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お金で、不幸沼に突入しちゃったよ
社会人になって、給料をもらうようになり、
気持ちよくお金を得ている時と
なんか申し訳ない気持ちで受け取っている時があったな〜と思ったんです。
ゆずのライブに行った時に
「このお金でライブに行けるなんて
本当に幸せ者だ〜最高だ」
なんて思って最高にライブを楽しめました。
「人の金で食う飯は最高に美味い」
っていう人いるじゃないですか?
あれより遥かに幸せを感じました。
・・・と今日はその話とは全く関係ないんですけど、
ただ共通点があるな〜と思いまして。
お金を使って幸せを感じない時は
「やばいぞ!間違った方向にいってるぞ!」
なんて自分に言い聞かせています。
「お金を使うときにいちいち幸せなんて感じないぞ?」
という声が聞こえてきますがその通りだと思います。
でもぼくは
「今お金を使った時幸せを感じたか?」
とアンテナを立てるようにしています。
・・・というのも、
ぼくは整体で独立して収入を得ていたのですが、
お客様の思いを踏みにじるような感じで
収入を得てしまった時期があるので
そういう時は
お金をもらうのも
お金を払うのも
申し訳なかったし、
なんだか満たされなかった。
だから
自分への戒めの意味もあって
使う時に感謝の気持ちや幸福度の変化があるのかのアンテナを立てています。
思い返せば
お客様をいいくるめたように稼いだお金を使う時って
ふとそのお客様の顔が浮かんで罪悪感感じちゃったり、
イライラしながら得たお金を使う時って
イライラを発散するような使い方になっていた。
詐欺で得たお金って
有り難みが芽生えず
キャバクラで散財してしまうそうですね。
そのほとんどが一年ほどでいなくなるそうです。
逆に
自分の心が満たされながら得た収入は
気持ちよく受け取れたし、
使う時も感謝の気持ちが生まれ
心が満たされていた。
収入を得るプロセスや
収入を受け取るときの気持ちが
使う時にも反映されるような気がします。
あなたはどうですか?
毎月の収入を得るプロセスで
毎月の幸せ度合いも変わってきます。
自分の幸せは
毎日の自分の考え方と行動によって
作られます。
ここで僕は
「稼ぎ方を考えよう」
と伝えたいわけではないんです。
僕はお金を稼ぐようになって
ある一定のところで
不幸になってきたんです。
周りから「いいね。その仕事」
と承認欲求を満たされ
お金を稼ぐことができたけど、
言語化できないような不幸感を感じたんです。
それを今からお伝えしますね。
お金を稼いでも、不幸沼にハマっていく理由
お金を稼ぐことが悪いと言いたいわけではないんです。
むしろお金は稼いだほうが選択肢が増えるので
どんどん稼いだほうがいいと思います。
僕が言いたいのは
お金を稼ぐことで幸せを感じるのは
偽物の幸せだよということ。
基本的に
収入は月単位で見る人が多いじゃないですか?
「今月は20万円だ」
「副業も頑張ったから35万円だ」
「寝ずに頑張ったから50万円いった!」
とかとか。
でもそれって
「一瞬幸せ感を得て、
その後は持続せずに、
減っていく幸せ」
に分類されてしまうんです。
つまり
「目標の収入を達成した瞬間だけ幸せ」ってこと。
それが
ドーパミン的幸福と言われます。
僕はこのドーパミン的幸福を追いかけていたので
気持ちよく収入を得ていたのに
不幸感に襲われていたんです。
もっと…もっと欲しい!!!!!
しかも厄介なのが
ドーパミン的幸福は
一度達成すると飽きてしまい
「もっともっと」となります。
初めて収入30万円を達成した時と
2回目収入30万円だと
初めての時のほうが幸せ度は高い。
2回目以降はどんどん減っていきます。
初めて50万円達成したあとに
30万円いってもなんか物足りないんですよね。
それがエンドレスに続くので
いつまで経っても幸せは満たされない。
じゃあ、
「持続して、無限に増えていく幸せ」って何?
ってことなんですが、
「オキシトシン的幸福」
って言われるものに分類されます。
ぼくの最近
「妻と愛犬の寝顔を見ること」
で幸せを感じているんです。
![](https://assets.st-note.com/img/1728288715-pCAmtyFcbd3BH9ELnjJksG5Z.jpg?width=1200)
かんわいいでしょ!!!!!うちの子!!!!!
