形式上毎日投稿は続けるが、今日は本当にやる気がない。眠い。 何も書かずに寝てやろうかとも思ったけど、やる気がない時に「やる気がない」と正直に書くことには多少意味があるんじゃないかと思う。 疲労困憊、ではないけどなんとなく疲れてて、YouTube見ても心から楽しめなくて、なんか少し眠くて。 頑張った反動なのかもしれない。普段無理し過ぎてるのかもしれない。 皿洗う気力はあるから、それだけやって今日は寝る。 無心で素直に書いた。まあこんなもんか。 別に負けでもないしそんなんどう
「決意」によって今日から目的・目標が変わり、自己満足だけで書くわけにはいかなくなった。 「読んでもらえる記事を書くにはどうしたものか」 自問するなかで、ひとつの答えが嘗て読んだ本にあったことを思い出した。 “自分の頭の中をそのままコトバに”せず、“相手の頭の中を想像”し、“相手のメリットと一致する”文章を書くようにする___下敷きとなったのはベストセラー『伝え方が9割』より「イエスに変える3つのステップ」だ。 強いコトバ、相手からイエスを引き出すコトバの作り方であるこの3
○ 本読みに来たハズなのに楽しくない! 図書館に来てみたは良いものの、どれだけ本棚を眺めても、ちっとも読む気が起こらない。 以前にも似たようなことがあった。先月のことだ。卒業を間近に控え、最後にやり残したことはないかと考えたとき、大学図書館を殆ど利用していなかったことを思い出し、数日間通いつめることにした。 「本、めっちゃ多!!」 初日は興味が尽きることなく、時間を忘れ十数冊の本を読み漁った。春休み中ということもあり利用者は殆どおらず、ほぼ貸切状態。快適な時間だった。しかし
頭でっかちなノウハウコレクターになってしまって、どれをやったらいいのかわからなくなるのは本末転倒___ごもっとも。でもちょっと待ってほしい。 実践あってこそ知識は経験となり身につくもの。読むだけで行動に移さないようでは勿体ない。意味が無いとさえ言える。曰く、全てのものは二度作られる。頭の中で作られ(想像)、その後現実に作り出される。読むばかりで行動できない状態は、この最初のステップで止まっていることになる。またある本ではアウトプットでしか世界は変えられない、とも。 本から
等身大、ありのままの人の姿が描かれている映画作品は共感し易く、心が動かされやすいな、という話。 人を妬み、羨んだり、酒や女に溺れたり、苛立ち、衝突したり。それでも前を向いたり。全部が自分と同じじゃなくても、共通項があれば共感を抱き易く、特にそれが一般的に負のイメージを持つものであるとき、主人公が前に進む姿に勇気をもらえる。 余白は多い方がいい。色々考える余地があった方が、観賞後もずっと浸っていられる。“人生は、他者だ。”___なんのこっちゃ。 主人公が感情を振り乱して言
要はサウナ行きましょうって話。 サウナに限らず、あったかいところと冷たいところを行ったり来たりすることは単にキモチイイだけじゃなく身体にも心にも良い。 副交感神経がー、とかムズカシイことはようわからんけど、スマホの登場でぼーっとする時間が消滅しつつあるこの頃において、おっきいお風呂でぼーっとするのはなかなか良い気分転換になるかもよ。 ゆっくり浸かってるときの、あのなんとも言えない没入感というか、身体をじんわりと温められながら、何も意識せず、お湯が流れる音だけ耳に入ってく
他の人が、自分は何とも思ってなかった人の悪口を言っているのを聞いて、急にその人を見る目が変わる。 主観的に意味づけした世界を生きている以上、世界は簡単に敵だらけになり得る。他人がどう思おうが、自分は自分って考えればいい。言葉ではカンタン、実践するのは、それなりに難しい。 昔から「よそはよそ、うちはうち」って言うし。使われる文脈はたぶん、まったく違うけど。うまいこと言いたいけど難しいな。 好き勝手に書いているんだし、見てもらえなくても構わない。けど読んでもらえたら嬉しいん
アウトプットの重要性が至るところで叫ばれる昨今。“ノリと勢いを大切に”をモットーとしているのでとりあえずNoteに投稿します。 良い文章を書くためには、ただひたすら良い文章を読み、書き続けるしかないそうです。勢いで始めて、面白かったら続けるし、めんどいなって気持ちが勝てばやめてしまうつもり。 崇高な目標なんてありません。取り込んだ文字列が、少しでも自分の血肉となるように、書けることを書くだけ。みんないきなり100点を取りたがるけど、いちばん最初は30点で良い。と、樺