見出し画像

織田家の源流は福井 劔神社 織田文化歴史館 福井県越前町【織田家のトビラ2】

北陸新幹線が石川県金沢から福井県敦賀まで延長され2ヶ月ほど。人の流れはどのように変わっているのでしょうか?
個人的には石川も福井も見るべきトコロは多く、アクセスの良し悪しはあまり関係ありません。新幹線に合わせて道路も整備されるのはありがたい。
そもそも歴史オタクにとって越前の国はスルーできないエリアです。

戦国時代の覇者にわずかに届かなかったものの、その知名度はトップレベルにある織田信長おだ のぶなが(1534-1582)。ご存じ尾張の国、名古屋の人ですが、その一族発祥の地が越前にあるコトはあまり知られていないのでは。
 



織田家発祥の地、旧織田おた町は2005年に越前町と合併し、現在の福井県丹生郡にゅうぐん越前町に。おだではなくおたです。人口は19,900人。町の中心から西へ山を越えて8kmほどの距離にあります。
紛らわしいコトに町の東南方向に隣接して越前市という自治体があります。こちらも2005年の市町村合併により生まれた市で、中心は旧武生たけふ市。

その織田地区には織田家ゆかりの神社があります。


つるぎ神社

劔神社は越前の国の二ノ宮で、創建はかなりの昔(笑) パンフによると悠久の昔と記されています。奈良時代にはすでに厚い信仰を受けていたそうなので、平安京に都が移る前の時代。平重盛たいら しげもり(清盛の子:1138-1179)やその後に越前守護となった朝倉氏の崇敬を集め、織田信長は氏神と崇めています。
 

実は2021年に社務所が全焼していて、2023年時は復興途中でした。鳥居の奥は仮の社務所。

福井県丹生郡越前町織田153-1-8


パンフ 2023年版


地味にアピール


拝殿

祭神は素戔嗚すさのを大神、氣比けひ大神、忍熊王おしくまのみこ
 


織田おた神社

本殿の脇には織田神社。ご祭神は保食うけもち大神、仲哀ちゅうあい天皇、応神おうじん天皇。
 

小松建勲こまつたていさお神社と奇稲田援くしなだひめ神社(左)

他にも社が。小松建勲神社のご祭神は平重盛と織田信長、奇稲田援神社は素戔嗚大神の后。

他にもいくつか社(全10か所ほど)があるのですが、こういったケースでちょっと考えてしまうがお賽銭。建物の維持のためと思ってお供えしますが、路銀には限りがあって全てはムリです(笑)。何もお願いしないことを免罪符にしています。
 

左にお市、右の蘭丸

神社の宝物はお隣の織田文化歴史館や奈良国立博物館に寄託されています。地理的に京都を飛び越えて奈良というのが歴史の深さを感じさせます。



織田文化歴史館



一見、奉行所的な外観。

パンフ 2023年版

 

広いけどビミョーな空間


神と仏 展 チラシ
2015年10月-12月 織田文化歴史館

館内は撮影不可。
劔神社の梵鐘(国宝)を展示しています(常設か不明)。
 

織田一族の肖像画 展 図録
発行:2004年 23ページ
織田町歴史資料館

織田町時代に発行された図録。内容は織田一族のほかに、越前ゆかりの朝倉義景と柴田勝家も掲載されています。
興味深いのは織田久長とされる織田宝岩祐居士像です。現存する織田氏の肖像画としては最古の可能性あり。図録の系図によれば久長は、清州守護代家の祖とされています。
おまけに肖像画は酬恩庵しゅうおんあん所蔵で一休宗純(1394-1481)による賛が。どういう関係だったのでしょうか。ちなみに酬恩庵は一休さん入滅の地で、宮内庁管理の一休さんのお墓があります。

