昏想反思 6
ここnoteでは自分の妄想を吐き出しているので、
明かに私論をかかげるのはどうかと思うが、
やっぱりTwitterの一言二言では収まりそうもないので
書き連ねます。
整理が出来ていないので、乱雑なのはご容赦。
発端は私のTLにこのようなtweetのスクショが流れてきたことです。
流れてきたスクショは上段のみだったが、念のため検索をしてもとtweetを確認して私がスクショしたもの。下段は「自分の事だよ~」とぼやかしてはいるが。
最初にこのtweetを見た私は瞬時に「なに言ってんですかね」と反応した。「息が苦しくなる」or「息が苦しい」と感じるまでの過程をすっ飛ばしちゃいませんかね。
その揚句に、自分が少数指定をされるのを覚悟して表出している(私はそうだった)のに、また隠れ蓑を被って大多数へ戻れっておっしゃるんですかね。あきれますね。
まあ、引っかかったとはいえこのくらいの感想で流してしまうんですが……
ツイ主のプロフィールを見て吃驚しました。
この方、創造者なんですよね。
早川書房から2冊上梓している作家さんなんです。
書店で書影も見た事があります。
作家がこういうことを呟くのか……
眼が遠くを彷徨いました。
『宇宙戦艦ヤマト』が齎した、いや『キャプテン翼』『聖闘士星矢』が齎した、空前の二次創作(おちゃらけでもマジもんでもパロディと呼んでいた)の申し子である私は、山田正紀氏と新井素子氏が登場するまでは本気で作家になる事を考えてました。はい。
そのころに書いたものは阪神淡路大震災で失ってしまいましたが(現存しても黒歴史として闇に葬るが)現実と自分との乖離に苦悩する内容でありました。
故・中島梓氏が著作の中で明言した通り、創作というのは現実への異議申し立てであります。マトモな人は創作なんてしない、とまで中島梓氏は明言しています。言葉は違うけどね。
(『タナトスの子供たち』か『コミュニケーション不全症候群』だったかと思うんですが、該当箇所が見つかりませでした。ごめんなさい)
私もそう思います。
苦しいから、苦しみから逃れたいから、書く、描く、創る。
恋愛詩というのはその最たるものでしょう。
朝になり帰したくないのに帰っていく情人を見送る。
その心情を北原白秋は雪を林檎の香りに見立てて詠んだのでしょう。
現実との齟齬からの苦しみ、それを誰にも理解されない苦しみ。
見つけてしまった言説と現実との乖離。
それらを題材に創造していくのが創作者でしょう。
私はそう思います。
芥川龍之介にとっての失恋の苦しみが綴り方から創作に変えたように。
自分の寄って立つ場所が分からない苦悩が、太宰治に多様な作品と生み出す原動になったように。
勝つための対象殺戮がピカソに『ゲルニカ』を描かせたように。
これ以上は繰り返しになるので筆をおきますが、
このツイ主が創造者を称されるなら。
失望に耐えません。
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