40回:私が反対する戦争
私は戦争に反対している。と同時に不平等な平和にも反対している。さらに付け加えるのならば、私は私が反対している戦争というものに対して貧しい想像力しか持ち合わせていない。例えば沖縄戦に関する証言を聞き、資料を読んで得たあの戦争と、既に起こっているか今後起こるかもしれない私が恐れる戦争はまるで異なる容貌を持つ、気がする。
貧しい想像力を振り絞って考えるその戦争において、悲劇は極めて限定的な形で訪れるであろう。共同体の経験という形では認知されない。単純化して言いたくはないが、大砲がうち放たれて街が吹き飛ぶというようなものではない。より精密さを競った結果、戦争がスポーツ化したような何か。私はノリの悪い観客かせいぜい出来の悪いボールボーイぐらいにしかなれない。そして間抜けなボールボーイはファールボールに当たって死ぬかもしれない。
私は既に起きている戦争に対して為す術がない。戦争の当事者になりたくなくて逃げ回っている。球のなるべく飛んでこない方へ方へと走っている。それでも執拗に、シザーマンのように暗がりを這って追いかけてくる。だから私は逃げるのを諦めて戦争に反対することにした。
まずは「戦争に反対している」と宣言してみることにした。ただ戦争の反対側に平和が存在するとも思えないし、そもそも現在の戦争状況の先に平和があるとも思えないし、戦争も平和も真面目すぎるというか、性に合わない。戦争も平和ももっとフザケてみろよ、と思う。切実だからこそ、もっと喜劇的なものであって欲しいと願っている。なんかわかってきた。私は戦争そのものではなくて、いま現在戦争と呼ばれているあの集団対集団の暑苦しいやつに反対している。あれを撲滅せねばならない。そのためなら暴力も辞さない。戦争のための戦争をさっさと終わらせてしまおう。まずは無言の座り込みから。
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