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ぶんたのフットボール・コラム 「悪童」

男は身体が売れないがために泥棒をはたらき、女は時としてそれが可能なため、盗みをせずに済む。と、昔の人は言ったそうだ。
「悪」という媒介にモノを考えた時、特徴と存在が明らかになる。
例えば男女お互いの名称の上に「悪」という字をのせてみれば、わかりやすくそのイメージが湧く。

「悪女」(あくじょ)

なんだかすぐに布団を敷いて呼び込みそうだ。女に悪を付けた場合は、性の香りがするのはいなめない。

「悪男」(アクダン)

列車の上に登り、相手を引きずり落として本人もダイブ。それと同時に列車を爆破する。とにかく、男の「悪」には犯罪と直結させるイメージがある。 

と、まぁ長いフリになったが、フットボールの世界を悪の媒介で覗いてみよう。

悪女といえばやっぱこれ



フットボール界の悪童

まず思いつくのはサッカーの母国イングランドの幾多の英雄たちだろう。
ビールの大量飲酒という文化が深く根付き、ナイトライフで騒ぐ、怒鳴る、暴れる。物を投げる、物を壊す。男を殴り、女の乳を揉むなどなど。酔っ払いのする悪いことを一晩でコンプリートするような酔い方でポリスにお世話になる事例は、昔から枚挙に暇がない。
邪気とビールで形成された完全燃焼イン・ザ・UK。ロンドンがバーニングし過ぎて「悪男」のテイストがパンキッシユで濃過ぎるのである。

やべー飲み方

だが、フットボール界には丁度いい「悪」が存在する。それが「悪童」である。いたずらっ子というのが正式な意味なように、スプーンですくえる猿の脳みそで何も考えずに言動しちゃう。振り切ったバカっぷりに憎めない愛嬌がある。
そして才能とセンスだけは天下一品の天才肌が多い。
ある人が教えてくれたが、才能豊かな人は天才ではなく秀才。天才は人間として破綻して欠落してても、その人の持つエネルギーが圧倒的な人である。そして最後には世間が認めざるを得なくなる絶倫な人こそが天才なのだと。
そういった意味で「悪童」は、秀才を超えた天才寄りの絶倫なのだが、その圧倒的なエネルギーの矢印と方向が完全にハズレて放射している人と言える。

有名なやつ


多々いるフットボール会の悪童の中で、近年だとSNSが世界を繋げ出した頃に暴れていたバロンデッリやカッサーノだろうか。
スマホでググってみるとイブラも目立っていたが、イブラは悪童ではない。
セルフプロディースで己の見せ方を知ってるイブラは「悪男」でも「悪童」でもなく「王様」である。サルの脳みそとは真逆で頭が良く、一本筋が通った賢人である。だからあんなにオモロい自伝になるのだと思う。

絵になる


これまでエネルギーをコントロールできず喧嘩っ早いやつや、下半身にコントロールされるセックスバカなど、色んな悪童をフットボール界は懐深く受け入れる多様性を示していた。
しかし近年では、モノホンはほぼ消滅し、もはや過去の遺産となりつつある。

約20%前後の成長率でフットボール界自体がグローバル経済の巨大の渦の中で拡大を続け、はみ出し者を瞬時に弾くようになってきている。

スペインのように育成に力を注いでいる国では、子供の頃から品行方正な"正しい"フットボーラーを量産している。
IOTを駆使した練習で鍛え、高度化した戦術に対応するサッカーIQを養う。プレーだけではなく生活面も正しく教育。学業もそうだが、自分も発信者となるSNSで誰かを傷つける陰湿さや、なんだかわからない人の目線を気にしないといけないサイバー空間にも適応できる人間力を備えた選手を10代からトップチームに送り込んでいる。

フットボールに限らず、若い人たちは無駄を省き洗練されてる。ただ均一的にもなってきてるとも思う


真面目な正しい“フットボーラーばかりでいいのか?まぁ、その議論は横に置いといて、ここからは愛嬌たっぷりのバカだった「ラスト悪童」カッサーノとバロンデッリを掘っていこうと思う。


カッサーノとバロンデッリ

「ルールのない奴」と「警戒心のない奴」。数あるタイプ別の組み合わせの中で、この2つが揃ったら揉め事は絶えない。
この2人に共通することは、まさにこの2つのペアリングである。

