家族の戦い
本稿はややプライベートな話題です。
私の実父は昨年末に食事が飲み込めなくなり、検査をした結果、食道にステージ III の進行癌が見つかりました。
県内の専門病院に相談したところ、年末につき年明けまで対応困難、とのことでした。途方に暮れて、研修医時代に世話になった先輩医師であるS先生に電話で相談しました。S先生は腫瘍を専門とした外科医で、毎年海外の学会に参加するなど勤勉な人物です。
先生は快く父の治療を引き受けてくださいました。
父は3日程度の検査入院のあと、年明けに再入院して化学放射線治療(抗癌剤と放射線照射を組み合わせた治療)を始めることになりました。脳卒中や肺気腫の既往があり、腫瘍が心臓の後ろ側に接していることから、外科手術による切除はリスクが高いという判断でした。
食道癌は放射線治療に対する反応が比較的良いものの、奏功する確率は6割程度で、そのうち半数は再発してしまう、という説明を受けました。
父の見舞いのため、私としてはおよそ10年ぶりに研修医として勤めた病院に足を踏み入れました。当時のことをいろいろと思い出して、ちょっと感傷的になってしまいました。
化学放射線治療が手術に比べて低侵襲とはいえ、“強い” 治療ですから、見舞う度に目に見えて父の身体機能が低下していくのが分かりました。やや文学的な表現になってしまいますが、「一気に老化が進む」といった印象です。
腫瘍の縮小を認めたものの、食道そのものの炎症のため、嚥下(飲み込み)機能が回復せず、栄養は急きょ小切開手術で造設した胃瘻からの投与を余儀なくされました。
治療が一段落した4月の初め頃、自分が務める茅ヶ崎中央病院に父を転院させ、リハビリを継続しました。病棟スタッフは献身的に看護をしてくれました。リハビリスタッフは熱心に歩行訓練と嚥下訓練を施してくれました。
ゴールデンウィークの頃までは落ち着いていたのですが、その後から発熱を繰り返すようになり、呼吸機能が低下していきました。広域抗生剤に反応せず、高流量酸素が必要な状態になりました。
診断をつけられず焦燥が募りました。経過や画像検査から間質性肺炎と判断し、集中治療室へ収容するとともにステロイドの投与を行いました。
肺炎に対してステロイドが著効したという確証はありませんが、幸いなことに間もなく呼吸機能が改善し、酸素需要がみるみると減りました。また、食事に対する意欲が改善し、常食(ふつうのご飯)を摂ることができるようになりました。
こうして先日、晴れて「父の日」に退院することが出来ました。ゴールデンウィークに一泊だけ外泊したことを除けば、実に半年ぶりの帰宅です。
私が運転する車が高速道路に差し掛かったタイミングで、ラーメン屋さんの看板を見つけた父が「味噌ラーメンが食べたい」と言いました。退院してその足でラーメン屋さんに寄ることに若干躊躇したものの、思い切って寄ってみました。ラーメン一杯をほぼ完食した父を見て、私は思わず笑ってしまいました。
現時点の胸部CT検査や胃カメラ検査では腫瘍は消退しているようです。ここまで元気になれたのは、適切な標準治療を受けることができたことが大きいと思います。治療を引き受けてくださったS先生には感謝してもしきれません。
また、根気よくリハビリを続けてくれた当院のスタッフも本当にありがとうございました。
しかし、ステージ III の食道癌がそんなに甘い病気ではないことも理解しています。今後、再発する可能性が充分にある、ということです。
前途多難ではありますが、引き続き家族と自分、そして何よりも父本人にとって悔いのない選択をしたいと思います。
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