織田の地名とって織田家を名乗ったようですが、出自はややこしくて平氏、藤原氏、忌部氏と諸説あるようです。詳しくお知りになりたい方はこちらを

平氏説では平重盛の子資盛すけもり(1161-1185)の遺児親真《ちかざね》(1260-1290)を織田家の祖としています。

室町期に織田家の主君だった斯波家は、室町幕府ではNo.2にあたる管領を務めた名門。東北の出羽や陸奥、越前や尾張等を所領としていましたが、家督や守護職争いでガチャガチャしているうちに勢力を弱めていきます。
越前で力を蓄え、守護代から主家を超え戦国大名化したのが朝倉氏。一方、尾張で勢力を伸ばしたのが織田家。ちなみに信長の家は、清州守護代家を支えた三奉行のうちの1つ。かなりの庶流ですが、信長はそこから守護の斯波家を超えて、実力で尾張を統一します。


館内にはスクリーンサイズのデカすぎる信長 池上遼一作

漫画家の池上遼一さんは越前市(旧武生)の人。信長テーマの作品もあります。かなりさわやかでシュッとした信長。
 

通路にさりげなく置かれた信長像

説明書きによると清洲公園(愛知県清須市)にある杉浦藤太郎作の銅像を模したとあります。
  

本家の方が凛々しい (愛知県清須市)
 
その傍には濃姫像も @清洲公園


THE織田信長(模本)トーハク蔵
原本は長興寺蔵

清洲公園の信長像のベースになっているのは、長興寺(愛知県豊田市)蔵の信長像(狩野元秀筆:重要文化財)だそうです。よく見る信長さん。
 

館内には信長による社寺領への安堵状や、越前領を任された柴田勝家しばた かついえ(1522-1583)の安堵状が展示されています。勝家の安堵状には「殿様(信長)の氏神」とあり、織田家中でも織田家発祥の地と認識されていたようです。

越前町には織田家との関係をアピールしたい空気を感じますが、歴史にあまり興味がない人にとっては材料がやや乏しいかも。
他に信長関連のスポットが織田から意外と近くにもあります。それは新しくできた北陸新幹線の越前たけふ駅や高速道路の武生ICのすぐそば、越前市。ちなみに越前たけふ駅は田んぼの中にポツンとあって、利便性が良いのかよく分かりません。


真柄十郎左衛門直隆

武生東運動公園の一角にある、真柄十郎左衛門直隆の菩提寺・興徳寺。
真柄直隆まがら なおたか(1536-1570)はこの辺りを拠点とした国人で、朝倉氏の家臣。身長210cmの巨漢で刃長220cmの大太刀を振り回した豪傑というかバケモノ。
近江・姉川の戦いで、朝倉勢として息子と共に奮戦するも、味方は劣勢となり親子共々討死。遺骸は郎党によって近江からココ興徳寺まで運ばれ、葬られたそうです。
 

菩提寺 興徳寺


興徳寺
 鬼真柄
  
大切にされています(真柄十郎左衛門顕彰会)


なぜか高下駄が墓石前に インパクトあり過ぎ


ちなみに直隆の振り回した大太刀は、信長ゆかりの熱田神宮(愛知県名古屋市)に現存しています。

たぶん直隆をモチーフにした武者像
あの刀を持ってこんなカンジで動き回れたのか

大太刀は末之青江すえのあおえ(太郎太刀:拵総長3.4m、重量約10kg)と千代鶴國安ちよづる くにやす(次郎太刀:拵総長2.67m、重量約8kg)の2本あり。本物のほかに体験用のレプリカもあります。

持ち上げられるか! 太郎太刀

体験用の太刀は本物の長さと重量をコピーしたもの。次郎太刀でも持ち上げるのに苦戦しますが、太郎太刀は持ち上げるだけで精一杯。重さというより長さが問題。これで刀を素振りしたら地面直撃は必至。これを振り回して動き回った真柄直隆は正真正銘のバケモノでしょう。長さは太刀というよりはもはや槍。恐るべし戦国武将。


尾張と越前ではストーリーがチョット繋がりにくいのが残念。


熱田名物 信長塀



いいなと思ったら応援しよう!