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一寸先は異世界Ⅱ

 前回に続き、独断と偏見の異世界談義を続けよう。

わたしの怪談好きの扉を開いてくれたのは、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)。世界各地を渡り歩き、たどり着いたこの国で日本人より日本を愛したひと。だったようである。
 中学1年の夏、小泉八雲記念館を訪れた。かつて小泉八雲が住まいとしていた武家屋敷。庭に面した書斎で、妻、セツさんが語る怪談や伝承に魅せられ、「怪談」を執筆することとなる。各地に残された民話を再構成した「雪おんな」や「耳なし芳一」は子どものころ読んだきりすっかり忘れていたのだが、つい最近、ネット検索で「八雲会」のホームページを拝見し、八雲のひ孫、小泉汎さん(民俗学者)を中心に今も小泉八雲の作品や研究、イベントをおこなっている方たちがおられることを知る。

 八雲の怪談を読んでいるとき、ふと、怪談というものの本質は、人間の妄執からの解放なのかもしれない。と感じた。語り継ぎ、皆が口々に話しすことで言の葉は時間を超え、過去の恐ろしい経験や悲劇は変容し、発酵し、共感と共に浄化され、それが先祖供養となり昇華していく。


 こんな話を聞いたことがある。明治政府は文明開化とともに、欧米に並ぶ強い国家作りのため、神道国教化政策をとり、国という概念を強化する政策として、神仏分離令を敷いた・・・という建前の裏で、それまでばらばらに存在していたアニミズム、土着の自然信仰。所謂、小さな神々は非合理、無知蒙昧な迷信、無秩序な元凶とし、認可を受けていない行者、修験、巫覡、巫者たちが創始し、営んでいる信仰は思想上、市民生活上の危険分子として一斉排除を始めた。

 ところがそう簡単には八百万の神々はいなくならなかった。
盆踊り禁止令がだされたものの、大正時代には復活。戦後、都市化しても細々と続いて、ほぼ形骸化されたということを除けば、今自分たちで祭りなどを立ち上げる若者がちらほらと現れるという再興の兆しこそが先祖帰り。山伏禁止令も同じく。いまでも系統を継いでいる方が存在する。

明治初期に日本にやってきたある西洋人は、日本人の奇異さに驚きこう言った。『「きつねやたぬきに化かされる」ということを本気で信じ、日常的に体験し、話すこの国の人々は重篤な風土病に侵されている』
実際、地方の村にに行くと、つい数十年前には日常的な会話の中に稲荷神社の祭りで女に誘われ、気がついたときには境内を抜け、いつの間にか眠り込んでしまった。ふと気が付いたら山中。普通なら祭り気分で酔っ払って正気を失っていたんだろう。というところを、『お前は狐につままれたんだ』なんて会話は日常茶飯事だったようである。この国の人々は異世界交流が得意だったようだ。

「あの世」と「この世」は繋がっており、何かの拍子に境を超え、「あの世」を垣間見るのはこの国の文化であり、風土に育まれた精神世界が人間と物質から分離などされてなどいないことを皆知っていたのかもしれない。

 説明不能なものを自然に抱き抱えながら歩んできた先祖たちは西洋文明の目新しさに目が眩み、町が明々と街灯で照らされ、夜の暗闇が消えていく中で、一寸先に見ていたはずの妖怪や精霊たちが消えていくことに気づいていただろうか。

日本の長い長い歴史の中で、明治からわずか150年余りで、小さな神々や妖怪が本当にわたしたちの前から姿を消し、無味な世の中になってしまったはずがない。ゲゲゲの鬼太郎の世界は健在だ。
 記憶はなくともわたしたちの遺伝子は決してわすれていはいない。そして異世界との交流再稼働スイッチを入れるのは、怪談や神話ではないかと思っている。


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