ドッグイア#2
みなさん、おはようございます🌞
さいさいさんに引き続き、今回は遥々岬が詩を思い描いていきます!
さいさいさんの作品は非常に表情が豊かでカラフル🌈
読ませていただいた時は、とても楽しい気持ちになります(*´▽`*)
『10月』をテーマにしたとのことで、赤トンボが登場していましたね。
実際に、トンボが元気に飛んでいる姿が見られる季節になりました。
私たちが暮らす札幌では、秋の食材を楽しむお祭りやイベントがたくさん開かれています。
遊びに来ることがありましたら、ぜひ美味しい物をたくさん食べて、満腹になって帰ってくださいね(#^w^#)
さて、私が書く詩もまた、秋を感じながら考えました。冬に向かう物寂しさから、吐く息が白くなるような肌寒さを意識してみたりして。
長い解説のあとに、解説から少し脱線した解説のまとめもあります。
最後まで読んでいただけたら嬉しいです。
どうぞ、よろしくお願いいたします。
星の真下
半端な気持ちで踏み出した
手探ろうとも 指先に触れるものは無い
語る夢に頷けなくなったのは 自分自身
それでも 遠くを目指す この胸のわずかな灯で
語る夢に憧れが消えたのは 何年の何月何日
星の最期をみるように 夢の死に際は赤い
これまでの葛藤 憧憬 希望 喪失
堪りにたまった感情は 膨らみ 弾けて消える
星を見送った ワタシ
性懲りもなく 星を探しに家を出る
かつて 身を焦がした夢に似た星を探しに
見つからなくたって いい
星を探すことに 希望が持てるのだから
空が明けたなら 見上げた先に 必ずや星は在る
夜が暗闇を気取ることは 難しいのかもしれない
キラリ
見つけた 美しい星
その真下で 焚火をしよう
毎日 毎日
火に薪をくべて火に思いを託す
膝を抱えて 細枝で火を突きながら
夜が深まるたび 燃える火に答えを探して
パチリ
弾けた火に瞬きひとつ
星の輝きを思い出しては空を見上げる
キラリ キラリと光る星から視線を落とすとは なんたることか
星に 煙が辿り着く日が訪れるかもしれないのに
キラリ
流れた涙が煌めく
弾けた火が 涙を輝かせた
その涙を見て 誰かが美しいと云った
ワタシからは見えない火の輝きを見て 綺麗 とも
すると不思議なもので これまた突然 孤独になった
ワタシは火に薪をくべ続ける
お尻が痛くなろうが その場に留まり 火の番をし続ける
それが 私ができること
星を見続けることでしか 叶えられない願い
煙に巻かれた星が いつか降りてくる その日まで
ただ、火に薪をくべ続ける
空に願いを捧げながら
〇独)六〇九三九ー二一〇七 遥々岬
解説
主題と象徴
星 = 夢
今回、星は私たちが追い求める理想や目標の象徴として書きました。その遠くにあって手が届かない様子は、夢が簡単に達成できるものではないということを示しています。また、その輝きから希望や憧れを感じさせる存在でもあります。
しかし、名もなき小さな星に価値を付けたのは『ワタシ』以外にどれだけの人がいるのでしょうね。
火の番 = 努力の過程
焚火の火は努力の象徴であり、薪をくべて火を育てる行為は、夢を実現するための地道な努力を示唆しています。火を絶やさないようにすること、つまり夢を追い続けることの重要性を強調しています。
また、火が灯っている間は温かいですよね。叶う、叶わないは置いておいて、努力を続けている限り心が凍えることはありません。
夢への歩み
「半端な気持ち」という言葉は、自己の夢に対する不安や疑念を反映しています。夢の実現を想像することは容易ですが、その過程を具体的に描くことは難しいものです。周囲は真っ暗で、手がかりも少なく、心の中の希望と現実のギャップが生じやすい状況において、夢を持つことの曖昧さが浮き彫りになります。
努力と苦痛
夢を抱き続けることは容易ではなく、その過程では何度も苦痛や挫折を経験します。夢が実らないと感じる瞬間には、心が深く傷つくこともあります。それはまるで、人の死を見送った時のような喪失感です。「星を見送った」というフレーズは、過去の努力が実らなかったことを暗示し、その傷が癒えていないことを示しています。
星を見つけるための旅
『ワタシ』は星を探すために家を出ます。焚火をしながら、疲れ果て涙を流しても、火を絶やさない努力を続けています。この姿勢は、夢を追い続ける人々の決意や、希望を持ち続ける力を象徴しています。
涙の美しさと孤独
流した涙は努力の結果としての苦しみを象徴しています。しかし、『ワタシ』にとって涙の美しさを理解することは容易ではありません。また、自分が灯し守り続けている火で他者が何の努力もせずに暖を取ることを良く思っていないため、誰かに声を掛けたり引き止めたりする描写はありません。目標に掲げた星はひとつしかないのです。
