沖縄表象についての思い出 その1

 1990年代後半から2000年代初頭にかけて日本中で沖縄ブームが巻き起こったらしい。安室奈美恵のファッションを真似た若い女性が一時期日本中に溢れたらしい。スピードとかMAXとかDA PUMPとか、それって沖縄ブームじゃなくてアクターズスクールブームでは?と言いたくなるがサミットまで開催して2000円札も刷ったぐらいだし、きっかけの一つがThe Boom『島唄』(この曲は92年リリース)だし、ブームなのだろう。
 最近聞かないな、大規模なブーム。90年代は他にもたまごっちブームとか小室ファミリーブームとかブーム自体がブームだった感さえある。
 しかしながらメディアの中の沖縄ブームを支えたのは前述したエース格の歌手、アイドルを筆頭にしたその層の厚さにある。だって他にパッと思いつくだけでもKiroro、知念里奈、Folder(三浦大知とFolder5)などなど。(coccoはこの流れとは若干異なる気がするよね)
 当時四国の小学生が「沖縄の人じゃないと歌手になれない。。。」と勘違いしても仕方がないほどの充実ぶり(ちなみにその四国の人は目出度くメジャーな歌手になれたって!)
 そんな沖縄ブームについて書かれた論考とかエッセイとかは図書館にきちんと蔵書されているので自分はただただ思い出をぽろぽろと引き出していきたい。あと沖縄ブームがいつ終わったのか、その定義を付けられた先行研究はまだないっぽい。実はまだ終わってないとか?

1. THE夜もヒッパレ
 自分の中で沖縄ブームを印象づけているのが日本テレビ系列で放送されていた「THE夜もヒッパレ」という番組である。日本テレビ系列ということが示すように沖縄ではリアルタイム放送がされていない。しかしこの番組、数多く沖縄県出身というかアクターズ系のタレントが出演している。安室奈美恵やスピードそしてマックス、さらに知念里奈がレギュラー出演していた。早坂好恵もよく出てたしね。ここまで全員アクターズだが、なんとアルベルト城間やネーネーズまで準レギュラー的に出ていた。(てだこまつりかな?)
 ちなみに番組の内容としてはその週のヒットチャートにランクインした曲を「THE夜もヒッパレ」出演陣たちがカバーして歌う、というものでたまに本人も出たりする。自分は尾崎紀世彦の歌うinnocent worldをいまだにたまに聴いております。
 90年代というのは一応失われた20年と後に呼ばれるほど世相的には倒産、震災、テロと世紀末感満載だったわけであるが音楽業界やそこと密接に関わる音楽番組は空前のバブル状態。夜もヒッパレという番組に至ってはそこにカラオケ要素まで付け足して、三宅裕司、中山秀征、赤坂泰彦、ビジーフォーらメイン出演者のノリはあまりにもバブリー。見たい聞きたい歌い鯛。
 しかしながら個人的に沖縄ブームの一端を担っていたとにらんでいる当テレビプログラムであるが、テレビの音楽バラエティに対する批評というか「思い出の語り」すらなかなかなされずらく、ポピュラー音楽のセールスに大きな影響を果たしたメディアの個別検証を誰かやりましょうよ、とまずは言っておきたい。

