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中谷宇吉郎 雪の科学館【磯崎新】から由布院 石川県加賀市

2024年正月に自然の猛威にさらされた北陸地方。
被災者の方々にはお見舞い申し上げます。
復興が進んでいるのかいないのか断片的な情報ではよく分かりませんが、北陸新幹線は予定通りに敦賀まで延長され、国による旅行支援やら被災地首長の「支援にもなるので是非お越しください!」という空気はスッキリ受け入れられずモヤモヤ。

混雑は避けたいのと被災者の人たちが混在している所に今敢えて行くのにはチョット躊躇します。
東日本大震災後に東北へ訪れたのは、震災から1年半後でした。それでも被災地の復興はまだまだで、大きな船舶が陸地に残され、被害が大きかった場所では車が渋滞し、おまけにスゴい砂埃の記憶が。

今は計画をアレコレ考えながら路銀をキープつつ、過去の記録を整理します。
  



今回の記録は加賀市。市の発表では人的被害は無かったようですが、建物の被害が2,000件弱。そして道路の損傷。金沢から40km、珠洲から150kmの距離ですが被害が出ています。そしてホテルや旅館は2次避難者の受け入れ場所としても機能しています(現時点で4月以降も受け入れ)。


加賀市は石川県の西南端にあり、人口は62,000人。市内には山代温泉、山中温泉、片山津温泉をかかえ、小松市の粟津温泉を加えて加賀温泉郷おんせんきょうと呼ばれています。
江戸時代は前田家の大聖寺藩領(10万石:支藩)で、家康の子から始まった越前松平家に対する最前線。前田家がらみの長流亭無限庵といった興味深い建築物は一見の価値があります。古九谷こくたに発祥の地とも。
またバイク乗りならピンとくるチェーンメーカーの大同工業(DID)江沼チヱン製作所(EK)の創業の地(本社もあり)。ちなみに自分はずーっとRK(高砂)ユーザー。ごめんね加賀。


中谷宇吉郎という人


中谷宇吉郎なかや うきちろう(1900-1962)は加賀出身の物理学者。中谷家は片山津で庄屋を務めた家の分家に生まれます。宇吉郎は雪の結晶の研究で知られ、世界で初めて人工の雪を作った人。

雪の結晶と言えば、土井利位どい としつら(1789-1848)を思い浮かべます。徳川幕府では老中を務めた下総古河の殿様で、日本で初めて雪の結晶を顕微鏡で観察した人。しかも1832年には結晶図86種をまとめ、雪華図説として発刊しています。図柄は着物や工芸品のデザインとして利用され、雪の殿様と呼ばれました。なんかカッコイイ。

一方、宇吉郎さんは北海道で3,000もの雪の結晶を写真撮影し分類、そして低温室での雪の人口結晶作製に成功します。
随筆家としても才能豊かで、著書には「冬の華」
「天災は忘れた頃にやってくる」の寺田寅彦てらだ とらひこ(1878-1935)の弟子。

こちらは宇吉郎さんの言葉

「雪は天から送られた手紙である」

こちらもカッコイイ。

宇吉郎の故郷・加賀には彼の業績を顕彰するミュージアムがあります。


雪の科学館


石川県加賀市潮津町イ-106

湖のような柴山潟のそばにあり、公園の一部になっています。
 

  

1994年の開館で、磯崎新による設計。 
 

建築家 磯崎新


磯崎新いそざき あらた(1931-2022)は世界的な建築家で、大分の人。実は宇吉郎さんの伯父さん一家が経営する高級旅館が大分県由布院にあります。そして磯崎さんは由布院駅舎の設計者で町並みについてのアドバイスもされています。どういう縁で加賀のミュージアムを手掛けられたのでしょうか?
 

(参考)磯崎建築3選・豊後編

大分県立大分図書館(現アートプラザ:大分県大分市 1966年)

建築好きがよく写真を撮ってる所(笑)。新しい県立図書館は別の場所にあります。そちらも磯崎建築。
 

大分県立図書館(大分県大分市 1995年)

大分県立先哲史料館を併設。
  

大友宗麟の墓(大分県津久見市 1977年)

