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推しが推しでよかった

昨晩、とあるニュース番組で私の現在の推しこと米津玄師氏のインタビュー映像が流れた。彼のインタビューというものを初めて観たが、驚くほどまっとうな人だと思った。社会や人間というものについて考える習慣がある人のような気がする。

本当に、このご時世に珍しいほどまっとうだ。現代日本はチキンレース化している側面があると思う。映像というものに焦点が当たり、YouTuberが職業になり、再生数を上げるために「どれほどショッキングなことができるか」を競い合い、逮捕者が出たり度を越えたドッキリをしたりしている。そういう時代において、まっとうでいることはとても難しい。

チキンレースは簡単だ。今までは良心が働いて誰もやらなかったようなことをやればいい。みんなが驚いて、恐怖を感じて、怒りを覚えて、面白がって、勢いでシェアしてしまうようなものをつくればいい。低きには惰性で流れる。

だがまっとうでいるには、たゆまぬ努力が要る。社会にとって、他人にとって正しくありたいと思い実行するには常に勉強しなければならないからだ。日々概念だったものに新しい名前がつき、誰かが救われたり、論争したりする。そうして磨き上げられた概念はきっと誰かの中で宝石になる。

米津玄師氏がラジオ?の中で「マッチョイズム」と言ったことがある。Wikipediaによると「マッチョ」は

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ということらしい。イズムは「主義」か。「マッチョイズム」は男性に「男らしい」ことを要求する。その「男らしい」から零れてしまった人間はどうすればいいのか、という話だったと思う。「マッチョイズム」は弱者男性への呪いであるとともに、女性への蔑視だ。

「マッチョイズム」にハマれなかった(つまり「なよなよした」と形容される)男性が、ハマれた男性から何と呼ばれるかといえば、「女の腐ったような奴」だ。「男より下の女より下のダメな奴」という罵倒は弱者男性と女性双方に対する侮辱だ。

だが弱者男性はそれを言った強者男性には歯向かわず、女性をさらに虐げることで「こんな奴らと一緒にしないでくださいよぉ」という態度を取りがちなのが残念だ。

先日書いたこのnoteの「女性差別は最後の人権問題」という言葉はこういうところからできているのだろう。

マッチョイズムの解消は弱者男性の解放を経て女性の解放に繋がると思う。強者男性から下駄(不当な優遇)さえ脱がせることができたら、女性が入試で選別されることも、同じ労働内容で男性の賃金の7割しかもらえていないことも、高卒男性の賃金帯と大卒女性の賃金帯がほぼ等しくなってしまっている現状もなくなるだろう。

差別の解放に繋がる概念を、若い世代から圧倒的な支持を得ているアーティストが知っていて、ラジオのような広く聴かれるもので話してくれることは、きっと若年層をフラットな価値観にしてくれるはずだ。米津玄師氏にはこれからもたくさん発言していってほしい。誰も傷つけることなく。


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