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「褒める+貶す」のワンセット思考

以前、「褒められたけれども嬉しくなかったときは?」という質問をされ、真っ先に出てきたエピソードがあります。

その人は、しょっちゅう私のことを褒めてくれました。
大勢の前でしたスピーチが素晴らしかった、
受講中に打つタイピングがむちゃ早い、
人の話を要約したり、分かりやすく言い換えたりがうまい、

などなど。

でも何故か、その人に褒められるとあまりいい気持ちになれず、何が原因かなぁとずっと思ってましたが、ある時、気づきました。その人は、いつも褒めた後に、それに引き換え私なんて、と、必ず、自分を落とした文言を付け加えるのです。

そう言えば、子どものころ母が私と同じくらいの年の子どもを誉める時、やっぱりいつも、同じ言い方をしたのが思い出されます。

「〇〇ちゃんはすごいよね、勉強もできるけど、家のお手伝いも、本当に良くやって・・・」
その後、「それにひきかえ、あなたは・・・・」という言葉。
どうやらこのおかげで、私はこの、「褒める+けなす」のワンセット状態に敏感になってしまったようです。
そう言えば、独立して仕事をするようになってからも、身近な人がちょっとスゴイ経営者のことを褒めたりすると、私の心の中では、妙なイガイガが発生し、相手が私を見る目に妙に敏感になったりしていました。誰かを褒める=あんたはダメだ、と言われているような気になっている自分に気づきました。誰かが素敵であることと、私がどうか、というのは関係のない話のはずなのに。


リスペクトという言葉があります。
ネットフリックスが取り入れたという、リスペクトトレーニング。

リスペクトとは、辞書で引くと「尊敬すること、敬意を表すこと」と、あるのですが、尊敬することとリスペクトする、って微妙にニュアンスが違うなぁと思っていました。でも何が違うのか言語化できず、モヤモヤしていたのです。


そうしたら、面白いnoteを見つけたのでご紹介します。

西村広文さんという方の記事です。

この中に「尊敬は目上の人には使えるが、リスペクトは使えない」という引用文があります。(例文買取センターより)

尊敬という言葉を使った時、自分の側は相手を見上げる構図になります。
相手の方が立ち位置が上になっている状態です、
一方、リスペクトというのは、相手と自分の立ち位置が同等である状態に使われる言葉です。
あくまでも、自分と相手を対等なものとして見つめながら、相手を認めている状態をリスペクトと表現します。つまり、リスペクトとはいう表現は、目上の人や立ち場が上の人にはあまりつかわれない言葉だということができます。

なるほど!
言われてみて、とてもスッキリしました。

リスペクトトレーニングは、相手を自分より上に持ってくる、のではなく、同等の立場でありながら、相手を尊重すること、なのでした。ネットフリックスではこのリスペクトトレーニングの効果をこんなエピソードで伝えています。

使い走りのアルバイト君が、監督のきつい言い方に対して、
「今の、ちょっとリスペクト足りないんじゃないですか?」と、笑いながら言ったとか。
つまり、そういうことが言える空気になった、ということ。

これって凄いことですよね。

私が褒められても嫌な気分だったのは、自分を下げることで私を上げようとするタテ関係にさせられてしまうことへの抵抗感でした。

アサーションでは「対等」な対話を重視します。でも「対等」な対話、本当に難しいです。
日本語の、尊敬語や謙譲語には常に上か下か、という尺度がつきまとい、対等な状態でリスペクトする、そういう習慣も、言葉もないような気がします。

リスペクトを日本語に訳さず使いたいくなるのは、そういう意味があるから、かもしれません。

新しい言葉が必要な時代になったということなのですね。

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