現代建築家が大名のお墓をデザインするのは珍しく、他に見た事がありません。大友宗麟おおとも そうりん義鎮よししげ:1530-1587)は豊後の大名でキリシタンとして知られています。息子の代に大名としての大友氏は滅亡。
江戸時代に大友家臣の末裔が建てた墓碑が隣にありますが、このキリスト教式のお墓は水族館マリーンパレス(うみたまご)の社長上田さんがスポンサーとなり1977年に建てられたもの。もともとの宗麟のお墓はキリスト教式だったそうですが荒廃したそうです。ちなみに京都の大徳寺 瑞峯院は宗麟の菩提寺。十字架の庭で知られています。


雪の科学館にもどります。

丘を上っていくようなアプローチになっています。
 

あえて2階から入館するように動線が(1階からも入れます)。


六角形は雪をイメージ

そして1階へ階段で降ります。
 

パンフ 2022年版



人工の結晶製造機
 

実は物理学者としての宇吉郎さんではなく、興味があったのは別件。
運よく写真がありました。よく来られていたようです。
 

由布院との縁


正しくは由布院温泉、町名が湯布院。 まぎらわしい
おんせん県民でも分かってないかも

宇吉郎の没後、東京(原宿!)にあった書斎・雪安居は甥である中谷健太郎なかや けんたろうさん(1934- )の営む亀の井別荘(大分県由布市)に移築されています。亀の井別荘は由布院の高級旅館御三家の一つ。宇吉郎はしばしば由布院を訪れたと。

写真には宇吉郎の伯父巳次郎みじろう(最左)とその子宇兵衛うへえ(その右)、宇兵衛に抱かれるのは健太郎、その右が武子(宇吉郎の妹で宇兵衛の妻)が仲良く。
亀の井別荘一家です。

宇吉郎さんは父を早くに亡くされ、伯父の巳次郎さんが父親がわりに。
巳次郎さんは亀の井別荘の初代で、現在に至る由布院ブランドコンセプトの源流の人。

このミュージアムにたどり着いたのは司馬遼太郎の「街道をゆく:8巻 熊野・古座街道、種子島みち ほか」の日田街道を読んだからです。本文は亀の井別荘について書かれていて、その流れで宇吉郎さんが登場します。


ここで少し脱線。
前回の伊達家・宇和島編で油屋熊八と別府、由布院についてサラッと触れました。豊後の国の元住人としては、田舎の温泉地だった由布院のブランド化をリードした亀の井別荘の中谷健太郎さんに興味がありました。その盟友、玉の湯の溝口薫平みぞぐち くんぺい(1933- )さんにも。ネットで調べてもあまり情報が出てこないなと思っていると、大分出身の友人からこちらの本を貰います。
 

 
読んでみると、溝口家は由布院の庄屋を務めた家。子供のいなかった当主の岳人夫妻は養女として喜代子を迎えます。後に薫平さんと結婚する人ですが、喜代子さんは臨済宗・大生寺(福岡県うきは市)の住職、芝原行戒と寿子じゅうこの娘とあります。 寿子・・・・・

アーッ! 中谷一族の写真に写っています。宇吉郎さんの右側に。

写真の説明では宇吉郎の姪とありますが、宇吉郎さんの弟・直吉の娘です。うきはの人だから由布院で一緒に写っていたんですね。そしてこの時赤ん坊だった健太郎さんとは従妹同士。中谷家と溝口家は親戚でした。
詳しくは由布院ものがたりを。
 


ミュージアムに戻ります。

宇吉郎さんの次女中谷芙二子なかや ふじこ(1933 - )さんは「霧の彫刻」で知られるアーティストで、雪の科学館にも関わっています。
 

中庭
 

屋上には中庭があり、こちらは芙二子さんのアート作品。グリーンランドから運ばれた石が敷き詰められ、人工の霧発生ノズルを装備。霧が出るらしい。グリーンランドは宇吉郎さんが研究に打ち込んだゆかりの場所。
写真の建物は柴山潟が望めるカフェ冬の華。
 

柴山潟には大噴水があります。水の華と説明されていました。
遠く雪化粧しているのは白山。長谷川等伯の松林図屏風モチーフ説の1つ。確かに等伯が京都に行った時には見てるはず。


加賀を訪れたのは偶然でした。金沢から福井に所用があったのですが、予定が順調にクリアできたのでポッカリ時間が空きました。大聖寺周辺をぶらぶらしていましたが、ふと街道をゆくを思い出し、足を運んでみたのが雪の科学館。すると磯崎新、からの由布院。

加賀前田100万石は金沢ばかりが注目されますが、大聖寺も相当に深いトコロです。そういう自分も何度も通り過ぎていたのですが。




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