恐ろしく甘い欲
出来ないこと、怖いことがあると、それに立ち向かわなくてはならないのではないかと思ってしまう。
身近な人たちとよく性の話をする。
この類の話題が好きな人は多い。
私も嫌いな話題とは思わない。
けれど、大抵の場合は汚らしいと感じる。
このことについて、特定の誰かに深く話すことは躊躇われるので、あんまり得意じゃないとだけ返す。
好きなった人が、恋人との性行為を重要視していないようで、その自分の思考によって過去傷付いた経験があるようで、私はその人のことをもっと好きになった。
この苦手を克服するために、多くの人と出会い、別れた。
そうやって月日を過ごすにつれて、興味や欲求はなくなっていった。私にとっても、その行為は重要ではなかった。
性的な事柄が嫌いな訳ではない。けれどそれが主にあるような方に出会うと、酷く嫌悪が湧いて、軽蔑してしまう。気持ちが悪いと感じる。
居酒屋で働いている時、そういった中でも極めて下衆な話題が耳に入ってしまって、キッチンで涙したことがある。怒りと憎悪で気が狂いそうになったところを、共に働く友人が宥めてくれた。
これは、私の価値観であって、そうである人が悪い訳ではない。だからこそ周りに強制しないし、特定の誰かに向けてこの話をすることはない。
けれど、だからこそ、時々ぶれてしまう。私がおかしいのか。私が間違っているのかと。
これはそういった話ではなく、誰かと私の考え違っているだけだというのに。
女性として魅力を感じられるのは、他に変え難い快感でもあり、とんでもない恐怖でもある。
私の身体は恐らくそれなりに女性として魅力的で、でもそのお陰で、死んでしまいたいほどに恐ろしい目に遭ったこともある。
愛しいと思う相手に、性的な目で見られたくないのはそういった経験からなのかもしれない。
自分が性的対象に当てられた瞬間から、私は私が、ただの性処理道具になってしまったように感じるのだろう。
残念な価値観だと我ながら思う。
これって、元を辿れば私自身がそうなのだ。
私自身の中で、性欲と愛情が乖離している。
それでも今のところはまだどうしようもない。
この先へ、どうしても思考が進まない。
まだしばらく、向き合って考えていこうと思う。
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