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努力の賜物を「才能」の一言で表すのは失礼だ

どうも、ももさくらです。
今回はかなりの努力があってこその今の位置を手に入れてる人に対して


「才能があるから~」とか
「そんな才能うらやましい」とかいう人を見かけたので、なぜそんなことを思うのか、どうしてこれが「失礼」なのかについて書いていきたいと思います。

1、努力と才能の違い

ですが、まずは根本的なことを理解しないといけません。
努力と才能の違いとは、なんでしょうか?

努力とは、誰にでもできるけれど大変な作業。
才能とは、その人に生まれ備わったもので努力の成果をあげてくれるもの。

だと私は思っています。
才能が努力の成果を上げてくれるものだと思うのは、例えば、絵がものすごく上手な人がいますよね。俗にいう神絵師さん。その人は小学生のころから今の絵のようなすごく上手な絵を描けていますか?かけていませんよね。今までの努力があったから、上手な絵を描けるんですよね。才能は確かにある。でも、努力なしでは成り立たない。だからです。
つまり、才能はあくまで補助的なもので、本質は努力にあるということです

2、努力の賜物を「才能」の一言で表すのが失礼なわけ


1で才能はあくまでも補助的なもので、本質は努力にあると言いました。
察しのいい方はもうお分かりでしょう。

才能があってもかなりの努力、つまり、かなりの作業をやりきったからこそ今の位置にいるのに、本質的な努力に目を向けず、補助的な才能に目を向け、「才能があるから」で片づけるのは今までその人がやってきた全過程を全否定しているようなもの。だから失礼なんです。

これは結果だけしか見ていないからともいえますね。

(しかもそういう人に限って大した努力してませんからね)

3、そんな「失礼」な人がいるわけ

次に、そんなとんでもなく失礼な人が世の中にたくさんいるわけを書いていきます。


結論を言うと、自分の結果が出ないのを「才能がないから」と言い訳にしていて、自分に足りないものがある(努力をしている)人が羨ましく、現実から目を背けているからです。

自分がやらないだけなのに現実逃避し「才能がない」と思い、諦めるのはもったいないですし、やってきた人を「才能がある」の一言で表すのは何度も言いますが失礼です。まずは自分で努力をしてみましょう。

このnoteをきっかけにこういう人たちがいなくなってくれれば、少なくなってくれればいいなと思います。

まとめ

今回は努力と才能について書いてみました。
才能は努力あってこその才能ともいえるので、まずは才能があるない関係なしに努力をするべきですね。

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