見出し画像

夢の中で不安と手を繋ぐ


今日は長くゆっくりと眠った。
10時間以上眠れた日は、身体がマットレスに溶けている感じがする。必ず夢をみてしまうので、眠っても疲れは取れない。夢では別の世界の中を生きているし、それは現実よりも奇怪で、けれど私自身はその時その場所を現実だと思い込んでいるから必死に息をして言葉を紡いでいる。

マットレスに溶ける身体は軋むように酷く傷んでいる。
他者の身体に密着していないと熟睡できないのは、幼い頃からのこと。恐らく人生の半分以上は悪夢を心に刻み込んだ状態で目が覚めている。良いものではない。しかしこれが結構好き。(みる夢の殆どがパプリカや鉄コン筋クリート、田口翔太郎漫画みたいな中毒性のある世界観のため)結果的に一人で眠る方を好んでしまう。

悪夢を見るのは、好んで一人で居るからだと思う。
孤独は不安と契約を結んでいるからセットになっていて、その中に一生居るのは耐え難い。それは避けたいと心は願っている。けれど頭が一人を好んでいる。今はやめとけ、今は。と言われている。大切にする余裕がないのを自覚しているから、人とはなるべく過ごしたく無いのだろう。

夢では不安が体現されている。悪夢は心が産んでいる。不安という傷が化膿し、その膿の中に私は閉じ込められる。私にとって眠りとはそういうもの。場合によっては恐ろしくて堪らない。現実世界で頭が疲労した場合は、これのお陰で不眠となる。そして身体も疲弊する。

サイボーグだったら寝なくて済んだのかしら。
私は人間だから、眠りが必要だし奇怪な夢は自傷的な快感になってしまう。
心は、結婚したら熟睡できるようになると盲信している。一人で生きていくのは容易いけれど、心はそれを求めていない。心と頭は他人。本能と理性は別個として私の中にある。そして身体は平等を目指して生きている。
チャットモンチーのこころとあたまって曲良いですよね。


今は真昼間にカーテンを閉め切って、スマートフォンの明かりと過ごしています。何かを産み出すには明るさが足りていない今日。マットレスに溶けた身体が、まだ夢の中の不安に手を伸ばしているから。現実に引っ張り起こされる時間まで、夜のように心に沈んでいたいと思う。

本屋に行く時間がないので、Amazonで本を一冊買いました。男性の文章を読むのは何年振りだろう。楽しみです。

現実まであと4時間。写真は根津神社です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?