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質問する人、しない人
世の中には質問する人としない人がいる、と言った先輩がいます。
子供はたくさん質問しますよね。
ある研究によると、2歳から5歳までの3年間で、子供はなんと4万回の質問をすると言われています。
質問の中でも、
どうして食べちゃいけないの?
どうして怒るの?
などのように、「自分の感じたこと」と「他の人が感じたこと」のギャップを探る質問がたくさんあります。
自分は食べたいのに、どうして今、ママは食べちゃいけないと言うんだろう?
自分は何も悪いことしてないのに、なぜパパは怖い顔をして怒るんだろう?
こんな質問を繰り返しながら子供は少しずつ、自分の思いと他者の思いのギャップを埋めるという作業をしていると言われています。
ところがある程度大人になると、何故か質問しなくなる、
ギャップを感じても、どうせあいつは阿呆なんだ、と決めつけ、
自分の方が、もしかして間違ってた?という視点がどんどん減っていき、周りの人を見下す様になっていく人。
逆に、あれ?変?と感じても、いやいや、相手の言う方がきっと正しいのだろうと、あっさり自分の思いに蓋をして、引っ込めてしまう。そうやって、相手に合わせていくうちに、本当は自分がどう思っていたのかどう感じていたのか、わからなくなる、というタイプの人もいます。
どちらも共通していることは、質問をしないことです。
今の件、どう思いましたか?
あら、あなたはそんなふうに感じてたのね?
今回のミーティングの内容、どうだった?
ほんの少しのことでも質問してみると、意外なことが見えてきます。
え?そうだったんだ、と自分の思いとのズレや新たな発見。
そして、自分と他者の違い、人はそれぞれ違うということ、自分は自分なんだ、という認識。
それは自己理解に繋がり、自己理解が深まると、他者にもそれぞれの自己認識があることを、理解できるようになる、
自分とは異なる他者を理解できるようになると、他者への尊重の思いが湧いてきます。
自分とは感じ方も考え方も違うけれど、その人の思いを認められると思えるようになります。
その力が、エンパシーです。
これからの社会で、なくてはならない技術、自分とは異なる他者の靴を履いてみる、ということ。
他者の靴を履いて、他者の目で見る、他者の耳で聞く、他者の手足で感じてみる、そのうえで共感に近い感情が生まれるのを感じてみる。
それもスタートは「質問」から始まります。
質問を引き出す原動力は、相手への興味関心です。
興味関心とは、知りたいと思う気持ち、わかりたいと思う気持ち、
つまりは「愛」なのかもしれませんね。
あなたは、
質問する人ですか?
しない人ですか?