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禍福は糾える縄の如し
最近、好きだなと思った諺をタイトルにしました。
座右の銘を聞かれたら、これを答えようかな。
今の社会では、そんな会話はないでしょうかね。
仲良くしている同僚に、
「頼りない言葉だけど、神様は見ていると表現するように、努力している人間は報われるようにこの世界は出来ていると、俺は信じている」
といったことを言われました。
それは私に対する、慰めの言葉でした。優しく、嬉しい言葉でした。
どんなに環境が変わっても、この人のことを私は一生忘れないと思います。
最近とても悲しいことがあり、悲しすぎて涙が出ませんでした。もはや当然のことというか、覚悟は出来ていたのだろうと思うのですが、なんかもう本当やってらんねえよ、というほどに悲しい出来事でした。
しかしその後すぐに、事態が好転しました。
一生誰にも話したくないな、と思うような経験の中で、とてつもない幸運に出会っていたことに気が付きました。
私はその幸運と毎日のように言葉を交わし合い、とんでもなく満たされています。
まさにこの諺のようです。たった2週間ほどの間に起きた出来事です。本当に、人生とは何があるか分からない。
幸福の先には、必ず絶望があるような気がしてしまいます。
けれどその幸運と呼ぶべき存在は、自分と居たら人生は楽しいと豪語しており、私も今心の底からそれに同意し、期待をしています。
今を信じることが、明日や明後日の幸福に繋がりますように。
失くしたものも手放したものも、もう元には戻らなくとも、今の自分を作るもの全てに、いつか自分なりの答えが出せますように。
短いですが、今日という大切な日を忘れないために記します。
寝て起きたその後が楽しみなのはいつぶりだろうか。
おやすみなさい。