SHOGUNとマライアを兼任していた山木秀夫さん & SHOGUN"幻のドラマー"
今回の記事はAORバンド「SHOGUN」の"間隙の歴史"について語る記事の第一弾となります。
(後々「大恐竜時代」のサントラ編、ケーシーさんが復活させた番外期編、新生SHOGUNプロデュースのアーティスト編と続きます。)
皆さんご存知の通り初代SHOGUNのメンバーは、芳野藤丸さん(Gt)、大谷和夫さん(Key)、ケーシー・ランキンさん(Gt)、ミッチー長岡さん(Ba)、山木秀夫さん(Dr)、中島御さん(Per)の6人です。
そのため、世間では多くの方が「SHOGUNのドラマーといえば山木秀夫さん!」という認識だと思います。
ですが、実は「山木秀夫さんは初代SHOGUNの活動期間にフルで在籍されていたわけではない」んですね。
これは余り知られておらず、SHOGUNのWikipediaなどにも記載がありません。僕自身もSHOGUNのベストアルバムの藤丸さんのインタビューで初めて知りました。
ということで、今回の記事ではそのあたりを詳しく掘り下げてみようと思います!
・山木さんがSHOGUNを脱退するまで
・70年代後半の山木さんの活動について
山木さんの秀樹さんやSHOGUN関係の活動に関しては、僕の過去のnoteにもある通り、
西城秀樹さんのサポート
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秀樹さんの「ファースト・フライト」の制作で意気投合し、誘いもあり5人でレコードを出すことに
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ONE LINE BAND結成
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SHOGUNに改名
という流れなのですが、実は当時の山木さんの活動はそれだけではないんです。
当時の山木さんはご自身のスタジオミュージシャンとしての活動+SHOGUNの活動に加えて、
「マライア」というバンドでの活動も行われていました。
この「マライア」というバンドはサックス奏者の清水靖晃さんを中心としたスタジオミュージシャンバンドで結構プログレチックなフュージョンをやっているバンドです。
僕も好きなバンドなので、SHOGUNの全アルバムの記事を書き終えたらマライアのアルバムの記事も書こうと思っています。
もっと言うと、実は海外での知名度は「マライア>SHOGUN」らしく、先日SHOGUNがサブスクを解禁した時も海外のシティポップファンの方々は「AB'Sの芳野藤丸さんとマライアの山木秀夫さんがいるバンドがサブスクを解禁したぞ!」みたいな盛り上がり方をされていて驚きました…。
このマライアのプロジェクトも1978年から始動していて、秀樹さんの「ファースト・フライト」も1978年に制作されています。
つまり、先程も書きましたが70年代後半の山木さんは
・スタジオミュージシャン活動
・秀樹さん、SHOGUN関係の活動
・マライア関係の活動
の3つを掛け持ちしていたことになります。
ピーク時のSHOGUNとマライアを兼任されていたのは本当に忙しかったと思いますね…。
・山木さんがSHOGUN脱退された時期
山木さんのSHOGUN脱退時期についてなのですが、SHOGUNの3rdアルバム「YOU'RE THE ONE」の発売後に脱退されています。
時系列を詳しく調べてみたのですが、
・1979年12月に2ndアルバム「ROTATION」発売。完成後に山木さんから脱退申し出があるも、「3rdアルバムまでは辞めないでくれ!」ということになる
(藤丸さんの著書より)
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・1980年7月に「YOU'RE THE ONE」発売
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・1980年7月末のSHOGUNのコンサートには山木さんは参加されている(その際のコンサートのサイン色紙には山木さんのサインもある)
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・1980年8月末の24時間テレビにSHOGUNが出演した時、山木さんもドラムを叩かれている
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・1980年12月末のSHOGUNの広島LIVEのフライヤーには新メンバー見砂さんの名前がある
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・藤丸さんと大谷さんの別荘(本人談)が1981年2月
