【自己紹介】ポンプ・オン! 〜ちがさきシンゲ物語
はじめまして! 「ふれあいグループ・茅ヶ崎中央病院」の 平沼 進 と申します。
大学医局に所属せずに専門医資格を獲得した在野の心臓外科医で、医者としてはもうじき20年選手になります。
この note は 、厚生労働省から診療科集約という圧力がかかる中、湘南・茅ヶ崎を舞台として 新たな心臓外科チームの結成に取り組んでいる一介の外科医のブログです。
わたしの略歴
1979年9月3日生まれ、O型、神奈川県小田原市出身のギリ湘南ボーイ(諸説あり)。最近の趣味は カレー屋さん巡り と 美味しいコーヒーを淹れること です。
県立小田原高校、北里大学医学部 卒業後、徳洲会グループの湘南鎌倉総合病院(鎌倉市)で2年間、研修医をやりました。そのまま同法人が主宰する「湘南外科グループ(SSA)」と呼ばれる民間の外科医局に所属し、日本中にある関連病院をローテーションしながら、主に消化器疾患の手術や救急医療の経験を積みました。
やがて心臓や血管の外科治療に興味を持つようになりました。
そこで当時、大和成和病院(大和市)で精力的に心臓手術を行なっていた 南渕 明宏 先生の手術を見学し、その場で弟子入りを志願しました。その結果、南渕先生が東京ハートセンター(品川区)に籍を移すタイミングで、先生の新チームに加入させていただきました。
2011年3月のことです。
東京ハートセンターに勤めて2年ほど経ったころ、沖縄県は那覇市にある医療法人に心臓外科のオープニングスタッフとして招いていただくことになり、出向のような形で移住しました。
気候も文化も違う沖縄でのプロジェクトに戸惑いましたが、現地の方には温かく迎えてもらえました。南渕先生の支援のもと、心臓手術の執刀件数は間もなく軌道に乗りました。
しかし、世界はコロナ禍に突入しました。当初の渡航制限により、歳をとってきた両親が住む地元との往来が難しくなるなど、沖縄での生活に限界を感じ、神奈川県に戻ることを決めました。
大好きな湘南の灯に
沖縄も素敵なところでしたが、移住を経験したことで自分を育ててくれた湘南という土地の良さを再確認することができました。
心臓外科医はポストが限られており、住む場所か仕事の内容のどちらか、あるいは両方について妥協せざるを得ないことが多々あります。
厚労省が事実上の“お取り潰し”である「診療科集約」を進めており、心臓外科を新しく開設するという病院は現在 滅多にありません。ですから、茅ヶ崎を中心に急性期医療を拡充しつつある「ふれあいグループ」との出会いは、私にとって幸運なご縁でした。
とはいえ、これからです。
心臓外科治療はその性質上、病院のインフラを大量に消費してしまうため、チーム作りはしばしば困難にぶつかります。
それでも、患者さん一人ひとりの【物語】を大切にして、湘南の街を少しずつ明るくすることに貢献したいと思います。
ここまでお読みいただきありがとうございます。最後は、心臓外科医が手術中に人工心肺装置を起動するときに言う合図で締めさせてください。
「ポンプ・オン!」
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