見ている時も幸せですし、
仕事中思い出しても幸せになるし、
何度見ても飽きないし幸せに包まれる。
ぼくは仕事を頑張りすぎたゆえに
ドーパミン的幸福を追いすぎて
大切なオキシトシン的幸福を見失っていた。
ドーパミン的な幸せに支配されると
「もっと働かなきゃ」
「もっとお金稼がなきゃ」
「もっともっと…」
とやってしまいます。
すると
もっと仕事以外の時間を
仕事に回すようになってしまいます。
昔なんて睡眠2時間で働いてました。
こうして僕は
ドーパミンに支配され
不幸沼へとハマり見事不幸になったのです。
幸せ度が高い人生にしたければ、
真っ当に稼ぎ、
ドーパミン的幸福に支配されず上手く使いこなし、
オキシトシン的幸福を増やしていくのが条件です。
つまり、
本当に必要な収入を書き出し、
人との繋がりや絆、愛情を大切にする。
僕だと、
最低50万円は収入を得て、
家族との幸せを大切にする。
家族との幸せが壊れるような
働き方、
稼ぎ方、
収入の多さにはしない。
家族のためだったら頑張れますね。
あなたは
どれくらい収入を得て
どんな繋がりや絆、愛情を大切にしますか?
なにも、
家族を持てと言っている訳ではなく、
「繋がり」というのは趣味の繋がりでも友人でもいい。
ようは、
人との繋がりを作ってください。
孤独にならないでくださいということです。
不幸沼にハマっている人は
他人も不幸沼に引きずり込んでしまう傾向にある。
お客様を不幸沼に引きずりこむ
さて、
ドーパミン的幸福に支配され
「もっともっと収入が欲しい」
となってしまっていた僕は
他人も不幸沼に引きずり込んでいました。
独立したての時に
売上を上げようとしたあまり
整体のお客様を不幸沼へ引きずり込みました。
「この人があと一回多く通えば売上+1万円だ」
「この人は重症だから長く通ってもらえば売上上がるぞ」
「10人が2回ずつ来院増えれば目標売上70万到達するぞ」
なんて思っていた時期がありました。最低
そう。
「もっともっと」という欲望に支配され
お客様をお金として見て
自分の欲望を満たすために
お客様を使っていたのです。最低
こうなったらもう不幸沼です。
売上が上がる
↓
もっと売上が欲しくなる
↓
お客様をお金として見て通わせる
↓
売上が上がる
↓
今の売上じゃ不満でもっともっと欲しくなる
↓
もっと通わせてしまう
↓
…のエンドレス。
途中でお客様は
「この人改善させてくれる気ない」
「ここに通っても良くなっている気がしない」
「無駄に通わせられる気がする」
といなくなってしまいます。
勘のいいあなたは
もうお気付きだと思いますが、
お客様との“繋がり”が切れるのです。
そう、
ドーパミン的幸福は際限なく増えるのに
オキシトシン幸福がなくなるんです。
あなたも経験あると思いますが
仲良しだと思っていたお客様が
急に音信不通になること。
すごく傷つきますよね。
あれって、オキシトシン的幸福がなくなるからなんです。
不幸沼にハマっている人間が
「もっともっと」を満たすために
他人を使う。
使われた側も不幸になり
他人も不幸のサイクルに入ってしまう。
他人は怒りや悲しい気持ちになる。
自分は罪悪感を抱えながら生きていくことになる。
「このままでいいんかな」と漠然とした不安に襲われる。
そんな生活をしていると
いつか心が死んでしまいます。
罪悪感を抱えながらお金を稼ぎ、
不安を忘れるようにお金と時間を使う。
罪悪感を抱えているので大切な人にも胸を張れない。
結局大切な人との時間すら安心して幸福を味わえない。
そんな人生僕は嫌でした。
そんな不幸沼を産んでいる1番の理由は「勘違い」だ
で、僕気づいたんです。
「あれ?月100万円😤とか要らんくない?」
ってことに。
僕の幸せを維持するのに
月50万円くらいでいいんですよね。
だから
それ以上の収入は自分の幸せが壊れる働き方をしない。
その50万円なんて
1つの収入源じゃなくてもいいんです。
僕なんて今
整体以外にも3つくらいやってますよ。
もちろん気付いたら50万円以上ある時ありますが
ラッキーくらいしか思わないです。
もうドーパミン的幸福に支配されてないんです。
多くの人は
「収入はたくさんないと不幸だ」
と勘違いしていますが、
その“たくさん”っていくらなの?ってこと。
本当に月100万円とか目指す必要ありますか?