ということから考えると、恐らく山木さんの脱退時期は"1980年の9月から1980年12月上旬までの間のどこか"ということになります。
・山木さんの脱退理由
山木さんがSHOGUNを脱退された理由は、「スケジュール」と「方向性/音楽性の違い」だと言われています。
"スケジュール"に関しては先程書いた通りなのですが、"方向性/音楽性の違い"に関しては「山木さんの方向性/音楽性とSHOGUNの音楽性にズレが出てきた」と言われています。
方向性に関しては、当時の山木さんは本番前のリハーサルが多い音楽番組に出演されることが苦手だったそうで、ボイコットした山木さんをメンバーで説得して出てもらったことも少なくなかったそうです。
なので、当時裏方志向だった山木さんとSHOGUNの活動スタイルにズレがあったと思われます。
また、音楽性に関してですが、山木さんのソロアルバムを聴いてみると結構テクニカルプログレのような感じなので、ファンキーAOR志向のSHOGUNと山木さん本来の音楽性が合わなくなったのかもしれません。
前述した通り、山木さんは2ndアルバム「ROTATION」のレコーディング後にSHOGUNに脱退の相談をするも、「3rdまでは居てくれ!」となり、そのまま「YOU'RE THE ONE」をレコーディング、「YOU'RE THE ONE」発売後に何本かLIVEを行って脱退したといいます。
・その後のSHOGUNメンバーの心境
山木さんが抜けた後のSHOGUNですが、藤丸さんはベストアルバムのインタビューにて「あまり"バンド意識"というものが無かったため、一番最初に山木が抜けた時も単に"居なくなった"という感じだった」と話されています。
というのも「メンバー全員がスタジオミュージシャンとしての活動と並行してSHOGUNというバンドをやっていた」影響で、
・この日はスタジオ仕事、この日はスタジオ仕事、この日はSHOGUNというスケジュール
・LIVEの時も現地集合、現地解散
という形で音楽活動をしていたため、
"初代SHOGUNはかなりバンド意識に欠けていた"らしいです。
それもあって、藤丸さんと大谷さんの別荘の後「SHOGUNを続けよう」という気にならず消滅してしまったといいます。
・その後の山木さんとSHOGUN
その後の山木さんは秀樹さんの作品に参加することはあってもSHOGUNには参加されていません。
1997年に芸能プロモーターになった中島さんを除いてSHOGUNが復活した際も山木さんは参加せず、ドラムはケーシーさんのご子息であるエリック・ゼイさんが担当されました。
先日のSHOGUN45周年LIVEのMCで、藤丸さんは「初代ドラマーのヤマキンとはもう何十年も会っていないし、連絡先も知らない」と仰っていたので、現在のSHOGUNとは一切接点が無いと思われます。
・一番の疑問
実は藤丸さんは「YOU'RE THE ONE」発売後の1980年10月に大谷さんプロデュースで「美しきライバル」というソロシングルをリリースされています。
僕が気になるのは「美しきライバル」と「時の旅路」のドラムはギリ山木さんが演奏されているのか?
それとも別のドラマーさんが演奏されているのか?という部分ですね。
このシングルには演奏者クレジットが書いていないので、ギターが藤丸さんなこととキーボードが大谷さんなことしか分からないので、「そもそも他のSHOGUNメンバーが携わっているのか」すら怪しいので、それを解明したいですね…。
※藤丸さん曰く「何故この曲が自分のソロ名義になったのかも分からない」とのことです。
もしかしたら見砂さんが叩かれているのかもしれません。。。
・SHOGUN "幻"のドラマーについて
1st LIVEツアーの中盤で山木さんが脱退した後のSHOGUNは新メンバーとして見砂和照さんを迎えます。見砂さんが加入したSHOGUNは見事ツアーを完走します。
SHOGUN公式には、"見砂さんが在籍していた"という情報は残っていません。
しかし、見砂さんご本人のインタビューや当時のSHOGUNのライブのフライヤーから"山木さん脱退後のSHOGUNにLIVEだけ参加したドラマーがいた"ということは事実なことがわかります。
見砂さんは「当時スタジオミュージシャンとして活動していたが、山木さんが脱退したため、SHOGUNから誘いが来て加入した」とインタビューで話されています。
個人的には南佳孝さんのもとでドラムを叩かれていた見砂さんが加わったSHOGUNサウンドも気になりますね。もし、藤丸さんと大谷さんの別荘が無ければ、見砂さんが参加したSHOGUNの4thアルバムもリリースされていたのかもしれません。
見砂さんは現在「東京キューバンボーイズ」というラテンオーケストラの"マエストロ"として活動されているようてす。