オリジナルSBDに参加してみた/対話で心が洗濯できた時間。
セレンディピティ・ブックス・ダイアローグ(SBD)は、事務局の講座を受けていただくと、オリジナルのセントラルクエスチョン(CQ)、ブックリスト、セレンディピティカードを作成し自主開催することが可能です。(条件あり)
昨日、初めてのオリジナルSBDのDAY1を、黒澤季理さんがご友人を招いて開催してくださいました。(初挑戦、おめでとうございます!)
季理さんの素敵な表現力で魅力的に振り返ってくださった記事はこちらをご覧ください。▼
事務局から参加者として参加した井上が、グループでの対話に感激し、その内容を記しました。ぜひご覧ください。
SBD by KiriさんDAY1に参加して
今回、初めてのオリジナルSBD開催となった。
半分学生、半分社会人の多世代の構成が素敵だ。
Kiriさんの提示したセントラルクエスチョンは、
「異なる価値観の存在する世界で、私たちが調和しながら生きていくには何が必要だろうか?」
だった。
私の参加したグループでは、まず「調和」についてそれぞれが抱いたイメージを共有した。
ある人にとって調和とは「循環」をイメージするものだった。生態系を構成するピースの一つが何らかの理由で消滅した時、連鎖的にバランスが崩れていくことから、調和という言葉は自然界の摂理を想起させるものだった。
ある人にとって調和とは、今の生活では意識する必要がない、同質性の高いコミュニティに属していることを思い出させる言葉だった。自分がいる世界は思った以上に狭いのかもしれない、そんな気づきが生まれていた。
ある人にとって調和とは、人と人の関係性以外にも、自分自身とうまくやれるようベクトルを自分の内面にも向ける大切さを感じるものだった。
また、ある集団内に生じる同調プレッシャーとは似て非なるものだろう、との視点も置いてくれた。
「調和」という言葉一つとっても、全員のイメージする抽象度の高さや想定した背景が違った。
公立の小中学校のように価値観の違う人間が集まる集団では、同調圧力も生まれやすいだろう。
一方で、高校や大学では、似た学力や関心を持った人が集まるので、価値観も似ているだろう。
同じ集団でも、条件が変われば環境は大きく変わる。
自分、他者との関係、種を超えた関係性、地球、宇宙…
調和とはあらゆる位相で考えることができることもわかった。
だが、どこで切り取ったとしても、きっとその源流は共通するだろう、というところから「調和を生み出す法則をみつけたい。」という声が生まれた。
素敵な目的を発見した瞬間だった。
また、異なる価値観と調和するには、受け入れる前の段階の「知る」が必要なのではないかとの考えに全員が賛同し、「自分が知らないことをまず知ること」が大切だという話になった。いわゆる「無知の知」である。
すると「無知から抜け出すことで、社会に溶け出すことができる気がする。」という、なんとも美しい詩的な表現で、社会への扉が開かれた。
新しい職場にトップとして赴任することが決まっている方は、「自分がどうしたいというビジョンを掲げる前に、一人ひとりの想いを聞いて知ることからはじめようと思えた。」と話してくれた。
感動した。
お互いに同じ力ではぶつかり合うだけで調和はできないかもしれない。
力が流れあっている時、融和できる気がする。
そんな力学的なイメージから調和を捉える意見も生まれた。
私たちはたった30分間話しただけで、お互いの大切にしたい価値観を知ることができた気がしている。趣味も年齢も基本的な情報は何も知らないのに、だ。
そして、自然と「社会の中のまだ知らない他者へ目を向けるために、私はどうしていくことができるのか?」と、それぞれが社会へ意識を開き対話していたように思う。
心の洗濯ができるような時間になった。
みんなの顔も笑顔で明るかった。
「どうなるのか全くわからず参加したけれど、とても楽しかった。」
その感想がとても嬉しかった。
Day2で再会し対話できるのが楽しみだ。
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