20回:Double "Darling" Woman vol.1
リーコの場合
1. 家族とか
幼いころの私は25歳にどんなイメージを抱いていただろうか。結婚して、家庭に入って、もう子どもも2人ぐらい産んでいる感じだろうか。25歳、それはお母さんが私を産んだ歳で私が来月迎えようとしている歳。
お父さんは私が産まれた時は29歳で、33歳の時に私の前から姿を消した。通っていた安慶田幼稚園から帰ってくると、お母さんが食卓に伏していたのを今でも覚えている。忘れろと言われても無理だ。だからお父さんというものがイマイチわからないしずっとそうだろう。
これは自分の周りではありふれた風景で、小学校ではクラスに似たような境遇の子が5,6名はいた。まぁ似ていると言っても単に片親というだけしか共通項はないんでけれど。お父さんについてよく知らないと言っても米軍属でないということぐらいは知っていた。
それならばお母さん、一緒に暮らしていた彼女のことはどれぐらい知っているのだろうか?実は大して知らない。自由奔放と言うには生真面目で、水商売をしていた割には甲斐甲斐しく私の面倒を見ていた。週の3分の2は惣菜だったが米ぐらいはきちんと炊いていった。
さすがに習い事とかをする余裕はなかったから小学校の頃はずっと家に居てテレビを見ていた。余談だが当時のお家には今ならミニマリストと呼ばれそうなほど家具がなかった。本当にテレビと冷蔵庫と炊飯器ぐらいしかなかった。
幸せかどうかはわからないけど不満はなかった。テレビ見て、適当に宿題して、寝て、気が付いたら高校に通っていた。一番近い高校に入って、バイトとかしながら、大学でも行こうかと考えていた。それも味気なく叶った。奨学金とか授業料免除の手続きとかして、さぁ入学、という矢先に母が消えた。
本当、どこ行ったんだろうか。警察に届けとかも出したけれど未だに梨の礫。手続きに際して会ったこともないような親戚に出くわしたりしたけれど今ではもう付き合いすらない。困ったら連絡して、と社交辞令的に電話番号とか渡されたけど掛けたことないな。だから結局お母さん、あなたについてもイマイチよくわかりません。中身のある会話をした記憶もないし、これがネグレクトなら恨みの一つでも抱くのでしょうか。私は野生動物よりもあっさりと親離れをしてしまった。
2.大学とか
最初のオリエンテーションとかは出る暇がなかったが4月の中旬ぐらいからは落ち着いてしまった。普通に原付きで中城にあるキャンパスに向かい、昼になれば空き教室でおにぎりを食べ、午後は適当に講義を受ける日々が続いた。辛くもなければ特に楽しくもない。いつも教室の窓側真ん中の席に座って修行僧のように板書を取り、当たり障りのない感想を書いて提出する。言語はスペイン語、体育はバドミントン、あと專門必修の課目が幾つか。
夏休みの前には初めて告白もされた。断る理由もないので受け入れたら相手は信じられないぐらいはしゃいでいた。悪い人ではないと思った。むしろ素直過ぎるぐらいだった。彼の中には大学恋愛マニュアルみたいなものがインストールされていて、その手順に従わないとエラーを起こすのだろう。食事に行き、映画を観て、ビーチを歩きながら手を繋ぐ。星でも見ながら耳元で好きだよ、と囁く。それを彼は全てぎこちなくこなしていた。私はそれだけが面白かった。ビーチの帰りに彼は私に何気なく言う「お父さんは何してる人?」私も何事もないように返す「よくわからない。ほとんど会ったこともないし」
すると彼は表情を固めて黙り込む。それでも何か次の言葉を探そうと目を左右に動かしている。これは恋愛マニュアルビギナー版には載っていないのだろうか。だとしたら彼の素が試される絶好の機会だ。私はわくわくしながら夜風に吹かれていたが家に着くまでその風音しか聴こえなかった。
翌朝「ごめん」とシンプルなメールが届いた。返さなかったのでそこで終わった。比嘉辰彦くん、元気?
大学1年、人に話して盛り上がるようなことは特になし。大学2年、凪は続く。単位と貯金は順調に増えたからいいんだけど。そうこうしていると3年の終わりぐらいから就活が始まった。県外に出る気がなかったから目ぼしい県内企業の説明会とかに行った。事件らしいことが起こるとすればこの後だろうか。それまでの人生も楽しかったんだけどさ。
3.出会いとか
就職説明会が行われているコンベンションセンターの正面玄関を出ると30人ぐらいが座り込んでいた。とある参加企業がセクハラ、パワハラ、特別背信とボリューミーなことを起こしてそれに対する抗議らしかった。抗議にしては可愛らしい模様が施されたA5のビラが配られていて、とりあえず2枚貰った。貰う時に手が触れた。私は何故か「すみません」と言い、相手は「えっ、何が」と驚いた。私は間の抜けた声と顔を晒していた。
「相手の手に触れたら謝る癖があって」とつぶやく私。
「改めたほうがいいと思うよ」と先方。
「そうですね。社会に出る前には」
「ふーん。社会ね」
普段だったらここで適当に無視して立ち去るのだが何故かその時は突っかかった。
「どうしたら直せると思います?」
「謝る前に一呼吸置いたら」そっけない答え。
「そうします」
そして私はわざとらしくビラに目を落とす。それから一呼吸置いて「酷いですね」と言ってみた。
「本当にそう思ってるの?」
「いや、あなたに調子を合わせて言ってみました」
「素直ね」
「それぐらいしか取り柄がないので」
「だからリクルートスーツなんか着て説明会にわざわざ来たの?」
「はい。目立つ気もないので」
相手は笑った。嘲笑のはずなのにその顔がとても魅力的だった。例えば抗議運動という言葉が持つ攻撃性とは相容れないような垂れ目具合にグッと来た。
「ナナカさん、その人知り合い?」横で配っている人が話し掛けてきた。
「いや、初対面だけど」このチャーミングな人はナナカという名前らしい。
「リーコです。よろしく、ナナカさん」私は今度は握手のために手を差し出した。
「えっ!?うん、よろしく。リーコさん、だっけ?」ナナカさんは戸惑いながらも私の右手を握った。その勢いで連絡先も聞いて、各種SNSも申請しておいた。なるほどこれが出会いか。あれがもう4年前とか信じられない、過去を振り返った際に鮮明に思い起こされるのは今では決まって具志ナナカのことだった。この出会いからその後の顛末までの記憶をなぞる習慣が出来上がっている。悪いことではないと思う。
↓↓次回以降↓↓
4.連絡とか
「今度一緒にお茶しませんか?」という素っ気ない文面を送った。
「いいですよ。いつにしますか?」という更にシンプルな返事が来た。
そして私たちは大学から程近い喫茶店で紅茶とコーヒーを頼んでいた。ナナカさんも同じ大学に通っていたらしい。SNSの情報だけでは判断がつかない。とりあえず年齢は二つ上、隣町出身、ぐらいだろうか、目ぼしい情報は。
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