北朝鮮はキューバに武器を提供したりもしました。

いつしか北朝鮮とキューバは「兄弟国」とまで呼ばれるように。

かつての「北方外交」を想起

今回、北朝鮮にとっての「兄弟国」が、宿敵ともいえる韓国と65年ぶりに外交関係を回復させたわけです。これは、金正恩(キム・ジョンウン)総書記にとっては、痛い。非常に痛いです。

というのも、朝鮮半島における体制間競争で韓国の勝利=北朝鮮の敗北を決定的なものとしたのは、韓国がソ連・中国と外交関係を樹立したことでした。ソ連とは1990年、中国とは1992年に、関係が結ばれました。

少し付言すると、1988年のソウル・オリンピック開催と、それを妨害しようとした1987年の大韓航空機爆破事件で、すでに南北間の体制競争は勝負がついていました。それでも、北朝鮮が「後ろ盾」と信じていた2国が韓国と手を結んだ衝撃は、計り知れないものでした。

当時、ソ連や中国、それにソ連の衛星国家状態にあった東ヨーロッパの社会主義国に対して、韓国が外交関係樹立を求めて働きかけた外交は、「北方外交」と呼ばれました。
どの国も、韓国からみれば北の方に位置するためです。

今回の韓国・キューバの外交関係樹立(回復)は、その「北方外交」を彷彿とさせます。国の規模でいえばキューバは中ソよりずっと小さいですが、現在、北朝鮮とキューバは「最後の2つの社会主義国」とも呼ばれるほど、ゴリゴリの社会主義ないし共産主義です。

韓国とキューバの両国は、外交関係樹立の交渉が表ざたになれば北朝鮮が妨害すると踏んで、秘密裏にコトを運んだとのこと。

一方、平壌では。
キューバとは「同志」のような連帯を誇っていたと思いきや、韓国とも手を結んだ…それも秘密交渉で…
金正恩氏が怒りにまかせて机を激しく叩いている姿が想像できます。

ここから先は

1,325字

¥ 200

この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?