『薬指の標本』と『きらきらひかる』と「生きてるだけで、愛」と
私がnoteを始めようと思ったきっかけは、小川洋子の『薬指の標本』、江國香織の『きらきらひかる』と「生きてるだけで、愛」(2009)を同時期に読んだ/観たことにある。私の粗末な文章を読んでくれる人の中で、上記を読んだり観たりしたことない人には、ネタバレになる内容が含まれていますが、書き連ねます。
この時期に最初に観たのは「生きてるだけで、愛」。 Netflixで配信されていて軽い気持ちで見た。主人公は、躁鬱状態の女性。その女性に対し、怒りもせず優しさばかり見せるのが菅田将暉演じる男性。「いいなあ、私と別れられて。私は私と別れられないもん。いいなあ、」(記憶ではこんなセリフ)と、主人公の女性は映画終盤でつぶやく。このセリフを聞くまで、この映画はつまらないなと感じていた。このセリフ一言で、心揺さぶられた。私自身、自分のことがあまり好きではない(以前に比べれば改善したけど)。今まで生きてきた人生の中で、多少なりとも恋愛をし、必ず別れを経験してきた。でもそれはお付き合いをしていた男性と別れたのであって、一番別れを告げたい自分と決別することなんてできなかった。そんな風に考えさせられたのが、この「生きてるだけで、愛」。
今読み途中の「きらきらひかる」。この物語の主人公は、躁鬱状態の女性。そして、その女性を支えるのもまた、常に優しい健気な男性。この小説を読み始めて、「あ、『生きてるだけで、愛』だ」と思った。その気づきが、すごく嬉しかった。もちろん上記の映画の原作はこの本ではないし、ごくありふれたテーマなのかもしれない。(映画も小説も人に誇れるほど読んだことがないから、定かではないが)。ただ、同時期に、偶然に、自分が選び取った二つの物語が混じり合う瞬間に、心がときめいた。そんな自分に少し嬉しくなった。
そして、小川洋子の『薬指の標本』。小川洋子の描く世界観はとても好きなので、それはまた別でnoteにしたためたい。タイトルにある薬指の標本もとても面白かった。(面白かったなんて陳腐な言葉で収めたくないけど、)。今話題にしたいのは、六角形の小部屋という物語。薬指の標本の次に収められていた物語。主人公の女性が以前付き合っていたのが、美知男という男性。彼は医者。医者である彼は、常にポケベルを持っていた。それは頻繁に鳴り、主人公の女性との時間を奪っていた。
「きらきらひかる」の主人公の男性も医者。彼もポケベルを所持。彼のポケベルは滅多にならない。この箇所を読んだ時、「あれ、睦月(『きらきらひかる』の主人公の男性の名前)のポケベルって頻繁になってなかったっけ」と思った。一息ついてから、「あ、違う。それは『美知男のポケベルだ』」と理解した。と同時に、不思議な感覚に襲われた。躁鬱状態の女性主人公、医者の二人、頻繁になるポケベル、ならないポケベル。女性に寄り添う男性。書かれた時代も、撮られた時代も違う(正確に調べてないから予想だが)物語が、自分の中で混じり合った瞬間。初めて味わったと言っても過言じゃなかった。少しの違和感と、それに気づけた喜び。「私は私と別れられない」。確かにそうだ。今でも私は私と別れたいと思う瞬間もある。だけど、こんな風に些細な気づきができたこと、偶然の積み重なりにすごく心ときめいた。私は私でよかった、と思えた。これがnoteを始めたきっかけ。文章を書く大切さを教えてくれた人の存在も相まってだけど、それも別の機会に書きたい。
…本当はこんなありふれた言葉でなんか言い表せないくらい、嬉しかった。のに、こんな平凡な言葉でしか表現できない自分が悔しい。もっと文章に磨きをかけたい。言語化できないことでも、限りなく近く言語化できるようになりたい。
今日、2019/12/25はクリスマス。2日連続アルバイト。そして昨日から3日まで連勤。アルバイトしたくないなあって思うけど、本質的には嫌じゃないのかな。お金があれば、好きなことにもお金を使える。美味しいご飯と、お酒と友達との時間。小説や映画や美術館に行く時間。20数年間生きてきて、やっと自分のことが理解でき始めた。社会人になっても、好きなことに好きでいたい。話がまとまってないけど。また書こっと。今もアルバイト終わりで、お酒入ってる。幸せ。
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