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あの人に届け!④「あなたが都合よく使われる理由」~亡き恩人へ

今年になって人づてに訃報を知りました。
安倍晶子さんは、私が小説家デビューを目指して四苦八苦していた頃に紹介され、人生の恩人の一人となった方なのです。

安倍さんは当時、映画ノベライズの執筆者を探しておられました。
私を彼女に引き合わせてくださった某ラノベレーベルの編集長は、「なかなか新人賞が獲れない子だけど文章は書けるから」という形でご紹介なさったようです。
つまり私が初めて「仕事」として書いた本がこの映画ノベライズであり、初めて組んだ編集者が安倍さんだったというわけです。

まるで、BB弾をポコポコ放っていただけの素人に問答無用で実弾入りのM16を握らせて戦場へと蹴り出す、鬼軍曹でございました。
最終選考落ちを繰り返していたアマチュアの私に、350枚の原稿を1ヶ月で(もちろん商業レベルで)完成させろと命じ、泣き言や言い訳をしようものなら一升瓶が振り下ろされるは一切認めない――そんな方でございました。

ゲラ、校正、トルツメ、校了、入稿――。
当時の私はこんな用語すらほとんど知らず、校正マニュアルを手にどうにか作業を終えました。
見本本が届き、自分の書いた原稿が本になるというのはこういう感覚なのか……と、ただただ不思議でした。

その次は、「地方企業の取材本をゴーストライティングする」という戦場に蹴り出され送り出されました。
これまた超タイトなスケジュールでしたし、そもそも私は企業取材なんかしたことがありません。
けれども「私には無理です」と断るのは悔しく、というより一升瓶でぶん殴られる厳しいお言葉を受けるのが怖く、毎日取材に駆け回りました。

刊行された本は順調に売れたようです。
安倍さんは書店へ私を伴い、平積台の状況を見てガッツポーズをし、私の両手を取って小躍りなさいました。
この時、私は初めて愚痴をこぼしました。
「本当は小説家になりたいのに、ノベライズライターやゴーストライターがメインになってしまった……」と。
すると彼女はこう仰いました。
「あなたが裏方ライターとして都合良く使われている理由が分かる? その程度の力しかないと思われているからですよ。悔しいなら脱出しなさい」
この一言がなかったら、小説の新人賞に再び挑戦することなく終わっていたでしょう。
最終候補止まりの壁を突破することができたのは、それから程なくのことでした。

ようやく受かった某新人賞の授賞式で私がスピーチをしていた時、会場に安倍さんのお姿があることに気付きました。私がスピーチを終えると拍手し、件のラノべレーベルの編集長と共に、花束を渡しに来てくださいました。
その後、 お祝いのプチ食事会も開いてくださいました。
食事会の後、「駅まで送りますよ」と私のキャリーケースを持ち上げ、渋谷の歩道橋階段をひょいひょいと登っていかれた逞しさには圧倒されたものです。
もうこの世におられないというのが、いまいち信じられません。

そんな安倍さんですが、繊細で傷つきやすい一面を覗かせることがおありでした。
酒をぐいぐい飲みながら涙ぐみ、「ねえ聞いてくださいよぉ」と苦悩を口にしておられた横顔を、今でも朧気に覚えています。

私が文芸方面に移行してからは安倍さんとお仕事する機会もなくなり、年賀状のやりとりもいつしか途絶え、フリー編集者・ライターとして独立なさったと人づてに聞き、それから幾年もが過ぎ――今年になって耳にしたのが、既に彼岸の人になられたということでした。

天国の安倍さんは私を記憶しておられないと思います。
けれども私にとっては今でも大切な恩人の一人です。
恩人というのは、恩を受けた者が覚えていればいいのです。
改めて感謝とご冥福をお祈りいたします。

安倍さんの最後のお仕事は「小説家」だったと聞きました。
共同名義ではあるそうですが、なぜ甘党な筆名を……。


文中画像 PAKUTASOさんよりお借りしました。https://www.pakutaso.com/


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