43. 長く話しすぎてしまう方へ。変わった見立てを提案します。
こんばんは、しいまです。
こういう寒い時期に、鍋とかラーメンとか
あたたかいものを食べると、
たまらなく美味しいですよね。
寒いのは嫌ですが、
こう美味しいと冬もいいよなぁと、
現金に感じる私です。
今日はそんなラーメンを食べていて、
浮かんできたことがあったので、
そのことを共有させていただきます。
今日話したいことは、
ラーメンの麺の長さは、程よいから食べやすいように、
話の長さも程よいから、一口ずつ咀嚼(理解)していける。
麺(話)が長すぎると、受け手が一口で食べようと
啜り(聞き)続けなきゃいけなくて、咀嚼(理解)が始められない
です。
何言ってるんだ?こいつ。
って感じですよね。笑
もう少しお付き合いください。
他人に話を聞いてもらうことは、
他人に麺を食べてもらうことと同じだな、
とラーメン食べている時に思いました。
もし今食べてる麺の長さがめちゃくちゃに長くて、
しかも途中で噛み切ってはいけない。
となってたら、めちゃくちゃ食べにくいですよね。
麺がめちゃくちゃに長いのに、
噛み切ってはいけないなら、
途中で諦めて、口から出してしまうでしょう。
でも、これ話や説明だとついやってしまうこと多いと思うんです。
「噛み切らず、一口で咀嚼(理解)せよ」
と言わんばかりに、最初から最後まで全部一気に説明した上で、
「わからないとこある(咀嚼できた)?」と聞いて、
「ありません」と返ってきて、説明できた気になる。
でも実際は、受け手は途中でもう一口の量を超えてるから、
理解(咀嚼)することを諦めて、説明を聞いたふりをしていただけ。
それで、実際にやってもらうと、
わかっていないことがほとんど。
こういうことあるんじゃないでしょうか。
私自身もついやってしまうときありますし、
同じ職場でも見かけること多々あります。
これ、今までは
「ま、こういうこともあるよね」
ぐらいにしか思ってませんでしたが、
超長い麺を一口で食べさせようとしてる、と思うと、
「わたしの渡し方がひっどいな。次からすぐに変えよう。」
とどんなことをしてたのか、客観視できた感じがしました。
身近なことに喩えたことで、どういうことをしてるのかを
感じられたからでしょうか。
なら、どうするか?
ラーメンの麺の長さは、
短すぎず、長すぎずと、
程よい長さになっています。
なら、話の長さも同じように、
短すぎず、長すぎず、
一口ごとに咀嚼(理解)していける、
程よい長さにするしかありません。
では、
具体的にはどれくらいの長さか?というと、
一呼吸分かな
と思っています。
長くても、30秒ぐらいが一口の限度じゃないかなと
と思います。
「いやいや、そんな都度「わかった?」って聞いてたら、
かえってテンポ悪いでしょ!」
と思いますよね。
わたしもそう思います。
だから、都度「わかった?」と聞くことはなしにして、
その代わり、一口分話をする度に、
相手の様子を観察することにします。
あいずちやうなずきがあったら、
それで十分ですよね。
逆に「んーー??」と咀嚼(理解)している最中のようなら、
少し待つことにします。
そんな感じでこれからは
・一口分を意識して、話をする
・相手の咀嚼(理解)が止まっているようなら、話も止める。
を意識して、話や説明をしていこうと思います。
で、それを思い出すために、
話をすることは、麺を食べてもらうこと
という設定の世界観で過ごしてみようと思います。
「そういう設定です」という小説みたいに。
まぁ変な設定ですが、
これで話や説明が理解されやすくなるなら、
どんなイメージでもいいですよね。
皆さんも
「話を理解してもらえないなぁ」
とかがあるなら、
麺を食べてもらうというイメージ、
おすすめです!
それでは今日はこの辺で。
お読みくださり、ありがとうございました。
少し変えることで、日々がととのいますように。
ととのった状態で、出会いを迎えられますように。
しいま
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