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老人らしい老人

「老年的超越」という言葉、スウェーデンの社会学者、ラルス・トルンスタムが1989年に提唱した概念です。超高齢者、85歳以上になると、それまでの価値観が変化し、70歳ごろまでの人とは異なる「幸福感」が存在する、と。

日本でも東京都健康長寿センターと大阪大学などの研究から、同じような分析結果が浮かび上がってきました。
2010年から7年に渡る高齢者3千人へのインタビューの結果「老年的超越」が裏付けられたと言います。

自分が宇宙という大きな存在につながっていることを感じ、死への恐怖が薄らいでゆく、
一人でいてもさほど孤独を感じず、
出来ることが減っても悔やまなくなり、
周囲への感謝の気持ちが高まる、

ベッドで寝たきりであっても幸福感を感じることができる、そんな状態のことを「老年的超越」と言います。

これまでは、生涯現役だとか、いつまでも若くあることとか、社会参加が大事だとか言われて来ましたが、寝たきりで一人ぼっちでも本人は穏やかで豊かな気持ちでいるのかもしれない、なんだか仙人みたいな心境ですね。

本当にそんなふうになれるのなら年をとるのも悪くない、と思いました。

アンチエイジングという言葉が、私は、どうも以前からあまり好きではありませんでした。
年をとることが悪いことや汚いこと、醜いことのように言われるのが、なんだか違うような気がしていました。

好きな評論家の小林秀雄も、演集の中でちょっと似たようなことを言っています。

ユングがアフリカの原住民を観察していた頃、本当に老人らしい老人と出会った、というエピソードを書いている、これはすごいことだと思う、今の日本に本当に老人らしい老人がいるだろうか、
やれいつまでも若い、とか、若者なみの体力だ、とかがもてはやされ、なぜ「老人になったら老人らしくあること」を拒むような風潮があるのか、
還暦になったら、還暦としてふさわしい叡智と人格が備わっていてこそ、喜ばしいことだ。

小林秀雄講演集のどこか

出典も曖昧、内容も曖昧ですが、こんな意味のことを言ってたように記憶しています。
思わず、小林節に笑ってしまいました。

たしかに、年をとってこそ得られるものがきっとあるはずだ、とぼんやり思ってきました。

30歳代の頃、仕事の先輩で、20歳くらい年上の素晴らしい女性に出会いました。
人を励まし、成長・行動を促す人間力に圧倒された経験があります。決して見た目、美人ではなく体型も決してスマートではなく、女性としての魅力が外見から溢れている人ではありませんでした。

でも少しお知り合いになると、その方の魅力がどんどん毛穴から入ってくるような感じ、心と言葉の使い方、絶品の笑顔、そしてどんな相手でも尊重する姿勢に、こんな人がいるんだ、と本当に驚かされ、強い憧れを持ちました。

今でも覚えていますが、私からみたら、すでに初老(?)の彼女の能力が、すべて私に与えられるなら、当時の私の若さなど何の未練もなく差し出すだろう、と思ったのです。そんなふうに、年を重ねることに肯定的な気持ちを持ったのは、この時が初めてだったかもしれません。
外見の美醜を大きく超える「人間力」に目を瞠ったのも、この時が初めてでした。

誰の言葉だったか
「90歳まで生きてごらん、90歳にならないとわからないことがきっと分かるようになるから」

この言葉には、希望があるなぁと感じます。

アンチエイジングなどという薄っぺらな商業ワードにはない、歳を重ねることの積極的な意味が、そして無限の希望がある、と感じたのでした。

そして、まずは90歳まで生きてみようと、その時、決めました。
何がわかるようになるんだろう、と想像するとワクワクしますね。

あなたは、何歳まで生きようと思いますか?

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