私の家の話
タイトルは、宮藤官九郎脚本のドラマ「俺の家の話」へのリスペクトを込めて。
介護×能×プロレスという異色の組合せで描く家族の物語である。介護という重いテーマを扱っていながらテンポよく、軽妙で、明るく笑えて、それなのにやっぱり泣ける名作だ。私の最も好きなドラマのひとつである。
祖母を介護施設に入れたばかりの頃、動画配信サービスで俺の家の話を見て大泣きした。ドラマを見ていて泣いたのは初めてだった。自分が当事者になったことで、より深く刺さるものがあったのだ。
そういうわけで、これは私の家の話、もとい私の介護奮闘記ダイジェストである。
私にとっての介護は、母が入院し、祖母の在宅介護が崩壊した一昨年から始まった。
当時、祖母は要介護4。母が同居して見守っていたけれど、在宅介護はもう限界だった。
私は祖母の家から高速で片道1時間超、隣県に暮らしていて、時々様子を見にいって母の相談には乗っていたけれど、その兆しに気付けなかった。
限界を超えた在宅介護は崩壊し、母は入院。
自分が祖母と同居し、介護休職を取る選択肢も脳裏を過ぎったが、自分の暮らしと仕事を損ねて家族に奉仕する選択はしてはいけないと思い、介護施設利用を選択した。したがって、私の経験した介護とは主に事務手続き、金銭管理の代行、病院付添などである。
幸いショートステイ(短期の宿泊介護施設)にお世話になることができ、その後長期的な入居先も決まった。しかし祖母は現状が理解できず、自宅に帰りたいと施設の出口を探して歩き回る日々。
突然知らない人の中に放り込まれ、慣れ親しんだ暮らしを失って、コロナ禍で家族の面会もままならず、さぞ不安で寂しかったことだろう。
私は私で、祖母の身の回りのことは1から調べなくてはならず、祖母と母の2人分の督促状や紛失物の手続きに、生活用品を届けたり病院に付き添ったり、タスクに追われ自宅/会社と地元を往復する必死の毎日を送っていた。
言葉で書いてしまえば簡単に見えるが、有給休暇は全てこれらの対応に当て、土日も自分の用事にはほとんど手を付けられず、会社でも昼休みは関係各社との電話調整で気が休まる間もなかった。祖母を病院に連れて行くが、自分の通院はままならないような状況。
しかしながらそんなことをどれだけ頑張ったところで、祖母にとってはただ自宅に帰れない寂しい日々が続くことに変わりはない。何度でも事情を説明したが、短期記憶が持たず、幻想にも上書きされてしまうので状況の理解を求めるのは困難であった。
そのうえ、私が頑張れば頑張るほど祖母は申し訳なさそうに小さくなり、他人行儀になっていった。
孫に世話になるばかりで、自分は何もしてあげられないとこぼした。
私は祖母に気を遣わせないように声掛けし、明るく振る舞うよう努めていたのだが、やはり祖母を笑顔にすることはできなかった。
そうはいっても為すべきことは山積みで、ひたすら走り続けて嵐のような日々を越え、昨年になってようやく一通りの環境を整備することができた。自分の時間を取り戻した私は、介護優先で自分のことを後回しにし続けた反動から大いに遊び、趣味活動を再開して日々を充実させた。これも介護施設のおかげであり、自分自身に安定した収入があるおかげである。
ちょうどコロナ禍も明けた折、介護施設生活が1年と少し経った頃、ようやく銀行や病院への用事ではなく、ただのお出かけとして祖母を連れ出すことができた。
その日の祖母の嬉しそうな顔を見たときに気づいた。祖母に笑ってもらうには、まず私が心から笑っている必要があったのだと。
結局いちばんの孝行は、自分自身が元気で毎日幸せで笑顔でいることだった。
諸事情あり紆余曲折の末、成年後見人制度を利用することにした。
本人の判断能力に応じて、後見人、保佐人、補助人のいずれかを家庭裁判所に申し立てる。それぞれカバーする範囲が異なるので、関心のある方はリンク先からご確認いただきたい。
祖母の場合は保佐人が適当ということになり、必要な一連の(大量の)書類をこさえて申立を行った。
家族を保佐人の候補者として申し立てることができるが、我が家の場合は裁判所に一任し、専門職後見人がつけられるようにした。
申立から約2ヶ月、先月無事に保佐開始の審判を受け取ることができた。
各種代理権をつけたため、事務処理や金銭の管理は保佐人に委ねることができ、私が担っていた役割の大半はこれで終了となった。
介護奮闘記はこれで一区切りである。
今後はただの孫として祖母に会いに行き、一緒に楽しい時間を過ごせたらと思う。
我が家は非常に幸運なケースであったと思われるし、短い期間でもあったが、この2年間から得た知見をまとめる。
・自分の生活と仕事は極力犠牲にしないこと。事態が急激に動くときには視野が狭くなりやすいが、介護が終わっても自分の人生は続いていくことを忘れてはいけない。
・元気なうちに祖父母や両親の話をよく聞いておくとよい。資産や保険関係、各種契約、本籍、世帯主、病歴、PCのパスワード…
・家族の誰かに負担集中しないように。被介護者が増える恐れもある。
・家族「だからこそ」できない、うまくいかないこともあるから、可能ならば介護は介護の専門家に任せたほうがよい。
・でも実際、家族を介護施設に入れることには激しい葛藤も伴う。
介護者、被介護者という関係はこれまでの家族の関係性を変えてしまうこともある。変わった関係を受容することも時に必要だと考えるが、精神的に負荷がかかることも事実だ。
祖母は、事務処理や金銭管理の代理権を保佐人に与え、孫から保佐人にその役割を移管することについてははっきりと賛成してくれた。
また、家族の介護施設入居については、施設利用が可能であっても本人が納得していない場合は家族の側がどうしても罪悪感を背負いやすいと思う。
しかし長い目で見れば、本人にとっても家族にとっても施設入居が最適であるケースは多いはずだ。
祖母の場合、本人が施設を拒むので母が在宅介護で支え続けていたが、食住環境としても親子の精神衛生としても望ましい暮らしとは到底言えない状況に陥っていた。これはかえって祖母の認知判断能力の低下を加速していた可能性もある。実際のところ、介護施設に入居して暮らしが落ち着いてからは、祖母の要介護認定は要介護3に下がったものである。
介護を取り巻く各家庭の事情は千差万別で、センシティブなところもある。現状でも施設や制度が利用できない条件で苦しい思いをしている家庭も多く、さらにはいわゆる2025年問題で今後はさらに介護サービスが利用しづらくなるかもしれない。家庭内に抱え込まず、社会全体で支え合える未来であってほしい。
私にも次は両親の介護が待ち受けている。今からできる準備を少しずつ始めていきたい。
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