数字を弾きだすと
実際の必要な数字が出るはずです。
出してみてください。
きっと100万円もいらないはず。
勘違いしている人が多い。
他にも勘違いしていることってあります。
現代はSNSが発達して他人のいいところが見えます。
優雅な生活をしていたり、旅行満喫していたり…
その生活に憧れて真似しようとする人が多くいます。
「自分の生活なんてこの人に比べたらダメすぎる」
「自分の持ち物なんて安物ばっかり…」
そうやって他人と比べて不幸を感じる。
他人の優雅な生活をSNSで見て
ドキドキしてたくさん見てしまうでしょ?
それってもうドーパミン的幸福なんです。
SNSは基本的に
ドーパミン的欲求を刺激して
ずっとSNS依存にさせているんです。
だから
SNSで見たものは
すべてドーパミン的幸福の一面で
長続きしない幸福だと思っていい。
誰しもが、すぐそばに、
胸がキュッとなるような
心がポカポカする幸せ(至福)があります。
まるで
映画の主人公のような、ジブリのような最高の心温まる至福があるはずなのですが、多くの人は他人の優雅な幸せを見て、自分の至福を見落としている。
自分の幸せを他人と比較し、
誰かによって作られ捻じ曲げられた
ドーパミン幸福を目指して、生きてしまっているのです。
そう考えると
「月商100万円!ドヤ」
「優雅な幸せ!ドヤ」
「私、こんな生活できて幸せ!ドヤ」
なんてすべて勘違いだと思うんです。
ぼくはそんな幸せより
朝妻と愛犬の寝顔を見たり、
安い一杯90円の居酒屋で友達と中身のない話をしたり、
カフェで友達と将来や今のこと話したり、
趣味の魚捌きをして誰かに食べてもらったり、
オキシトシン的な幸福を意識して過ごしたほうが
自分は幸せだと思うんです。
どんなに
たくさんの収入
憧れられる生活
をしたって、
見栄張って生きていくの辛くない?
見栄張らず
バカなことで笑ったり、
大切な人見てつい微笑んじゃったり、
つい大切な人をハグしたくなっちゃたり、
しんどい時は「無理!しんどい!助けて!」って言えたり、
誰かに頼られた時に嬉しくなって本人より力が入っちゃたり、
美味しいものを食べて「美味しいね〜」って会話ができたり、
不味い手料理作っちゃっても
「美味しいよ!」って言われて救われたり、
そんな幸せの方が僕は好きだな。
フィルターが至福を教えてくれる
「至福」の意味を検索すると
最上級の幸せって出てくるんですが、
いまいちそう言われてもピンと来ません。
僕がしっくり来てるのは「胸がキュッとなるような心がポカポカする幸せ」のことを「至福」と考えること。
ジブリの世界のような、
噛み締めたくなるような、
心がポカポカするような、
そんな幸せのこと。
「フィルター」とは「物事の見え方」のことです。
メガネみたいなものですね。
今まで見えなかったものが、
メガネをつけると見えるようになったみたいな。
そんなイメージ。
例えば
赤色のフィルターをつけると
すべてが赤色に見えます。
青色のフィルターをつけると
すべて青色に見えます。
それ以外の色はほとんど見えなくなります。
目を凝らして見てもフィルターの色しか見えません。
そこにあるものは同じなのに
フィルターによって色の見え方が変わってくるということ。
違う例え話でいうと
「あの人犯罪者らしいよ」と言われたら
その人のことが一気に怪しく見えてしまいます。
服装がどうとか、目の奥が笑ってないとか。
でも同じ人なのに
「あの人実は1億稼いでるみたいよ」
と言われると一気にそれっぽく見えてきます。