社会や団体の秩序と平和をもたらす最低限のルールを息を吐くように平気で破る。守らないといけない!という概念すらなく、正常と異常の境目が本当にない狂人である。
大切なのはノリとパッション。守るべきは自分を信じてくれるヤベー友達の助言だけ。おのずと治外法権になってしまう。

破るルールもまた共通している。仕事に遅刻する。無断でサボる、帰宅するなど、練習場での無断○○のオンパレード。
敵味方、監督、審判に対する挑発、侮辱、乱闘の数々。

侮辱、乱闘系はやはりカッサーノの逸話がすごい。特にローマ時代でのバティとのやり取りがオモロい。

サマーキャンプでバティストゥータへと暴言から乱闘に発展 。

バティストゥータの家庭菜園からプチトマト窃盗 。

プチトマト


バティストゥータが大好きな濃いエスプレッソを嫌がらせで甘くしてやろうと砂糖をブチ込み指で掻き混ぜていたところを見つかり殴り合いに。

シャキッと目を覚ますには、ノンシュガー


カタールW杯の地で、優しいイケオジに昇華されてたバディを見ると、傷つけることに鈍感なバカにパイセンが手を差し伸べてあげたら思いっきり噛んできた。そんなノリだろうか。カッサーノがやってることはガキである。

サマーニットを羽織る石田純一スタイルのイケオジ


バロンデッリはこういうバカとバイオレンスが入り混じってる系よりは、もっと純粋バカである。

ウォーミングアップ用のビブス着用に時間を要し、クラブスタッフの助けを借りてようやく着れたが、気に入らなかったのかそのビブスを脱いじゃった。とか。

マンチェスターダービーで得点した後ユニフォームを脱いで「WHY ALWAYS ME?」と書かれたシャツを披露。どうして俺なんだ?の無自覚と繊細さが哀しくパロってしまったり。

冷めきった物の捉え方で距離が生まれ、くすぶりながら根拠のある孤独が深まり、バカが繁殖する。そんな寂しさをどこか感じさせる特徴がある。

ドヤ顔



社会生活では警戒心がなく、脇がガバガバである。バロンデッリは駐車違反100回と、完全にポリスの小金稼ぎに利用され、愛車のマセラッティに腐った魚を入れれるという謎いエピソードまである。

カッサーノはさらに上をいく。暴走系スピード違反での検挙は当たり前で、車を没収されてもチームメイトに車を借りて運転し、その車が駐車違反で押収されるという連続技をブチかます。もはやシャバにいちゃ行けないレベルの交通道徳のなさである。

2人は日常の視点、行動、モラル。時間や感情の使い方に及ぶまで常識というラインを軽々と超え、反省するという気持ちが清々しいほどにない。

V字食い込み



現代フットボールの中で悪童は絶滅する

たまに勝利に直結する大活躍をするが、ほぼほぼチームに迷惑をかける。この2人の悪童を現代フットボールのフィルターで眺めると、やはり教育は重要だという当たり前なことがわかる。

冷静に考えて、こんな2人が1stディフェンスを真面目にやるとは思えないし、パスコースの切り方すら途中で忘れて、チンタラ歩きそう。しかもそれを注意したら暴言吐くか、怒って途中で帰宅するのが目に見えている。

そして悪童には自己犠牲の忍耐も、味方との共同作業する知性もない。
バディのようにサポートしようとする仲間に対して、考えたものではなく荒削りなまま、ため息と一緒に押し出されたような、本心のかたまりを平然と言い放ちトラブルを起こす。味方を思いやる心が完全に欠落している。

数少ないリスペクトする兄貴以外はチームメイトでも全員敵。徒労と非生産性な思考に、怒りが混ざる悪童特有の自虐メンタリティ。
そしてそのヤバさに気付かず、変わる素振りが全くない。邪魔なプライドを捨てきれず、才能を損切りして成長もしないでは、どう考えたって活躍を継続するのは厳しい。

ローライズナ白いブリーフ



自分と周囲の見方が担っている機能を理解し、それを共有する。感情的な理解と結び付きが最重要な現代フットボールでは「悪童」はもはや邪魔でしかないのだ。

大衆がひがみ、そねむレベルの膨大な給料をもらってる以上、フットボーラーは愛嬌あるバカでは許されなくなった。
日本でもスシローでやらかしたバカを徹底的に懲らしめるように、フットボーラーの前に成人として当たり前なことを当たり前にやること。道徳概念のなさがキャラで済まされる時代は、寛容だったフットボール界でも終わったのだ。




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