表現と必要悪について (ぶんサル回想録3)
どんな職業であれ、どれほどの年齢であってもすべての人々は皆、表現者である。
「表現」という言葉とは縁遠い生活を送っていても、ふいに「表現」の方から襲って来るのであり、その時ほとんどの人は、それを「発表」したいという感覚になる。そこにSNSとの依存体質が出来上がる。
例えば湯呑みの中で茶柱が立つ。みかんの一房についた赤ちゃんみたいなみかんを発見した。チョー長い鼻毛が抜けたとか。なんの発展性も意味もないと知ってはいても、人はそれを発表せずにはいられなくなり、TwitterやIns