エピソードゼロ 〜医学部6年生の就職活動
<前編>
昔、といっても20年以上前の話ですが、医師国家試験に合格した新米医師は多くの場合、卒業と同時に大学の腎臓内科や呼吸器外科といった診療科の教室に入局して、大学病院もしくは関連病院で上司や先輩医師から指導を受けました。
現在は「初期臨床研修」が必修化されています。最終学年になった医学生は大学病院か市中病院の研修プログラムに応募して、卒後2年間の研修を受けるのです。この期間中はスーパーローテーションといって、ひとつの診療科に所属せず、だいたい1~2ヶ月ごとに色々な診療科に配属されます。幅広い知識や技術を身につける期間、ということです。
私が大学を卒業して医師になったのは、ちょうどこの初期臨床研修のシステムが導入される最初の学年でした。まだ前例も情報もなく、多くの学生は先輩方がそうしてきたように、自分が通っている大学の付属病院で研修するつもりでした。他ならぬ私も当初は例外ではありませんでした。
卒業試験が迫った医学部6年生のある夏の日の自習室にて。今も親しくしている同級生が、喫茶店で遭遇したという「衝撃の体験」について、やや興奮気味に語ってくれました。
それは次のような話でした。
彼が行きつけの喫茶店で、医学生の8割近くが使っている国家試験対策の有名な問題集を広げて勉強していたところ、隣の席に座っていた中年男性が声をかけてきたそうです。その人物は現役の医師で、問題集を目に留めるなり、医学生だと判断して声をかけたようです。
いくつか世間話を交わしたあと、その男性は言いました。
「ところで、君は卒後、つまり来年からどうするつもりでいるんだい?」
友人は「普通に、大学の医局に入ると思いますけど」と答えました。
「いいや、君、大学医局なんか、絶対に入るものじゃあないよ」
男性はそう告げると、次のような世にも恐ろしい「事実」を語りました。
曰く、大学の医局に入ると雑用や研究に追われることになる。患者さんの診療や手技を学ぶ機会はほとんどないから、碌な医者になれないよ。
研修が必修化されるよりも前から、独自に研修医を育てている市中病院や医療法人があって、そういうところで研修を受けた方が実践的な経験を積むことができる。是非とも見学に行ってみるといい。
……といった話でした。
誤解がないように断っておきますが、これは今から20年前の話で、飽くまでこのおじさんの個人的な意見です。この方が述べたような傾向は、当時確かにあったのだと思います。しかしその後、大学病院、市中病院とも試行錯誤を行い、現在では魅力的な研修プログラムを提供している大学病院はいくつもあります。
その話を聞いて、じっとしていられなくなった友人と私は、黎明期だったインターネットで情報を集めて、いくつかの病院をピックアップし、見学の予約を取りました。喫茶店で友人に声をかけてきたおじさんは、私の運命をも変えてしまったことになります。
結果として、夏休みは病院見学に追われることになりました。ご縁はありませんでしたが、果ては沖縄の病院も受験しました。何だかんだで国家試験の勉強に本腰を入れたのは、秋も深まりつつある10月以降になってしまいました。
***
最初に見学したのは、徳洲会グループの湘南鎌倉総合病院でした。当時から、朝もなく夜もなく病院に詰めてたくさんの症例を経験する、いわゆる“ハイパーな”研修が行われているいました。
心理学でいうところの「初頭効果」でしょうか。いくつかの病院をみて回ったものの、私はこの病院を本命として選択することになります。それほどまでに、頭をガツンとやられたような衝撃を受けたのです。
<後編>
私が大学卒業した年に必修化された初期臨床研修制度は、研修希望者が研修先を決定するにあたって、公平を期すべく「マッチング」という仕組みが採用されています。
これは医師臨床研修マッチング協議会のウェブサイト上で行われます。研修希望者は研修したい病院を第一希望から順に、一方で研修病院側は採用したい研修希望者をやはり第一希望から順に、それぞれが期日までに登録します。期日が来ると、研修希望者と研修病院の組み合わせが一定のアルゴリズムに則り、コンピューターで決定されるのです。
ですから、学生は理想の研修先を見つけるためになるべく多くの病院を見学しておきたいところですし、病院側も魅力的な研修プログラムを用意して、優秀な学生を採用しようと努力しています。
***
湘南鎌倉総合病院はこの制度が始まる前から、独自に研修医を募集・採用し、育てていました。ですから、見学者の扱いは慣れたものです。業務の邪魔さえしなければ、勤務中の研修医に自分で交渉しながら自由に見学してよい、と担当の事務員から告げられました。現在はどのようなシステムを採っているかは知りませんが、いずれにしても私のようなコミュ障の医学生には中々ハードルが高いシステムではありました。
それでも、救急外来のバックヤードなんかをウロウロしていたら、研修医の方から気さくに話しかけてくれました。
連日の残業やオンコールで目を真っ赤にしたり、酷いクマをつくりながら、やれ昨日は2時間しか寝てないとか、やれ朝5時起きで採血しただとか、恐ろしい話を何故だか嬉しそうに話してくれるのです。
ERと呼ばれる軽症患者も重症患者もやってくる救急外来で、1年目(医師になって数ヶ月目)の研修医が患者さんの問診と診察をして、2年目の研修医が救急車当番をこなしつつバックアップする。その様子を3年目以降の後期研修医やスタッフドクターが監督する。いわゆる「屋根瓦式」の教育が行われていました。
目を引いたのは2年目の研修医の頼もしさでした。1年目の研修医との間に顕著な実力差がありました。これは、しんどそうだけど1年間ここで頑張れば、この差の分の実力がつくのだ、ということだと思いました。
そして何より、彼らは仲が良く、とにかく楽しそうに見えました。今になって思えば、過酷な環境ではあるけど、自分が日々成長していると実感できているからです。
その後、私は同じ法人グループの病院をふたつと沖縄県の有名な研修病院を見学の上、それぞれ面接を受けました。
マッチングの結果、私は湘南鎌倉総合病院に、喫茶店での出来事を話してくれた友人は福岡にある急性期病院での研修が決まりました。
***
先日、このエピソードの <前編> を投稿したあと、facebook のメッセンジャーで久しぶりにこの友人に連絡をとりました。
彼は記事を読んでくれた上で、「(当時の一般的なコースからは外れたけど)結果として面白い波に乗ることになって、家族もできた。市中病院での研修を選んだことは、自分としてはベストな選択肢だったと思う」と振り返っていました。
面白い波か。本当にその通りだね、と私は返しました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?