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待戻

 志賀直哉は潜書室の壁際に無造作に置かれている折り畳みのパイプ椅子を手に取った。館長と筆頭術者アルケミストの傍で広げると腰掛け、二人のように特務司書と山本有三を包む紋様に目をやる。
 白さが先だった青は有魂書への潜書でも有碍書への潜書陣とは違っている。それだけにこの部屋にいる者が皆何らかの変化が起きないかを、かたずをのんで見守っている。半円状の紋様はするすると頭頂を落としてゆき、一度特務司書と山本の身体を包みとまたするすると床に落ちた。青みが強くなる。特務司書と山本が眠る簡易ベッドは床の広がった紋様に照らし出される。さきほどまでの不安を呼ぶような青白さはなくなった。
 ため息を一つついて筆頭術者アルケミストは左耳のインカムを外すと言った。
「第一陣の皆さまは無事に特務司書の内面世界へ潜書されたようです。ただ通信装置は機能しません。連絡が取れません」
 全員に緊張が走る。志賀が筆頭術者アルケミストに言った。
「追いかけるか」
「いえ、二時間待ちましょう。陣が解けるといけません」
 屈みこんで床に広がる紋様に右手指を付けていた筆頭術者アルケミストが答えた。それをきっかけに皆、思い思いの場所にパイプ椅子を広げ腰を下ろした。武者小路実篤は志賀の傍にパイプ椅子を持って来て座った。

「一つ質問いいかな、筆頭術者アルケミスト
 今まで大人しく成り行きを見ていた島崎藤村が言った。何人かがまたかという表情をした。筆頭術者アルケミストは島崎に目を向けた。
「司書さんが人工生命ホムンクルスってどういうこと」
 島崎はいつもの死んだ魚のような目で訊いた。筆頭術者アルケミストは島崎から視線を外すと両手を組み俯いた。館長が小声で筆頭術者アルケミストに声を掛けた様だった。皆筆頭術者アルケミストの応えを待った。
 暫くして、顔を上げると筆頭術者アルケミストは館長を振り返った。館長が小さく頷くと筆頭術者アルケミストは文豪達に向き直って言った。
「島崎先生のご質問に答えるには長い話をしなければいけません」
 筆頭術者アルケミストは一言を断って話し出した。

※※※ ※※※ ※※※

「なるほど。それで君達はゲーテさんを避けていたのだね」
 筆頭術者アルケミストが長い話をを終えると北原白秋が言った。
「避けているというより、警戒しているんじゃないのか」
 北原の後を中野重治が続けた。やはりという顔をする文豪達が何人かいた。筆頭術者アルケミストは否定しなかった。
「それに、今の君の話では政府は実態をほとんど知らないじゃないか」
 感情の昂ぶりで中腰になりかけた中野を隣りに座っていた堀辰雄と佐藤春夫が抑えた。
「知らせない方がいい場合がある。特に今回は。卓越した何かは盗みたくなるものだ。それは<結社>でも政府でも同じだろう」
 館長が淡々と答えた。
「それで、ゲーテ殿の扱いはどうするのだ。我等も警戒する必要はあるか」
 尾崎紅葉の問いに筆頭術者アルケミストが館長よりも淡々とした口調で答えた。
「我々術者アルケミストは今までと同様です。ただ、特務司書の内面世界に潜られてゲーテさん自身が特務司書の事をどう考えられるか。結社に持ち帰るべきと考えられるなら、最悪の事態も起こりかねません」
 最悪の事態って、と島崎が突っ込んで訊いたが筆頭術者アルケミストは首を左右に振っただけだった。文豪達はそれぞれの思惑の中に落ちて行った。陣の光がそれぞれの顔を青白く染め上げる。
 志賀が筆頭術者アルケミストに訊いた。
「それで、特務司書と山本が目覚めなかったらどうする」
 志賀の一言が皆の意識を現実に引き戻した。
 筆頭術者アルケミストの話からすると、特務司書がいなければこの先の侵蝕浄化は不可能だ。潜書が可能であったとしても、耗弱や喪失に落ちた場合の補修は術者アルケミスト達が担えるのか。文豪達に不安がひろがる。
 現状の侵蝕現象の根本が分かりそうだという連絡は<結社>のファウストから受けている。その情報が信頼できるのかの裏取りも途中であることまで、館長と筆頭術者アルケミストは知っている。イレギュラー事象が収まってそれに取り掛かるという時に…… 
「そうなった場合は、相応に対処するだけです」
 筆頭術者アルケミストの答えに、館長は深くため息をついた。

※※※ ※※※ ※※※

 特務司書と山本を照らし出す陣の光は、変わらず青白い。光量を落とした潜書室の中でそこだけ光の華が咲いているようだった。
 館長が腕時計で時間を確認した。
 第一陣が特務司書の内面世界に潜書してそろそろ二時間……。第二陣の会派筆頭に指定された志賀が潜書メンバーの尾崎紅葉を目で探した。視線が合うと尾崎は小さく頷いた。特務司書と山本を挟んで向かい側にいる谷崎潤一郎と永井荷風に視線を向けようとした時、二人を囲む陣に光から青色が消えた。青色がするすると吸い取られるように消えると、陣は白から金へと変わった。金の光は通常の潜書からの帰還のように光の粒となって人型を取る。特務司書と山本を囲むように四人の人物が現れた。山本だけは光を纏ったまま身体が小さくなっていく。山本を包んでいた光は小さくたびに光を強め、一際強く光ると金色の魂石に姿を変えた。筆頭術者アルケミストは魂石を拾い上げると簡易ベッドの山本の胸の上に置く。胸の上で魂石が溶けるように山本の身体に吸い込まれる。同時に特務司書と山本の瞼が瞬いた。
 森鷗外と斎藤茂吉が二人の傍へ寄る。
 第一陣は特務司書と山本を連れて帰還を果たした。

<了>

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