詩の中で、「不思議なもので、これまた突然、孤独になった」と書かれていますが、これは他者の評価と自己の感情のズレを強調し、孤独感が増す瞬間を際立たせています。共感してもらえないことの辛さが伝われば幸いです。
最後の願い
『ワタシ』は生活を投げうって火の番を続けることで夢を実現しようとしています。煙には願いが込められており、それが星に届くことを祈り続けています。夢を実現するには、他者が思いつかない方法を模索し、形にすることも重要です。また、火の番を続けることは、緩急のない地道な作業の繰り返しの大切さを表しています。
他者との関わり
他者の関わり方によって、夢を追う『ワタシ』の道のりが影響されることがあります。無責任な言葉は『ワタシ』を惑わせ、火を消そうとする人には警戒が必要です。しかし、時には火を守る手助けをしてくれる人がいることも、心の支えとなります。
火に土や水を掛ける人は以ての外であり、風向きや松の実をくれる人は大切にすべきなのです。
努力している人にとって、どのように見守られるかは非常に重要な要素であり、無意味な励ましはかえって逆効果となり得ます。
夢と他者の視点
夢を描く際の曖昧さは、努力の仕方を惑わせます。『ワタシ』の星探しの旅は、無邪気で自由に見えるかもしれませんが、それを羨ましく思う人もいれば、愚か者と呼ぶ人もいるでしょう。しかし、悪い影響を及ぼす他者の反応は切り捨てるべきであり、そのために旅を止めることは決して許されないと思います。『ワタシ』が感謝できるのは、火の番を共にしながら星を見上げる人や、煙を高く伸ばす方法を教えてくれる人だけです。他者との関わり方や見守り方がいかに大切か、この詩に込めてみました。
努力の在り方
人との繋がりは根気が必要です。努力は自分の星を掴むためにするものであり、他者に自己投影して努力した気になるものではありません。だからこそ、自身の曖昧さを理解しつつも続ける意味や、他者との関わり方について、心の深層で考える必要があります。
解説のまとめ
これはあくまで遥々岬が考える努力の一つの形です。
真珠を求めて海の底を目指す人や、地底遺跡を掘り当てようとする人、それぞれが異なる努力をしていますが、共通しているのは「続けること」だと私は思います。他者との関わり方も、人によって様々です。
何もしない人がいつまでも暖を取っているのを見ると、私には疑問を感じることもありますが(笑)。
長い解説を最後まで読んでくださった貴方だからこそ、私にははっきり伝えたいことがあります。
それは「自分と他者の認識は違う」ということ、そして「人によって異なる善悪がある」ということです。
「大丈夫」「できる」という言葉に、私は時折無責任さを感じることがあります。励ましの言葉が、いつも善意として受け取って貰えるとは限らないのです。
聞こえの良い言葉を使えば励ましになると安易に考えず、相手の様子を確認しながら会話を試みることは、とても大切だと思います。
星を探しに出かける者を愚かだとする意見には、私も同意することがあります。しかし、火の番をしている人を惑わし、火を消そうとする行為に勝る愚かさではありません。
大切な人であればあるほど気をつけたい。小さな変化にすら思いやりたい。
努力を実らせるよりも、心を挫く要素は沢山あるのです。
再び、無謀にも夢を見た。その夢を呆れられることもあるでしょう。しかし、それで良いのです。努力の火は、自分の体を温めてくれるのですから。体が温まっているなら、星が動いても追いかけることはできます。もし星を掴むことができたなら、こう言えば良いのです。「ただ火の番をしていただけだよ」と。それっぽっちのことだと。
私たちが感じた苦悩を他者に教える必要はありません。火の番をしている姿を知っている人だけが、私たちの苦悩を理解してくれれば、それで十分です。
もし、努力の痕跡や軌跡を語ってくれる方がいましたら、ぜひ教えてください。
私は、『ワタシ』のように、星を語るだけでなく探しに出る人が好きです。
それでは最後となりますが、解説を読み終えた後、ぜひ詩をもう一度読み返してみてください。きっと、最初に読んだ時とは異なる視点で、他者の目を通して詩を捉えることができはずです。
それでは、次の更新は11月4日となります!
さいさいさん、よろしくお願いします~!🚩
他、お互いの詩と解説を読み、ちょっとした座談会を開いたので研究レポートとして同日の別記事で更新いたします。
ぜひ、そちらの記事も合わせてご覧ください。
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