これは
まったく同じひとなのに
「犯罪者」のフィルターをかけられたか
「一億稼いでいる人」のフィルターをかけられたか
で見え方が違ってくる感じです。
こうやって多くの人は
無意識にそれぞれ「フィルター」をかけられていて
自分に合っていないフィルターで生きているから
自分に合っていない幸せを求めて不幸になっていく。
このフィルターがまさに
「あの人みたいにたくさん稼がなきゃ」
「あの人みたいに優雅な生活しなきゃ」
「あの人みたいに人に囲まれなきゃ」
という「勘違い」のことです。
逆に言えば
その勘違いのフィルターを掛け替えさえすれば
今の収入や生活でもかなりの幸せを感じれるかもしれません。
フィルターさえ掛け替えれば
物事の見え方が180°変わり
一気に幸せになります。
幸せを手に入れるには努力じゃない
至福を感じながら生きるには
努力や才能ではなく
自分の至福に向けて
正しいフィルターを通して
正しい選択をとり続けることが重要だと考えています。
勘違いのフィルターで
間違った収入や生活を目指して
1日16時間努力してもその先に幸福はありません。
正しいフィルターで
自分の幸せに合った収入や生活を目指して
正しい選択を取ればその先に幸せはあります。
フィルターを持つことで選択肢が増える
でも
「正しい選択を取るってどういうこと?」
って疑問に思いますよね。
でもそれは
フィルターを持てば
選択肢がたくさん見えて
正しい選択の選び放題になってきます。
ぼくの経験をお話しすると
「社会人になったから1つの仕事極めるぞ!」
と月50万目指して整体を必死にやっていました。
150万円到達した時に
「うーん、なんか思った幸せと違う」
ってなったんです。時間がなかったですし。
とある時にこういう情報を見たんです。
「月50万円の事業1つするより、
ゆるゆる月10万円の事業5つの方が
リスクも少ないし、ゆるゆるできる」と。
「たしかに…」
ここでフィルターが書きかわりました。
衝撃受けました。
今まで「1つの仕事を極めるのが美徳」
と思っていたフィルターが書き変わったのです。
(もちろん1つ1つ極めましょうね)
今までは
「この事業失敗したらどうしよ…終わりだ…」
と思っていたのが
「5つも収入の柱がある。1つ無くなっても次の候補があるから無くなっても安心。」という将来への安心感が出てきました。
いまの状況は同じです。
でもフィルターが変わったおかげで
一気に心が軽くなったんです。
フィルターが変われば、人は一生懸命頑張れる
それまでの僕は
「このまま頑張ってても幸せじゃなくない?」
と漠然とした不安がありました。
なんだろう、もっと漠然と表現すると
「いまのままでいいんだろうか?」と
毎日正体のわからない不安に襲われていました。
でもフィルターが書き換わり
「これでいいんだ!」と衝撃を受けた瞬間
一気に頑張れる道筋が見えました。
道筋が見えた途端
人間が変わったように表情が変わり
頑張れるようになりました。
これを肩の荷が降りたって言うんですかね。
だから僕は
努力ではなく、正しいフィルターで正しい選択をとり続けることが大事だと思っています。
フィルターって
あっさりと変わりやすい。
「フィルター掛け替えるのなんて難しいよ」
という声が聞こえてきそうですが、
僕はあっさりと変わると思ってます。
だって日常的に何度も変わっているから。
SNS見るとすぐにあっさりと変わります。
ネガなニュース見たら色んなことがネガに見えるでしょ?
