わたしの「生ハム原木」について
嫌な気持ちや惨めな気持ちになったときの対処が最近上手になった気がする。
数年前、Twitter(現・X)で「家に生ハム原木があると、仕事で嫌なことがあっても"まあウチんち生ハム原木あるんで"と思えて平気」みたいな投稿を見て、わたしにとっての生ハム原木はなんなんだろうなとよく考えていた。その投稿がいつのものか忘れてしまったので、その時の自分の状況もわからないのだが、当時は生ハム原木をおそらく人とかに置き換えて考えていた気がする。友だちがいるからとか家族がいるからとか、そんな感