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喪中はがきが書けなくて
12月も間近となり
年賀状の準備も考えなくてはいけない季節
今年は年賀状ではなく
喪中はがきの準備
父の分、我が家の分を
準備することになっていているが
なかなか作れない …
3月に実の弟を亡くした
父は父なりの
母は母なりの
妻は妻なりの
こどもたちはこどもたちなりの
悲しみがあって
それぞれ感じているものを
100%知ることはできないけど
お互いそれぞれに悲しみの感じ方は
微妙に違うのではないかと思う
私も姉として
この世でたった一人のきょうだいを亡くした
今でも悲しみは癒えないし
むしろ深くなるばかりだ
私にとって
5つ年が離れた弟は
きょうだいであり
私のこどもでもあった
私は8歳から11歳まで
平日毎日
弟の保育園のお迎えに行き
大人たちが仕事から帰ってくるまでの間
弟と二人で過ごす生活をしていた
今でいうならぷちヤングケアラー状態
どうやら
この時が私にとっての子育て期であり
私にこどもが出来なかった理由の1つである
潜在意識で
「子育てはもう経験したからもう充分」
と思っている らしい
そう言われてみれば、
ある時期まで姉というより母のような感覚で
弟を見ていたなと思う
この自分の潜在意識を知り
弟を息子と捉える感覚を
顕在的にも認めはじめた矢先の出来事だったので
悲しみが色々な角度から生み出される
複雑な心境だ
悲しみ以上に後悔もある
弟の体型の変化や
第6感的な違和感とか
色々感じていたのに
もっとちゃんと注意喚起してあげられなかった
もちろん
注意喚起しても本人が受け取らなければ
成立しないのたが
どんなにはたらきかけても
伝わらなければ言わないのと一緒だから
もっと他に伝え方があったのではないかと
悔やまれて仕方ない
明日は当たり前にくると思って
私たちは生きているけど
明日が来る保証なんてない
死神はいつも近くにいる
だからこそ
いただいた今日という日を
精一杯生きる
私はみんなに支えられて生きてる
だから
私も誰かを支えるために生きる
そんな思いで
一日一日を歩んでいる
悲しみの傷が時薬で癒えることを期待しながら