28回:華語電影の時間
華語電影って?中国電影と何が違うの?
大家好、毎週木曜は《華語電影專題》(中国語系映画研究)という講義があり、毎週それ用の映画数本と論文を読んでいます。ちなみに今週の作品は侯孝賢《悲情城市》(1989) と林正盛《天馬茶房》(1999) でした。この講義一昨年までは《台灣電影專題》という名称で、扱う作品は今でも台湾の作品が主です。
さて、この“華語”という領域、みなさんも馴染みが薄いと思います。英語ではsinophone(サイノフォンってカタカナ化するのかな?)と呼ばれる領域です。意味としては中国語系、という形になります。この系のなかに台湾語や客家語、広東語も含まれます。ただ、例えば中国や台湾の先住民の言語は含まれるかどうかは議論中です。(英語とAnglophoneの関係も参考になると思います。英語文学や映画は英米という枠組みでは既に捉えられないですからね)
華語電影の中の台灣電影
1987年までは戒厳令下で言論の自由が制限されていたため、その影響は映画にも強く及んだ、というのが台湾の映画を1987年以前の映画を語る際によく言われることです。確かに228事件に言及出来るようになったのは《悲情城市》や《天馬茶房》といった解嚴後の作品ですが、映画制作に携わる人間が制約に簡単に屈するはずもなく、60年代から既に政治性は育まれてきました。例えば梁哲夫《台北發的早車》(1964)は当時の健全文芸路線(背景には反共=健全な社会の提示というプロパガンダがある)に早くも反旗を翻していて好感がもてます。
また劇中の使用言語ですが、50年代60年代ではそもそも大半の演者も観衆も台湾語しかわからないという状況もあったため「台湾語は公の場では禁止」というルールはあったもののなし崩し的に映画内でも使用されていました。辛奇《地獄新娘》(1965)や《危險的青春》(1969)はその代表格と言えます。また国語(中国語)の映画を南部で上映する際には台湾語の活弁士が付いた程です。
一方で60年代は武侠映画というジャンルが黄金時代を迎えます。というよりも胡金銓という才能が世に出たことで映画のルールが変わった形です。騙されたと思って《龍門客棧》を、そして《俠女》を観てください。
(武侠映画は華語電影を考える上では示唆に富んでいる。例えば《俠女》は台湾の監督が香港で撮った作品であるし、李安の《臥虎藏龍》になると状況は更に複雑になってくる。想像上の「中国」というものを描くその距離感を考察するのも面白い)
最後にオススメしたい作品でも
せっかくだからこの作品観とけ、というのを幾つか紹介します。
・今年の最高傑作《幸福路上》
ファーストショットからずっと泣いてました。台湾で生まれ育ったわけでもないのにこの映画は自分たちの映画であると無条件で思い込んでしまった。そしてアニメーション映画としてもラディカル過ぎるというか凄みを感じた。緩い絵柄で台湾現代史の描出を試みるのグッとくる。
・大衆演劇って良いよね《龍飛鳳舞》
高雄の大衆演劇(歌仔戲)一座を描いた作品。自分が「待ってました」と声掛け出来るタイプの演劇が好き過ぎるだけなのかもしれないけど、普段台湾映画=台北が舞台という人には新鮮に見えるかもしれない。南部の風景も、人も。
・恐怖映画だってあるんだよ《紅衣小女孩》シリーズ
元になっているのは台湾の都市伝説。心底怖いというよりショッキングなものを積み重ねていくタイプのホラー(死角からお化けが出てきたら怖い、という感じ) 白眉は2の方で、恐怖映画に民間信仰や土着性を足していったら新しいファンタジーが生み出された。台湾において都市でも農村でもない空間における恐怖を考えた際に妙なリアリティがあった。
・《戀戀風塵》《河流》《一一》
いわゆる台湾ニューシネマならここが好き。
台湾のドキュメンタリーについても触れたいですがそれは次回で。いや本当に蘭嶼の反核電の作品やバス会社のストの作品とか面白いのたくさんあるんですよ!
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