2. サミット、モンパチ、HY
 90年代の沖縄ブームは実質的にはアクターズブームでもあった自分は思っているが、そこに実態めいたもの(投機とか不動産とか)が付随したのは2000年代であろう。海洋博ほどではないにせよ、サミットを機にオープンしたホテル、リゾート、レジャー施設などあるわけで。このころ沖縄イニシアティブってのもありましたね。もはや保守派さえ忘れ去ったアレ。
 そしてこの流れの中で放送された『ちゅらさん』(2001年)、人によってはここが沖縄ブームのピークという場合もありますね。そして『Dr.コトー診療所』(2003年)『瑠璃の島』(2005年)と相次いで沖縄の島嶼地域を舞台にしたドラマが公開されたのはアラサーの記憶にぼんやり残っているかと思います。
 ちなみに県の資料によりますと1999~2001年頃の沖縄県の観光客数は毎年500万人前後で2019年の950万人から比べるとまだ半分程度だったんですね。復帰した安室奈美恵が『NEVER END』を歌い、『ちゅらさん』でガレッジセールが勢いに乗り出した翌年、2001年9月にモンゴル800『Message』がリリースされる。名盤。
 テレビとは異なる回路での沖縄ブームがどうにも始まった気がするのはこのあたりから。個人的な記憶としてはモンパチはラジオから火が付いた印象。もちろん沖縄県内での精力的なライブやCD屋さんの後押しもあったが、それが全国規模の広がりを見せたのはラジオのパワープレイだったと思う。ここで留意したいのがそもそもモンパチがいわゆる90年代から続く沖縄ブームの流れに乗ったとみるか、2000年代初頭のメロコアブームで火が付いたとみるか、まぁ、これはどちらも要因として強いだろうけど割合としては後者のほうが大きいかな、と個人的な考え。今では一般的となった音楽フェスの黎明期(ポストフォークジャンボリー)とメロコア系バンドの隆盛が重なったりしてたしね。ただ、モンパチの受容に県内外で大きな差異があるとは思う。カラオケ屋の履歴を見た時に県外だと「あなたに」や「小さな恋のうた」が入ってるんだけど、県内だと「琉球愛歌」の割合も多い、みたいな。
 そんなモンパチのヒットを受けた後、2003年HY「Street Story」がリリースされる。超名盤。むしろ個人的にはHYの方が沖縄度数は高いと思ってる。Higashi Yakenaを屋号にしてるだけあって、なんだろう歌詞というより音楽的な作りにおいて沖縄度っていうか中部度が強い。単に三線や指笛が入っているというようなわかりやすい部分ではない。仲宗根泉の歌唱の塩梅だとか、ミクスチャーの具合だとか、分析しきれていないがMURASAKIとかの何かを継いでいる。沖縄のアラサー、君が代の歌詞よりホワイトビーチの歌詞の方が認知度高いからな、しんけん。
 そして2000年代も中頃になるとポピュラー音楽でメガヒットが出なくなるような構造的変化や趣向の細分化が如実になり、となると当然音楽方面からの沖縄ブームも以前のような形を伴わないわけで。。。
 2020年に振り返ると2000年初頭までの沖縄ブームも広告代理店が旅行代理店や土地ディベロッパーの依頼のもと戦略的に作り上げていったイメージ(しかし表象論って個別の作品、楽曲、演者等には言及できるけどそこを仕込んでいった側へはあんまり切り込めないよね。今後はそのあたりも射程に入れた研究が進められていくのかな)でもあるのだろうな、と閑散とした国際通りを見ながら思うのです。

3. ハイカラの世代
 
2000年代中盤以降、沖縄を舞台にした映画、ドラマは90年代や2000年代初頭よりも増加しているにも関わらずそこへ対する例えば沖縄表象論の量は比例することはなかった。『blood+』のエンディングを元ちとせが歌ってたこととか何か意図的なものさえ感じるのですが検証されずに10年以上が経ちました。ポピュラー音楽に関しても沖縄を象徴するような歌手やグループ、というかいわゆる世相を反映みたいなもの自体が発生しなくなり、嗜好の細分化が配信インフラによって実現していく過渡期にちょうどあたってしまいましたね。
 さて、皆さんアンチノブナガというバンドをご存知でしょうか。もしかしたら今でもマンガ倉庫のCDコーナーを掘れば音源が出てくるかもしれませんが、後のHigh and Mighty Colorの前身となるバンドです。さっきmixiのアンチノブナガファンコミュを見つけて感慨深くなってしまいました。
 皆さん、すっぽり記憶から抜け落ちてるかも知れませんが2000年代中盤で隆盛を極めたSNSはmixiでしたよね!最初は招待制でしたよね!クローズドではありながらもファンやクラスタによる音楽情報の交換などが行われてましたよね!思い出してきましたか?
 ハイカラはGUNDAM SEED Destinyとタイアップして華々しくメジャーデビュー、その後もタイアップ路線で何曲もリリースしました。音楽のセールスや視聴環境が過渡期だったこともそうですが、個人的にはORANGE RANGEの弟分という触れ込みで売り出されたことに代表されるようなブランディングミスも響いて(?)、バンドとして成功は収めたものの「時代を象徴する」までは至らなかった印象です。現在、apple musicで聴きまくっていると時代に翻弄された哀しみさえ感じます。ステレオポニーにも似たものを感じる。
 そんな過渡期に蒔かれた種が10年近く経って芽吹いた例もあるから希望を捨ててはいけない。この文章、後編に続きますが以下の動画でまずは締めくくらせてくださいまし。


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