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絶対に口にできなかった言葉たち
イスラエルの社会学者 オルナ・ドーナト著
これは小説ではなく、23人の女性の証言を集めたルポ。
ついにこんな本が出たんだ、というのが正直な感想です。
「お母さんになった気分はどう?」と尋ねられると、私は無理に笑顔を作ります。
後悔は決して許されない、母親たちの”規制された感情”
という箇所があります。
21歳で子供を産んだ日の、ものすごく暑かった午後、同じことを姑から聞かれた記憶が蘇ります。
私も同じように笑顔を作っていたことを、よく覚えています。
母性に対する神話はとても強固で、疑うことなど許されないという空気がありました。
女なら子供は可愛くて当然、女ならどんなに辛くても出産は嬉しいもの、という無言の圧力に、言語化できないモヤモヤを抱いた時期が私にもあったなぁと、思い出してしまいました。
「母性神話」とはいったい何なのか、母性の研究で有名な恵泉女学園大学学長、大日向雅美氏はこんなふうに言っています。
母性神話とは、比較的新しく近代以降に、政策的に作られたものだ。
かつて農業漁業が主だった時代、女性ももちろん大切な労働力だったわけで、
子育ては村落共同体の中で行い、家事育児だけに専念する女性はいなかった・・・
それが戦後の高度経済成長期以降、男性が外で仕事を女性は家を守る、という性別役割分業体制が敷かれ、それによって子育てが女性だけの仕事となった、
そんな体制を守るために作られたものが母性愛神話であり、3歳時神話だったと。
なるほど、イギリスのジョン・ボルビィが欧米の乳児院などで育てられた子供の発達の遅れを調査し、その原因を「母性的養育の欠如」とした時、日本には母性的の的が抜けて「母性養育の欠如」と紹介され、つまり、女性は家庭で育児に専念すべきでそれがないと子供の発達が歪む、そんな構図を作っていったということですね。
母原病という言葉が生まれたのも(1985年)まさにそんな時代を表しているようでした。
子供の成長に悪影響を及ぼすダメな母親、と自分を責めた女性が、この頃、どれほどいたことでしょうか。
1971年にはコインロッカーベイビーが大事件になりました。
今も、虐待の中にはネグレクト(放置)など育児をしない親がいます。
もちろん原因は様々あるでしょうが、いわゆる母性愛など微塵もない、という人がいることも、哀しいけれど事実です。
この『母親になって後悔している』という本は、それを言葉にした、
もしかしたら、絶対に言ってはいけないと、口を閉ざしてきた女性たちの本音を代弁をしてくれた本なのかもしれません。
女性とはこういうものだ、というひとくくりで女性を論じること事態が本来、無理な話です。
しかし「母性神話」という幻の神話を私たちは長い間、信じ込まされ、それが一部の女性の生きづらさに拍車をかけてきたのだとしたら・・・
それがようやく、言葉にできる社会になりつつあるのなら、それは、誰に何を言われようと、やはり喜ばしいことだと、私は思います。
もしかしたら、いつの時代も男も女も、私達はこんなふうに「言えない言葉」をたくさん抱えて生きてきたのかもしれませんね。
男神話が作られると「寂しい」などという言葉は、きっと「言えない言葉」だったかもしれないし、ジェラシーはみっともないことだという社会通念があれば「嫉妬している」なんて言う言葉も、やはり「言えない言葉」だったと思います。
いえ、言えないだけじゃなくて、感じることさえ自分に禁じてきたことが、考えてみると、本当にたくさんたくさんあるような気がします。
感じることを禁じると、それでもやっぱり感情はそこにあるので、蓋をせざるを得ず、蓋をしてしまうと、それが無意識の中でどんどん化け物みたいに広がってゆき、どこかで宿主を食いつぶしてしまうこともある。
人の話を聴くことが私の仕事でもありますが、私が、一心に耳を澄ませて聴くのは、その「言えない言葉」だと、改めて今、気づきます。
口にしてもいい、感じてもいい、私はそれを無言で一生懸命に伝えようとしています。