5回:じゅん選手の時代


 じゅん選手というお笑い芸人がいる。2014年に「こきざみぷらす」という番組内で披露した『女々しくて』のウチナーグチ(沖縄の言葉)バージョンやウチナーグチによるドライブスルー注文、またインターネットで公開された『沖縄のアンパンマン』というネタでブレイクした芸人である。その後県内企業の広告にも起用されるなどして沖縄での知名度は高い。
 そのじゅん選手が先日行われた「O-1グランプリ2018」でじゅんとすけというグループを組んで出場、見事に優勝を果たした。

 じゅん選手のネタを構成するのは日本語や英語をウチナーグチに翻訳した際に生じるぎこちなさと舞台設定を沖縄にローカライズした際に生じる奇妙さの描写にある。例えば上述の『沖縄のアンパンマン』は単にアンパンマンのセリフをウチナーグチに訳したものではない。ジャムおじさんやバタコさん(『沖縄のアンパンマン』内ではホリデーマーガリンさん)は昼間から酒を飲み、当のアンパンマンも二日酔いのままパトロールに出る。正義の味方たちの団欒というよりも水商売をしている人々の出勤前のような雰囲気である。別のネタ『沖縄のドラえもん』においてものび太は酒やタバコを呑みながら母親を罵るし、ドラえもんはしずかと一緒に布団入っている。4年前のじゅん選手のネタにおいて想定される沖縄は貧困と惰性、そして狂気が通底している(『沖縄戦隊ゲレンジャー』のネタはその最たるもので、そもそも「ゲレン」という言葉自体が日本語で表すとnoteの規約違反になる可能性がある)
 しかしそんなネタをライブやイベントの余興で披露する中でじゅん選手の人気や知名度は上昇していった。それは単に沖縄を巡る状況に対する不満のはけ口というレベルではなく、新聞紙上で大学教授と「ウチナーグチの未来」というような対談記事が掲載され、じゅん選手を通して一種の民族主義が発露されたような気さえした。2014年はじゅん選手のブレイクで始まり、夏過ぎには知事選を前にオール沖縄が組織された。

 2015年以降じゅん選手は沖縄若手芸人筆頭という形でCMやテレビに定着し、ネタも若干マイルドになった気さえした。その中でじゅん選手は「しんとすけ」というコンビ芸人と「じゅんとすけ」というトリオを組んだ。ピン芸人の頃はフリップや一人芝居の形式が多かったがトリオになることでツッコミ等の役割が発生し、物語としても消化しやすくなった。そしてO-1グランプリ決勝で披露した『しまくとぅばの日』(島の言葉の日。9月18日は実際に『しまくとぅばの日』として制定されている。)はラディカルさを取り戻していた。
 その日、とある学校では「共通語が禁止」される。そしてルールに反して共通語を使用した者には「共通語札」と呼ばれる木でできた札が首から掛けられる。冒頭で共通語を話していた学級委員は教師の命令とともに急にウチナーグチを話し出すし、それに対応できなかったヤンキーは「共通語札」を掛けられることになる。そういうシチュエーションの中で授業が進んでいく。
 「共通語札」とはかつて沖縄の学校内で実際に使用された「方言札」のパロディである(台湾や韓国・朝鮮など旧植民地においては広く用いられた)
 方言や地域言語によって「共通語」を禁止するような状況は例えば井上ひさしの『吉里吉里人』などにも存在したシチュエーション(この場合東北が日本から分離独立しているのだが)である。『しまくとぅばの日』にでは最後教師が共通語で『しまくとぅばの日』の意義を語り自分の首にもその札を掛けるところで終了する。ルールを敷いた側も最終的にルールに罰せられるところには大げさに言えば知念正真の戯曲『人類館』が表したような寓意も感じられる。また、このネタが沖縄のお正月に放送されたコンペで視聴者の投票によって勝ち上がったことは象徴的である。最終決勝では『青年会を引退しない老人』のネタを披露し、2017年沖縄で最も人気を博した護得久栄昇(ハンサム)を破ったことも同様に象徴的である(護得久栄昇は沖縄の大御所民謡歌手をシミュレーションしたキャラクター)
 思うにこの数年間において最も優れた沖縄の表象は映画や小説、詩の作品ではなく、お笑いのネタだったのではないだろうか(とは言っても音楽は沖縄の表象において不動の位置を占めている) そのクオリティは90年代の笑築過激団よりも洗練され、より文化面や言語面に対して自己言及的になっている。その急先鋒がじゅん選手であるのだろう。北中城が生んだこの鬼才に今後も注目していきたい。そして蛇足であるが、この2018年の秋には再び知事選がやって来る。

サポートを得る→生活が豊かになり様々なモチベーションが向上する→記事が質、量ともに充実する