一寸先の異世界
久々にわたしが育ったまちにほど近い鳥取県の境港に逗留した際、「水木しげる記念館」を訪ねてみた。妖怪まんが「ゲゲゲの鬼太郎」はもちろんの事水木さんの異次元ワールドが存分に味わえる妖怪博物館だった。
妖怪談義をはじめるととまらないのでこの辺にしておくとして日本では、器、道具は100年経つと、つくも神となる。そして夜になるともの達は妖怪となって行進をはじめる。この国ではものも亡くなった人も百年たつと神や妖怪となるらしい。
超自然との繋がりを普通になしてきた日本人は自然エネルギーを関知し、目に見えない何かを山の神、海の神、説明のできない超自然現象を妖怪の仕業と説いて生きてきたのかもしれない。今ではそれは気のせいといわれるかもしれないのだけれど。妖怪談や怪談は超自然界と人の棲む世界、冥界と人間界との境界や繋がりを教えてくれる大切な物語なのかもしれない。気づいていないだけで一寸先はいつでも異世界と繋がっている。とわたしは思っている。
突拍子のない話かもしれないが、数年前娘と私は京都にある古い龍神、水源の神を祀る神社を訪れた際、娘は通り沿いの大きな古木の洞があまりに大きく珍しかったものだから半身を入れようと足を踏み入れた途端、からだを引っ張られて危うく知らない世界にもって行かれるところだった。慌てて身を引いて娘が急に涙したときはわたしも驚いた。それとよく似た経験は、沖縄の備瀬にあるフクギ並木の道をあるいているときにおこった。ある個所を通り過ぎようとしたとき、一瞬眩暈を感じふらっとしたのだけれど、どうやらいつものめまいと違う。そこを通り過ぎたらふらつきは嘘のよう。何かおかしいと思い、もう一度引き返して通ってみたらまたふらっとする。表現するなら、時空が歪んでいる感じ。何回かそれを繰り返したがずっと同じ感覚を覚えた。異次元への扉がそこにあったとしたら何かのきっかけで「神隠し」にあったとしても不思議ではないだろう。
次回につづく