それはネガなフィルターに変わっているだけ。
日常で
「あの人あんな人らしいよ〜」
って噂聞いたらそう見えてしまったり。
大好きな芸能人が
「この商品いい!ステマじゃないよ!」
とオススメしてたら本当によく見えてきたり。
自分が十分だと思っていた収入のことを
「その収入は低すぎるよね〜」と言われたら
急に不安になってしまったり。
いいねがたくさんついていると
賛同者が多いんだと思って
ついつい見に行ってしまったり。
目の前のことは同じなのに
一瞬で物事の見え方(フィルター)が変わったせいで
印象はすぐにコロコロ変わるもの。
フィルターは
日常的にコロコロ変わっていくものなんです。
で、面白いのが人は
フィルターが同じ人と仲良くなりやすいです。
「朝のコーヒーの時間幸せだわ」と言うフィルター持ち同士だと
「7時から朝活がてらモーニングしない?」
と言われたら喜んで行くと思う。
でも「朝苦手。コーヒーも苦手」と言うフィルター持ちにそんな誘いすると断られると思う。
フィルターが同じ人を誘いやすいんです。
反対に無理に仲良くしようとして
フィルターを無理やり変えて合わせようとする人もいます。
見栄を張って
インスタグラマーの友達と仲良くしたくて
興味もない優雅なティーに行ったりね。
そうなると不幸沼ですよね。
良くも悪くも
一緒にいる人と同じフィルターを持ちやすい。
類は友を呼ぶって言いますよね。
同じフィルターは同じフィルターの人を呼ぶ。
人は環境に左右されやすい生き物と証明されているので
同じ環境にいる人と同じフィルターになりやすい。
それが
悪い方向に作用すると
不幸な人を増やしますが、
いい方向に行くと
幸せな人を無限に増やしていけると思うんです。
僕はいい方向の様々なフィルターを提供し、
人それぞれ至福への正しい選択をしてもらい、
幸せを噛み締める人を増やしていきたい。
そう思っています。
こんな世界が作りたいから、こんな人と関わっていきたい
至福のフィルターを持つことで、
至福への選択を取り続け、
至福を噛み締めることができる。
そういう人が至福のフィルターで誰かに関わることで、
誰かが至福のフィルターを持つことができ、至福になっていく。
至福のフィルターを持った人たちとのご縁を広げていきたい。
僕はなんのために商売をやっているか?
自分の理念をみんなで一緒に達成するため。
そのために必要な人(ご縁ある人)を集めていくのです。
ぼくの理念は
「人生に、心あったまる至福を」です。
誰しもが、すぐそばに、
胸がキュッとなるような
心がポカポカする幸せ(至福)があります。
まるで
映画の主人公のような、
ジブリのような、
最高の心温まる至福があるはずなのですが、多くの人は他人の優雅な幸せを見て、自分の至福を見落としている人が多い。
自分の幸せを他人と比較し、
誰かによって作られ捻じ曲げられた幸せを目指して、生きてしまっているのです。
だからぼくは
自分自身の色んな物見え方(フィルター)を発信し、
そのフィルターに共鳴した人たちや
フィルターに感化された人たちとの
ご縁が増えていくように
商売をやっていきたい。
そうすれば、
間違ったフィルターを持った不幸な人は減り、
正しい選択ができるフィルターを持った至福な人が増える。
その至福な人たちが関わる場をつくれば、
いろんな人がいい方向の正しいフィルターを獲得でき
関わった人同士がどんどん至福になっていく。
ぼくはそんな世界を作っていきたい。
だから僕は
至福な人を増やしたいから
嘘つかず誠実に人のために
通わせない整体「卒業整体®︎」を作った。
卒業整体は
人との繋がりをどんどん増やしてくれるものだから。
オキシトシン的幸福ですね。
僕はあえて
成約率やリピート率を下げるために
整体やセミナーをやっています。
それは
「ご縁ある人と繋がりたいから」
だって
無理やり売りつけたって皆不幸になるし、
売り上げ更新至上主義の人が来ても困るし。
別にそういう人のフィルターを否定している訳ではなく、
そう言う価値観の人はそう言う価値観の人と繋がった方が
楽しく生きれます。
だから、あえて、
そういう人が来ないように
売上を下げるために文章を書いています。
そうして
「ご縁ある人」を集めていく。
ドーパミン的幸福を重視する人よりも
オキシトシン的幸福、
つまり、
商売や関わりを通して
人とのご縁を重視するフィルターを持っている人、
持ちたい人と関わっていきたいですね。
そういう人たちと人生を過ごし関係性を深めていった方が
オキシトシン的幸福に包まれ、長期的な幸せに恵まれます。
まさに至福ってやつですね。
こういう循環。
・・・さて、どうでしたでしょうか?
今日は、僕にとっての
「お金」と「至福」
に対する見え方(フィルター)について
お伝えしていきました。
「お金をどう捉えるか?」
「至福ってなんなのか?」
「どんなフィルターを掛けるか?」
は非常に重要です。
いわば
人生観というものに繋がってくるのでしょうか。
どんなフィルターを掛けるかで
その人の人生が変わってきます。
だから
自分がどんなフィルターを掛けているか?
自分が他人に悪いフィルターを掛けてしまっていないか?
は注意して深く向き合ってほしいなと思います。
そんな卒業整体のメルマガを
こちらから配信しています。
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