ずっと新鮮な気持ちで
初めて出来てガッツポーズするほど喜んだこと、わかったり知ったりして飛び上がるほど嬉しかったこと、心を震わせた数々の瞬間が、今まで少なからずあったはずなのに。
今はもう、多くのものに見慣れて、見飽きてしまった。このままでいいのかと、これでいいのかと、新しいことに踏み出す勇気もないくせに。漠然とした不安や焦燥感に駆られる瞬間がある。
一方で、初めてのことに不安で立ちすくんだことや、わからなくて知らなくて怖くて泣いたこと、こんなにも苦しいことがあるのかと思った瞬間も、たくさんあったのに。
本質的に臆病者なので、今はもう、「ない」とは言えないけど。
準備の仕方を知って、覚悟を決められるようになって、自分で選んだ道は進めるようになっていった。遠回りして、多くの人がやるようなことをたくさん取りこぼして、やっと何者かになれて心が落ち着いたのは、出来て当たり前と思われる歳だった。ガチガチに固くて、無我夢中に自分を探しているうちに失った若さを前に、もっと楽しく生きられなかったのかと自分に呆れるし、そんな自分の小さな特性に伴う生きにくさを恨みがましく思うこともあるけれど。
だからこそ、この仕事に就けた、と思うし、そんなことと思うような子どもの引っ掛かりに気づいて働きかけられたり、保護者に時折怒られながらも子どもの代弁者として間をとりもったりすることが出来ているのかなと思う。ずっと、ダメなところだと思っていたことが、誰かの役に立ったり、次の世代を活かすヒントになったりする。ずっと変わらないと思っていたことが、いつの間にか変わっていって、変わってしまうって、気づいてから。
だから「大丈夫だよ」と言ってあげたい。その緊張も不安も怖さも、ずっとは続かない。渦中にいるときはしんどいだろうけど。ずっと同じようには続けられないんだ。良くも悪くも新鮮な物ではなくなっていくから。
不安な子どもたちの支えられるところは支えて、押すべきタイミングで押してあげられる大人でありたい。
ずっと新鮮な気持ちでいられたらいいのに、という思いと
ずっと新鮮な気持ちでいられないから救われた、という思いが交差する。
4月ってそんな季節。